昨日は、これからの日本の将来像に対して時に用いられる「鎖国」や「清貧」といった言葉が、極めて曖昧模糊としている上に(個人ならともかく社会のレベルでは)非現実的で、それは閉塞感や思考停止をそれらしい言葉で誤魔化しているだけだ、と述べた(より正確に言えば、北朝鮮的な体制を構築すればある程度達成できなくもないが、そのレベルで自由を捨てなければならないという覚悟があると . . . 本文を読む
前回の記事において、人や情報の流動性を止められない以上、「鎖国」はもちろん「江戸時代への回帰」も不可能だと述べた。
もう少し踏み込んで言うなら、このグローバル社会において、国内外を問わず人の移動を極度に制限し、情報も極めて限られたものしかアクセスできない状況というのは、北朝鮮のごとき強権的体制でなければ実現不可能である。
「鎖国」や「江戸時代(への回帰)」といっ . . . 本文を読む