以内臓痛歩行困難日将不思是年来・・・
どうもムッカーです、いよいよひぐらし卒も新展開という感じの題名なんで、どんなもんか見ていくとしましょう(なお、第11話の感想はこちら)。ちなみに、この機会にもう一度「神様のシンドローム」とかをフルで聞き直そうと思いましたマル。
〇いきなり羽入の語りから始まった
まあこれどのひぐらしをやってるか(あるいはやってないか)で知識が全然違うので、まあこういう説明的なパートもしょうがないね。ちなみに「神楽し編」だから一瞬「羽入の親族に神楽って名前いたっけ?」と思ったが、少なくとも羽入の娘は桜花なので、「羽入を殺す者」的な暗喩ではなさそうだ。
〇鷹野のセリフ(ババ抜き)
しれっと出てきたセリフだが、これは自分も前に書いた「帰責性」のことを言っていると思われる。
〇オヤシロソードはなぜ破片のみだったのか
なるほど、なんで羽入が教えたオヤシロソードがカケラしかないのか、てのはひぐらし業で疑問だったが、そもそも二人のやり取りはエウアと沙都子に筒抜けでしたって話か(自分は、羽入が不完全な存在であるため実は残ってないものを残っていると勘違いした、といった可能性を想像していた)。
ともあれ、オヤシロソード自体は残っているので、これをどう使うかは推理のしどころであろう。一つ考えられるのは、沙都子が分裂しうることがすでに示されているので、分離した上でダーク沙都子(笑)をオヤシロソードで一刀両断とかじゃねーかなーという気がする。
まあエウアという存在をどう処理するかだが、それこそさっきの帰責性と絡めて溜飲を下げる展開なら彼女にも何らかの罰が与えられるのだろう。となるとエウアにオヤシロソードで攻撃したらどうなるか?とも思うが、世界のレイア―が違うので多分これは無理と予測。となると、エウアはこの後の展開に「退屈」し、最終的にその依り代だったものが破壊・抹消されるとかって展開かな?これだとパンチが弱いが、あえてここは宙づりのままにするって戦略かもしれんね。
〇あと「5回」
あたかもルール確認するように残り回数を提示していくスタイル、嫌いじゃないぜw沙都子サイドからはこれについて一度も言及がないので、沙都子がとにかく梨花が屈伏するまで殺し続ければいい、という戦略は破綻する可能性が示唆されている(ちなみにエウアはそれを知らないのか、知っていてあえて何も言わないのか不明)。
〇ラストで羽入登場
ここでのセリフからすると、羽入はメタ世界で現出(てのも妙な言い回しだが)している時も活動をしているようだ。でなければ、羽入がエウアを「やっと見つけた」というセリフの説明がつかない。
おそらく、以下のような経緯があったと考えられる。
羽入:オヤシロソードのことを教える→梨花:破片しかねーじゃんか(# ゚Д゚)→羽入:なん、だと・・・!?→羽入:さては誰か見ているな!!→羽入:同じレイア―で行動できる存在を探すんべーか→羽入:ユーレカ!(ワレ、発見セリ)
何だかきれいに収まりそうだが、これはこれでまた別の問題を惹起する。というのは、オヤシロソード隠蔽事件について見た感じ、それなりに早いスピードで反応しているのであれば、羽入は梨花のいるカケラ世界をちゃんと観測できているはずである。だったら、さすがにこれだけ繰り返されている状況をメタ視点で見ていて、沙都子やその周辺の不自然さに全く気付かない、というのは不自然ではないか?て話になるからだ(まあこの羽入は旧ひぐらしと同じ性質を持った存在ではないことがすでに言及されているため、いくらでもこじつけはできるだろうけど)。
これは旧ひぐらしでも大きな問題となった、「そもそも羽入が梨花から離れて世界を見て回れるなら、犯人やそれに繋がるヒントを見つけられないのはおかしい」という話が再燃することにつながるだろう。
ま、今ここで結論づけるのは早計なので、とりあえず神楽し編を一通り見てみようじゃあないか(・∀・)
〇圭一の犯行とそれを止めようとする周囲
これ現実に置き換えると、まじで自己防衛と危機管理マニュアルが必要だよなあ(周囲の人間から見た「脈絡なき暴走」は、最近起こった小田急の事件などを例に挙げれば思い半ばに過ぎるというものだ)。
というのは、「経済✕、社会的包摂機能✕→無敵の人増加」は不可避であり、暴発した時点で「話せばわかる」的なことを言っても遅いからだ(抽象的な言い方をすると、近代的規律訓練型社会は機能不全となり、環境管理型の犯罪防止が必要になってくる、ということ)。
よって個人に対策を帰するなら防刃ベスト着用すら「自己責任」として要求されるレベルとなるだろうし、あるいは社会的包摂機能をメンテナンスするなら某国のような「孤独担当相」とかを設置し、具体的な施策を打っていくことが必要になろう(要するに弾丸が発射されても死なずに済む状態を作るか、そもそも弾丸が発射されない状態を地道に作り上げていくか、という話やね。後者は規律訓練型に近いものと言える)。
あるいは、監視カメラはもちろん、孤独や不全感に苛まれている人々に都合のよい癒し(VRやスマートサプリメント)を供与することで暴走を防ぎ、さらに安楽死を合法化して「処理」していく、という環境管理型の極北にあるような施策をうっていくこともありえなくはない(まあ日本社会は人治主義を過信している嫌いがあるので、良くも悪くもここまで極端な状況にはならないだろうけど)。
なんてことを思いながら見ておりました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます