「定年後の開業が即廃業する理由」かあ(「大人のシルバニア」より引用)・・・まあ真面目にリーマンを勤め上げた後、趣味を褒められ気を良くして退職金+貯金を投じたまではいい。だけど、会社組織の中で決められた仕事だけやっていたこれまでと違い、コスト意識、広告宣伝、販路確保など色々なものを全部自分で考え作り上げていかないといけない個人事業主というパースペクティブ(ざっくり言えば経営者としてのマインド)を持たないから、あっという間に沼って身ぐるみ剝がされるんですねわかります😇
そりゃ社会人として何十年も勤め上げてきた苦労は相当なものだろうけど、それは「社会のことをわかってる」ことには全くならないんだよなあ。あなたの知らない世界なんてごまんとある訳でね。そういう風に、どれだけ自分がどれだけモノを知らずに生きてきたかを悟る場面がないと(あるいはそれを理解した上で必死こいて勉強する姿勢がないと)、こういうリスクは誰にでも・どこにでも付きまといますよと。
例えば声優になりたい!ていう高校生。いや、なりたいのはええけどさ、どれくらい人数がいて、何人くらい専業で飯食えてるか調べたんか、と(これはVtuberとかも同じやね)。あるいは不動産投資。特に勧めてくる人間なんて、都合のええことしか言わんわけやから、かならず失敗例やリスクのことも調べんとね(まさに「そんな都合よく儲かる話は人に教えんとあんたがやればええやん」の世界w)。その他、脱サラして飲食店始めるとか、FX投資とか、まあホンマによくこれだけというくらいには見渡してみると死屍累々なのである。
いや、夢を持つのはええし、夢に向かって頑張るのもええねん。だけど、何でその情熱をさ、リスクとかも含んだ徹底した情報収集には当てないんですかね(仮に夢を語る子どもに対してなら、その夢を頭ごなしに否定するんじゃなく、「それについてどれくらい情報調べてみた?」と問うてみたら良いのではないか。それで多少は本気度も量れるわけだし)?その時点で、それは夢とか真面目とか言うんじゃなくてさ、「世間知らずな人間の蛮勇」と呼ばれても反論は難しいんじゃないだろうかな。
こうして考えてみると、前にも書いたようにやっぱ学生の段階でファイナンシャル教育は必須やなと。もちろん、「んなもん調べりゃすぐわかることをよう調べんヤツはカモられて当然や」と言いたいのは個人的信条として理解できないワケじゃない。けれども、そういう発想が頭をよぎった時に考えた方がええのは、「じゃあそれを放置するのとシステム的にコントロールするのはどっちが社会的に公益性があるか?」て話やと思う。
何度となく書いている事だが、ここでは「同情するかしないか」何て個人的な話をしてるんではなく、社会が繋がっている・繋がってしまっている以上、放置と包摂のどちらが社会的に合理的振る舞いであるかを突き放して考えるのが、社会性のあるニンゲンがすることなんじゃないの?という話である(これは自分が個人的には極めてリバタリアン的人間でありながら、社会のレベルでは決してそれを採用せず、リベラリズムとリバタリアンパターナリズムを軸に物事を考えるようにしていることと繋がる)。
こういう極めてありふれた失敗で散財し、その家族を露頭に迷わせたり、事によっては自死にまで到ると考えるなら、そのケアまで含めた社会的損失は相当なものである。それは生活保護を含めた諸々の社会保障に影響を与えうるし、そんなヤツに払う金はない!とばかりに放置したら自殺者数が増えたり(てか死んでから慌てるのって「大きな問題が起こってから焦る無能な経営者」と同じだって話)、あるいはそれが「無敵の人」を生み出す温床にもなりうるだろう(もちろん、そういった存在によるリスクや社会的損失も想定しうる)。とするならば、税を含めてお金の使い方や破産のケーススタディなどを情報として提示しておくことは、むしろ必須であるとさえ言えると思う。
このように考えてみると、ファイナンシャル教育は、「啓蒙」とか「優しさ」の話ではなく(というか弱者救済をそう思っている人間が余りに多すぎる事が問題なのだが)、社会のリスクマネージメントとして極めて重要だと強調しておきたい。
もちろん、学校教育程度のことで縷々述べてきた失敗が撲滅されることは決してないだろう(言うてもわからん人はいくらでもおるのでね)。しかし少なくとも、日本の経済衰退が進んで弱者救済のリソースが減り続ける未来であることはほぼ確実である以上、窮状に陥ってから対症療法的に救うのではなく、そもそも「弱者」の状態に陥る人間を減らす仕組みを構築しておくことが不可欠だと考えた時(これは魚を与えるのではなく魚の釣り方を教えるという話ともリンクする)、この「大人のシルバニア」は、なかなか示唆に富んでいるなあと思った次第。
以上。
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