フラグメント39:ひぐらしと監視、君望サブシナリオ、帰納と演繹

2008-07-05 02:10:28 | フラグメント
題名を書いていたら、
さ~て、来週のサザエさんは…「ひぐらしと監視」、「君望サブシナリオ」、「帰納と演繹」の三本です。んがくっく。
とか思いついた。日曜日が終わり、憂鬱な月曜日の接近を告げる話とされるが、あいにくとこっちは日曜日も普通に出勤であることよ。まあそんなことを書きつつ、いつものようにフラグメント。


ゴルゴ匠…置物、北斗ポスター、ルーツのネタ>
[ひぐらしと監視、イデオロギーなんて話が]唐突な印象ゆえ説明。鬼編…大石による起点と疑い。問題は、疑いがエスカレートする方法にある。大石の話をするレナ、喫茶店で話をしたことを知っているレナ・魅音→見られている・知られている=監視→なぜ監視されるのか?それは秘密があるからだ→疑いの増幅→暴走→惨劇。疑いと監視が症候群を生み、それが惨劇へと繋がる。監視の理由がはっきりしている綿編は(深刻な)症候群にならない(相方がいるという事情)。園崎家の監視カメラ→ジョージオーウェルの1984年(詩音との電話に出てくる目[文庫カバー]もそうかと思うが、製作日記からすると違うっぽい?)、祟=追う側


<二次創作にやらせておけ>
[君が望む永遠のあゆ・まゆシナリオは]はっきり言ってペドのためのシナリオに過ぎない。サブキャラ選ぶ(「魔が差す」)とどうなるかは星野穂村で十分。物語性とゲーム性、文脈のためにある第一章。破滅の自由はあるが、孝之の像がぼやけると全体に悪影響が出る。しょせんはエロゲーか。両者を統合させようとするとどんなグロテスクな軋轢が生まれるのかまで計算して描いたというのならまあ大したもんだが、伝わってないから失敗。


<現実が自分の影響を受けている妄想>
[「可変的な好み:統合ではなく並列化」が]ネタなのは見ればわかるとしても、単なるバラバラの肯定、客体化の影響の描写にしかなってないし、それゆえ統一的な~の下りにもまるで説得力がない。実はあの後に書いたら「冷めた」の正体を載せるつもりだった。反応を個々にストック=帰納。カテゴリーができていないのだから例外も存在しえない(無反応を不思議に思わない)。しかしいったんカテゴリーが成立すると、今度は演繹的な認識にシフト。すると反応することが当然とされるので、反応しないのが不思議になる→その違和感を「冷める」と解釈する。演繹したものに引きずられる認識。あらゆる褐色に反応するわけではない。帰省の時のインド人。
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