ひぐらし~カケラ遊び~もこの連休で順調に進み今のところ皆殺し編の途中まで終わった。その過程で色々と新しい覚書が生まれたが、今回は目明し編の詩音と沙都子の関係について述べようと思う。
○詩音と沙都子
以前「詩音の沙都子に対する態度について」で述べたように、詩音が沙都子と折り合いが悪いのは自然なことのように思えるが、詩音の「悟史くんのことをよく知りもしないくせに彼を害虫みたいに言い捨てて!」というお魎への言葉も合わせて考えるとおもしろい。詩音が沙都子を批判するのはほとんど聞きかじりの知識によってであり、直に色々見ているわけではない。また、詩音が沙都子を拷問にかける事になったのもそういう沙都子の「弱さ」が今も続いていると思ったからだが、これとて雛身沢で実際に沙都子ともう少し接触があったならその誤解は解けたかもしれない。このように考えると、結局詩音は自分の批判した行為をそのままなぞってしまっているのだと言えよう。
そしてそのことは、詩音が昭和57年の事件以後の沙都子とある程度接触を持てば、詩音と沙都子の間に友好関係が築ける必然性があることを示している。それは単に沙都子を任されたからではなく、逃げているだけの沙都子ではなくなったからだ。「詩音が隔離された理由」で書いたように詩音を遠ざける理由は単純ではなく、皆殺し編のように雛身沢の学校へ通うのはやはり説得力に欠けるとは思うのだけど、それをできさえすれば両者の関係が良好に保てるとは少なくとも言えるだろう。
○詩音と沙都子
以前「詩音の沙都子に対する態度について」で述べたように、詩音が沙都子と折り合いが悪いのは自然なことのように思えるが、詩音の「悟史くんのことをよく知りもしないくせに彼を害虫みたいに言い捨てて!」というお魎への言葉も合わせて考えるとおもしろい。詩音が沙都子を批判するのはほとんど聞きかじりの知識によってであり、直に色々見ているわけではない。また、詩音が沙都子を拷問にかける事になったのもそういう沙都子の「弱さ」が今も続いていると思ったからだが、これとて雛身沢で実際に沙都子ともう少し接触があったならその誤解は解けたかもしれない。このように考えると、結局詩音は自分の批判した行為をそのままなぞってしまっているのだと言えよう。
そしてそのことは、詩音が昭和57年の事件以後の沙都子とある程度接触を持てば、詩音と沙都子の間に友好関係が築ける必然性があることを示している。それは単に沙都子を任されたからではなく、逃げているだけの沙都子ではなくなったからだ。「詩音が隔離された理由」で書いたように詩音を遠ざける理由は単純ではなく、皆殺し編のように雛身沢の学校へ通うのはやはり説得力に欠けるとは思うのだけど、それをできさえすれば両者の関係が良好に保てるとは少なくとも言えるだろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます