A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

31 スタンレー・パーク

2009年05月23日 11時39分31秒 | ロス滞在記
30 より続く



今度は スタンレーパークまで往復4時間半の「のんびり御散歩」。

スタンレイパークは4年前と同じ雰囲気。



大きな土筆や
八重桜石楠花色々な花が咲き乱れている。







トーテムポールの広場など懐かしい。




湾に架かる大きなつり橋ライオンゲートブリッジの見える処まで行って引き返す。



船に一旦帰り休息後今度は旧市内「ガス・タウン」の散策。
前に来ているので昔道うりか確認したが
土産物屋、レストラン、駅もそのまま。
ただ先住民のアートクラフトの展示が充実している感じ。

スチーム・クロックが鳴った。
こんなものがこの街の名物だから大した物は無い街だ。



ヨットが多いが時節柄か「For Sale」の看板のある船が目立った。



夕食は深海魚(ティラピア)のソティ 
白身の切り身だが外国の魚料理は
何か全て同じような味がする。
でも美味しいかった。

日本だと鯛でも塩焼き、煮つけ、湯引き、兜煮、酢漬け、ソボロと色々ある。



デザートは大好きなブリュレ。





今日はショウはお休み。

船内での日頃の運動不足がたたって今日は少し疲れた。
しっかり散歩したので良く眠れるだろう。



船のバルコニーからの夜景が綺麗。



カナダ・ブリディッシュコロンビア州の州都ビクトリアに向け出航。
明日朝の到着予定。







32 ビクトリア

2009年05月23日 11時38分40秒 | ロス滞在記
5月3日(日)



カナダ・ブリディッシュコロンビア州の州都ビクトリアに到着。
九州ぐらいの大きさのバンクーバー島にある気候温暖な静かな町だ。

主たる大きな産業も無く働いている人の半分以上が政府役人。



朝早くからツアーに出掛ける。
先ず「ブッチャート・ガーデン
カナダのセメント王ブッチャート氏が
100年ほど前にセメントの元材料として
ライムストーンを掘り尽くした採石場を庭園として
再生させ一般公開した広大な庭園である。


チューリップ、石楠花、八重桜、水仙など花盛り。
噴水もあるしブッチャート氏の住居はレストランになっている。

よく手入れされており綺麗な庭園ではあるが、
植物園ボタニックガーデンではない。





















バックヤードに専用の農園があり絶えず咲きかけの花を
庭園に植え替え「花盛り」を保っている。

庭園の売店ではミセスマスダは土産の小物を見つけ
買い物に大忙し。
船内で知り合った98歳のお婆ちゃんの好きそうな
「蝶々のペンダント」もゲット、
早速夕食時に進呈したら大層のお喜び、
お年寄りを喜ばすことは善い事だ。



33 に続く・・・


33 エンプレスホテル

2009年05月22日 12時26分20秒 | ロス滞在記
32 より続く


バス観光の帰途 ビクトリアの旧港の前の州議事堂前で
観光バスを下車 辺りを散策。



州議事堂は威厳のある立派な市民自慢の建物、
その前は旧港が広がっている。

思わぬ所でキャップテン、クックとご対面、
彼もこの港に立ち寄ったのだ。
若い時にオーストラリアに住んでいたので
キャプテンクックには特別な思いがある。



旧港は観光船と遊覧飛行機で一杯。
鯨観光も盛ん。



何でもこの海域辺りに定住している鯨家族のグループと
冬はメキシコ沖 夏はアラスカ沖と回遊している鯨家族のグループがおり
この辺りは鯨観光には絶好らしい。

チャーター船らしいが大きな帆船が気に入った。
乗ってみたい気もするが海が荒れたら怖いだろうなあ!





旧港の正面には「エンプレス・ホテル」がある。
ビクトリアのランドマークである。



重厚な佇まい 内装の立派さは流石昔の建物だと納得させる。
ラウンジは「ハイ・ティ」で大賑わい。一人6千円らしい。



我々は旧港のカフェで昼食を済ませていたので見るだけ。

ホテルの庭で面白い外人老夫婦にあった。
我々が横浜から来ていると言うと
「私の主人も横浜で住んで居たことがある」の言葉に続けて
「ノット・ジス。ワン」。





2時半帰船 真っ黒い中型潜水艦が作業船に載せられ停泊している。
呉の街中に実物展示の自衛隊の潜水艦があるがあれのほうが余程大きい。

ディーゼルエンジンの潜水艦でイギリスより購入した2隻のうちの一隻で
2年前に火災を起こし目下修理ちゅうとのこと。





カナダの海に虹がでた。
淡い虹だが良いものだ。





夕食は「ノブ」でお寿司とした。



ナイトショウ「タレントの物まね」判りそうも無いので今夜も欠席。


次の寄港地はサンフランシスコ。










34 フェアウエルパーティ 

2009年05月21日 18時11分44秒 | ロス滞在記
5月4日(月)




船はサンフランシスコに向かっている。

寒い、摂氏7度 船は揺れている。
外は曇り空、海は多少うねりがあるし少し荒れ模様。





午後になっても気温は12度。
海は荒れてきた。
揺れるのでダンスも中止。






昼食は「アメリカンクラッシックビュッフェ

バドワイザーとジャンバラヤ
ウオードル・フアストリア・サラダで軽く済ませる。








2時半ゴルフのパッテングコンテストに参加
ミスターマスダは辛うじて賞品にありつく。





海は更に荒れてきた。歩行困難一歩手前。

荒れた海を眺めるのも今回のクルーズの目的ではあった。
飽きずに海を眺めて時間を過ごす。


5時すぎより船長主催のフェアウエルパーティ 
そろそろ旅も終わりに近づく。



船内で知り合った80歳の日本の御婦人は
昨夜バンクーバー在住のお孫さん達を船内ディナーに招待して
大盛況だったと嬉しそうにお話されていた。





夕食はカナダの生牡蠣、これは秀逸、それとキャビア 
メインはビーフウエリントン。








ショーは「セレニティ・ポップス
ミュージカルからクラシックまで
チャイコフスキーの1812年は素晴らしかった。







悪天候で揺れを軽減させるため船足は15ノットに減速。

明日のサンフランシスコ入港が遅れるらしい。






35 金門橋

2009年05月18日 12時09分40秒 | ロス滞在記
5月5日(火)



朝6時窓より外を見る。
霧雨、気温8度の中 船は20ノットでサンフランシスコ湾
目指して急いでいる。

昨夜の牡蠣のせいか少し体調悪くゆっくり起床。
11時ごろゴールデンゲートブリッジの下を通過予定と聞き
その時間にあわせて船首の展望台になっている
パームコートに陣取りその時を待つ。

偶々隣り合わせたのがこの船を運航している
クリスタルクルーズ社の会長の田宮さん御夫妻。
御得意先の接待のためご夫婦でバンクーバーから乗って
サンフランシスコで下船されるそうだ。

日本郵船のアメリカ法人だが
社員200名(内日本人2名)の会社だそうだ。
船には派遣労働者も乗っておりその国籍は50に及ぶそうで
人事管理が難しいそうだ。

色々お話を伺っている間に金門橋ゴールデンゲートブリッジに近づいてきた。




生憎天気は回復せず快晴とはいかず多少は明るくなって来たが 
立派な「霧のサンフランシスコ」である。

霧も中々良いものだ、幻想的なゴールデンゲートブリッジである。




あれはアルカトラスか





パイロット艇から水先案内人が乗り込んできた。
愈々着岸である。



午後1時ごろから上陸が始まったがインフルエンザ対応の
検疫検査もなく日本での大騒ぎと違和感がある。




船内で知りあった日本人ツアーコンダクターの方からマスクを頂いたが
サンフランシスコの街では使うことが無かった。
なかなか可愛らしいツアコンのお嬢さんである。





市内観光ツアーはゴールデンゲートブリッジの見物
霧で全然見えない。
ゴールデンゲートブリッジ公園には橋を造った
ジョロフ・ストラウス氏の銅像があった。



橋のワイヤ^-が太い。断面と一緒に記念写真。



断面の拡大。
直径95センチ 27572本の針金が撚り合されている。



その周りを鉄板で巻いてある。
下地に錆び止めの塗料を塗ったがその色の評判がよく
上塗りしないでそのままになっているとの説明あり。
本当かなあ!




展望台の霧はなかなか晴れない。



36 に続く・・・


36 サンフランシスコ

2009年05月17日 12時12分51秒 | ロス滞在記
35 より続く


ゴールデンゲート公園 花があまり咲いていない。



ビーチにも行ったがシーズンオフの感じ。



ツイン・ピーク ちょっと霧が晴れて街と海が眺められた。







チャイナタウンは昔のままだがヴェトナム人街、
ホモの人のカストロ通り
ゴチャゴチャしていて街が荒れている感じだ。

40年前に来たときにはアメリカを憧れの目で見ていたので
気が付かなかったのだろうか。




サンフランシスコの街を歩く頃はお天気も回復
青空も見える。
サンフランシスコは一日のうちに四季があると言われているが
一日のお天気も変化が激しいようだ。

ユニオンスクエアー、ケーブルカー
街を歩いている人達など面白かった。

フィッシャマンワーフは懐かしかった。
しかし昔ほどの人出はない。










クラムチャウダーは船の美食に慣れた
ミスターマスダも思わず「美味い」。

フィッシャマンズワーフの波止場からはアルカトラスはじめ
いろいろな観光船が発着している。
その横にひっそりと潜水艦の展示があった。
子供たちが沢山見学していたが国防への関心を高める一助か。

夕食は昨晩のこともあり軽く、
楽士がテーブルに来たのでお座なりだが
「思い出のサンフランシスコ」を所望。



夜のショウは漫談と歌 漫談は殆ど理解できず。





どういう訳かロスに向けての出港は明日の早朝4時半。

仕事が終わったら船員達は大挙して街に繰り出すらしい。



就寝前に携帯をチェック 
長男からの連絡やら友人からの便りやら楽しく読む。








37 クルーズ最終日

2009年05月16日 13時45分11秒 | ロス滞在記
5月6日(水)



朝8時 気温13度 海は静か 霧雨 
船足は18ノット モントレー湾にさしかかっている。

寄港地の観光は天候に恵まれラッキーだったが
楽しみにしていた船上生活でのプール、ジャグジーは
この長い航海なのにノーチャンスのようだ。

今日はクルーズ最後の日 寒い。
北緯37度まで下がってきたし
ロスはもう夏と聞いていたので実に残念。

午前8時半太平洋の西の彼方にレインボー。
天候の回復の兆しか。
今回のクルーズでは何故かレインボーを見る機会が多かった。。




昼食後天気が回復し待望のデッキチェアで昼寝。



3時半からはパームコートで最後のハイ・テイー。



5時からは「お別れコンサート」。
段々クルーズが終わりに近づいてくる。








6時から最後の正餐。
シュリンプカクテル・オレンジダックリンとシャルドネ。





8時より船長出席のフェアウエル・セレモニー。
沢山の風船が天井から降ってきて華やかなフィナーレ。





パッキングを終えてからバーでお茶を一杯。
クリスタレセレニティ号の最後の夜は静かに更けてゆく。



明日の朝にはロスアンゼルス、次男家族との再会が楽しみだ。



(今回の航海で感じた事)

セレニティは二回目で慣れて余裕だ出た為か色々気がついた。

部屋が思ったより小さかった。

船内が少し古ぼけてきた。

サービスの肌理細やかさが薄くなった。

7セグメントで横浜~ロスの関係か乗客に日系人が多いようだった。

車椅子、杖の助けを借りる人、太った老人が目立った。

食事はエッグベネディクトを除き満点だった。

寄港地でのツアーも総て実りあるものだった。







38 ロスアンジェルス到着

2009年05月15日 18時46分31秒 | ロス滞在記
5月7日(木)



朝焼けの中 
ロスアンジェルス・サンペドロ港
ワールドクルーズセンター・バース92に接岸。
朝6時半 日の出が美しい。









船内クリスタルダイニングで最後の食事・朝食をゆっくり頂く。
下船は9時すぎだろう。


ベランダから見える小高い丘が印象的だった.
後から知ったことだが次男の純也君達家族が住む
パロスべルデスだそうだ。





今回の旅の第一部 クルーズの部が終わり
第二部ロス滞在の部が始まる。
因みに第三部はアメリカ大陸横断である。



純也君と電話連絡を取り合う。
純也君が会社を休んで迎えに来てくれている。
ベランダから桟橋で手を振っているのが見える。
このベランダからは横浜でKOさん御夫妻の
お見送りも受けたところだ。



何はともあれパロスべルデスの純也君の家に。
嫁と孫達の出迎えを受ける。

孫には「相良凧」孫娘には手鏡の土産 
大層の喜びで持ってきて良かった。





孫が最近トランペットを習い始めたので御披露してくれた。
「威風堂々」らしいメロディ こちらの学校で楽しくやっているらしい。





純也君の家は高台にある恐ろしく見晴らしの良い家で前庭より
太平洋からロスのダウンタウンが遠望出来る。



4ベッドルームの明るい住み易そうな平屋。





全員6人で近くの行きつけらしいクレープ屋で昼食。
ブルゴーニュの蕎麦粉を使用しているとか。
クレープ中心のメニューだがキッシュ・サラダ・ハムなども出てきて
良い軽いランチだった。
高級そうな店造りにすれば結構良い値段のレストランに
日本だったらなるのにと思った。



そこからは純也君と三人で先ずマンスリーマンションにチェックイン。
椰子の木ごしの眺望が素晴らしい。
場所の名前はレドンドビーチ。



目の前はハーバー 純也君が色々案内してくれる。
フィッシャマンズワーフは面白そうだ。

魚介類を買ってきて家で料理も良いだろう。
あさりの酒蒸しなどグー。



そしてレンタカーの受け取りと慣らし運転。

当座の食料品の調達で日本食材店・スーパー巡り。





夕食は6人でと誘われたが明日に伸ばしてもらった。

久しぶりの忙しい一日だったので疲れた。
部屋の窓からは太平洋に沈む夕焼けが素晴らしい、

これから4週間 毎日見れると思うと嬉しくなる。
二人でバドワイザーとチーズ・冷奴・蒲鉾などの簡単な夕食。



インターネットが使えるようになったので色々情報をチェック。

勤め人時代の先輩でアメリカ在住の青柳さん御夫妻が
我々と入れ替わりにクリスタルセレニティに乗船
パナマ経由マイアミまで行かれる事をメールで知り驚いた。
知っていたら港でチャット出来たのに・・・

連休明けの東証は円安もありまたストレステストの結果もそれ程心配は無い
ということか大幅上昇、リッチな気分で?就寝。



今日は一日中 体が揺れていた感じ、船がそんなに揺れた訳でもないが
微かな揺れにも体が自然に対応をとっていたのだろう。
22日間もやっていたのでその反動だろう。






39 ペリカン

2009年05月14日 20時40分53秒 | ロス滞在記
5月8日(金)



今日は休養日。

朝は日本とあまり変わっていない。
今朝はビールとベーコンン・卵のオーバーイージー。
フルーツは今が旬のチェリイ。




テレビは番組もよく分からないので
CNNを点け放しでニュースと天気予報だけ見ている。

パソコンをつけインターネットで日本のニュースを閲覧
そして趣味ともなっている東証の株価のチェック。

軽めの昼食 ワインはスーパーで買ったもの。
フランシス・コップラの赤と白。
「地獄の黙示録」の映画監督にフランシス・コップラと云う人がいたが
その人のワイナリーかな?
赤は結構いける。

午後はマンションの向いのマリーナを散策。



広大なヨットハーバーを囲んで我々のマンションのような
貸し別荘が群立している。
まだシーズン前なのか住人は少ない。





明日からうちのマンションもプール開きで作業の人が働いている。



マリーナの水際はお店屋さん 
どう言う訳か地元の人・観光客と大変な賑わい。

御土産物屋・バー・レストラン・フィッシュマーケット 
江ノ島海岸のような所だろうか。
海に張り出した桟橋の上にも沢山の人。

散歩している人、釣りをしている人、ペリカンもいる。







高級レストランも桟橋の上にある。
そこで早めのディナーとする。
オイスター・ロックフェラーが美味しかった。
ハーフダーズンをオーダーしたのに
何故か7個皿に載ってきた。
御客さんに喜んでもらえるよう一つ
おまけにする習慣があるとか?
これは後で知った事。



レストランを退席するときは殆ど満席状態であった。
シーズンオフとは言え賑やかな場所である。



7時ごろ日没を拝んで帰宅。







これからも夕方の御散歩は楽しみだ。






40 バレンシア・カントリークラブ

2009年05月13日 21時09分42秒 | ロス滞在記
5月9日(土)


我々がこれから一か月住むマンスリーマンションのある所は
レドンドビーチと言ってロスの市街地の南2~30キロの町
日本人が沢山住んでいるトーランスの隣町。

今日は海岸線を北上、ロス空港・サンタモニカを通りすぎ
バレンシアまで小一時間のドライブ。
ここのバレンシア・カントリークラブは次男が入っているゴルフクラブ。

一ヶ月ぶりのゴルフは大変楽しかった。
スコアーもまずまず これからのロスのゴルフライフが楽しみだ。

このバレンシア・カントリークラブは
昨年シニアが行われて日本からも青木、ジャンボ達も参戦したそうだ。
クラブハウスも立派だがコースが素晴らしい。





日本で言えば「武蔵」に似ているか、平坦なコース 




16番の池越え180ヤードが名物コース。









土曜日なのに混んでいない。
カートはコースに乗り入れても良いが
最短距離で直角に入らなければならない。










程よい疲れと大いなる満足感で帰途に着く。

フリーウエーはカープール・レーンを走行。
カープール違反の罰金が341ドルと何とも中途半端な金額だ。
違反件数の事情により恣意的に決められるのだろうか。
金額の部分だけ最近書き換えられた様なペンキの痕がある。


夜は次男家族と一緒に6人 
近くの焼き鳥が売り物の日本食店「信」で夕食。



孫達の食欲も旺盛、風邪も完全にぬけた様だ。






41 ガラスのチャペル

2009年05月12日 15時22分02秒 | ロス滞在記
5月10日(日)



朝から少し曇り、昨日の朝もそうだったが
これは曇りではなく「霧」か「スモッグ」かもしれない。

11時ごろ次男の純也君が来る。
車の練習を兼ねてドライブ。

先ず近くのスーパーで足りない食料品を買い足す。






続いてこれから度々プレーするであろうゴルフ場の下見。
レンタカーと交通ルールに慣れるためゴルフ場巡りは丁度良い。

先ず最初はドナルド・トランプ氏の経営する「トランプ・ナショナル」
ゴルフ場100選の4位(因みにペブルビーチは2位)
早速明日プレーする事で予約。






街へ引き返す途中 松田聖子さんが結婚式を挙げたことで有名な
「ガラスの教会」を見物。




通路には結婚式・葬式を挙げた人達の
名前を刻んだレンガが敷き詰めてある。
結構沢山の日本人がここで挙式をあげている。
また今日は母の日でそのレンガの上に花を手向けている親族もいる。




次は「ロス・バルデス」パブリックコースで大変混雑している。
4サムはおろか5サムでラウンドするらしい。
話の種に木曜日の予約を入れる。




その後もう一つバルデス・エステート・クラブを見たが
そこはプレーフィーが230ドル 少し高すぎませんか?






クラブハウスの前庭で皆でホットドッグなど軽い昼食。



中々よさそうなゴルフ場の様だが予約を取るのも難しそうだ。

ここで運転練習を終え皆でロングビーチに観光に向かう。


運転練習を終えての感想

(ロスでの車の運転)
25年前までNYで運転していたとは言え運転のおさらいが必要。
右側通行・左ハンドルの場合どうしても右よりの運転になる。
左上にバックミラーを探してしまう。
ワイパーとウインカーの位置が逆で突然ワイパーが動き出し戸惑う。

(交通ルール)
NYと大差ないが「4ストップ・ルール」は初めてだ。
十字路の各車道にストップ・ラインが書いてあり最初にその線に到達した車に
直進であれ左折・右折であれ優先権がある。
広い道なので直進優先と思うと大間違い。

(カーナビ)
ここでもカーナビは便利だ。ただ日本のように余り喋らない。
「10マイル先左」と音声案内があった後は、全く無言、
10マイルのところ直前で「左」と言う。
もう少し親切でも良いか、道を間違うと「出来るだけ速やかにUターンしろ」
と連呼・絶叫する。


42 に続く・・・


42 クイン・メリー号

2009年05月11日 10時33分10秒 | ロス滞在記
41より続く

午前中の運転練習を兼ねたゴルフ場巡りを終え
ロングビーチの「クインメリー号」見学となった。
ミスターマスダは25年ぶりのロングビーチ訪問。
あの時にはクイーンメリー号とハワード・ヒューズの
「超大型木造飛行艇」の展示があったが飛行艇はオクラホマに移され
代わりにロシアの超旧型ジーゼル式潜水艦が一般公開されている。




クイーンメリー号は船長310メートル、8万1千トン 
我々が乗ってきた「クリスタルセレニティ号」より数字的には一回り大きい。








大型客船の今昔を体験できて有意義であった。
ウインザー卿シンプソン夫人・ボップホープ・クラークゲーベルなど
色々な有名人が乗船した時の写真



クインメリー号クインエリザベス号ノルマンディ号
キュナードの3大豪華客船が揃ってニューヨーク港に着岸している写真
は華やかだった大西洋航路トランスアトランティックの時代のものだ。
戦時中は兵士の輸送に徴用されたり波乱の歴史を感じた。




当時の宣伝ポスターなど
ミスターマスダの好きなデザインだ。




艦橋操舵ブリッジはピカピカに磨き上げられており
将にアンティーク。




対照的に船底のエンジンルーム
当時は高温・多湿・騒音で大変だったろう。
船上の快適さを保証する縁の下の力持ちというところか。





夕食は6人全員で中華と言うか日本式中華料理店へ。
デザートの掻き氷には全員満足。

その後ミスターマスダのマンスリー・コンドミニアムに来て
孫達は宿題の纏め。
お母さんとミセスマスダが宿題のお手伝い。



大体目安がついたようで午後11時ごろ純也君家族は帰っていった。










43 トランプナショナルゴルフクラブ

2009年05月10日 07時04分58秒 | ロス滞在記
5月11日(月)


もう早いものでロスアンジェルス滞在5日目となる。

いつも通り朝は靄か何か曇っている。
11時ごろになると青空が出てくる。
ここの空は大体そんな感じだ。

今日は次男の純也君の助けを借りず我々だけでの行動だ。

昔NYに住んでいたとは言え車の運転や、
外人の中に入っていって遊ぶ事などに多少の緊張を覚える。

お昼ごろドライブを兼ねて早めに出発。
目的地はトランプナショナルゴルフクラブ。





トランプ氏はアメリカで有名なディベロッパー。
5番街のトランプタワーとか国連ビルの前のトランプビルの55階には
ヤンキースの松井君(背番号55)が住んでいることで知られている。

ミネラルウォーターまでもトランプ・ブランドなのには,吃驚!




クラブハウスのレストランでゆっくり昼食、と言っても
クラムチャウダーとベーコン・レタス・トマトのサンドに
高級感を添えて?アボカド BLTではなくBLTA
二人でシェアしても満腹だ。



周りの客は結構高そうなものを食べている、
ゴルフ客ではなく食事目的で来た客だ。
ここは高級レストランにもなっているのだ。


ゆっくりとしたランチの後 さあスタートだ!
アメリカの人の集まる施設には 星条旗が掲揚されているが
ここの星条旗はバカでかい。




2時20分ヒットオフ 1番はカスケード(滝)に向かって打ってゆく。
ここの名物コース。






コース全体の印象は「リンクス」。
ペブルビーチやグァムのマンギラオに似ている。
川奈を少し平らにして距離を伸ばしたと言ったところか。







スルーで回ったが6時半ごろゲーム終了。
日暮れで少し寒くなってきた。

シャワーも浴びず玄関にバレットパークで車を回してもらい帰途に。
チップの払い方も 段々思い出して慣れてきた。



カーナビに導かれ大過なく帰宅。
全部我々だけでやったので気疲れした。

夕食は熱燗のお酒、冷奴、活き海老の塩焼き、ハムサラダ、ご飯と粗食、
でも久しぶりの味噌汁は抜群だった。
クリスタルセレニティの豪華お食事の反動。



疲れたが楽しい一日 ミセスマスダ曰く
「初めてのお使い 老夫婦編」。








44 孫達の小学校

2009年05月09日 22時23分08秒 | ロス滞在記
5月12日(火)



純也君の嫁の三佐さんが今日はこちらの生活を見せてくれるという。

先ず日本風のスーパーMITSUWA 大体日本のものは揃っているようだ。
資生堂、風月堂など多きなブースだ。
鯉のぼりも飾ってある。





ディスカウントのチラシもあるし



アメリカではあまり見られない「ウオッシュッレト」も売っている。




スーパーのレストランは東洋人で一杯、松花堂のような弁当が多い。
日系旅行代理店があったのでローカル観光の情報を仕入れる。
役に立ちそうだ。



そこを出て何はともあれ昼食という事で手ごろな
メキシカンを見つける。
コロナビールとタコスで軽く。



店に居た白人の中年女性のお客に店のオーナーと
記念写真を撮れと勧められパチリ。
アメリカ人はお節介と云うより善意で人がよく親切だ。





そろそろ孫達の下校の時間。
学校はこじんまり、感じのよい担任の中年女性教師が
孫の話や教室を案内してくれる。
お友達のお母さん達も大勢ピックアップに来ている。
我々の事は知れ渡っていて色々ご挨拶を受ける。

教室

運動場

御父さんの顔
「父の日」が近付いているので、そのイベントの一環。

図書館


45 に続く・・・


45 タンジェネス蟹

2009年05月08日 10時13分07秒 | ロス滞在記
44 より続く




学校に迎えにきた御父兄と別れ
孫達を連れて一旦純也君の家に帰える。
途中道沿いの「ジャカランダ」が見事だ。
ジャカランダはシドニー時代から好きな花の一つだ。



家で「おやつ」となるがカープールでよそのお子さんも付いてくる。
賑やかな子供たちのパーティーが始まった。



ミスターマスダは御歳のせいもありちょっとお昼寝。





一休み後 今度は皆を塾に連れてゆく。

車中では子供達が大騒ぎ。
その声を聞いているだけでも疲れてしまう。
お母さんの仕事は車の送り迎え、実に大変である。



今日は純也君家族の日頃を見せてもらうという趣旨、
忙しい中でも生活を楽しんでいる有様がよく判った。



帰り道 三佐さんの良く行くスーパーを案内してもらい
ラズベリー、白アスパラなど購入した後
我がコンドミニアムに送ってもらって今日の行動は終わり。



夕方我がマンションの向かいのマリーナを散策。



写真の白い建物が我がマンション。


この土地名産で今が旬のタンジェネスという蟹の活きているものを
その場で蒸して貰って食べた。
写真にあるような木槌で割って食べるのだが、何とも愉快だった。
1.5キロほどの大きな蟹、4千円ほどだった。



今日は豪華にと伊勢海老の生造りも注文。



サンフランシスコのフィッシャマンズワーフで食べ損なったので
漸く希望が叶った訳だ。

ミセスマスダはフィッシュマーケットで背黒鰯を
ハーフパウンド(12,3匹あった)50セントで買った。
生姜と共に甘辛く煮るのだと、家へ帰るなりクッキングし始めた。

これでは日本に居るのと変わりはない。
いいのかな?

桟橋ではいつもと同じく釣り人が大勢 小型の鯖が釣れている。



おこぼれにあずかろうと「ペリカン」もお出まし。



波打ち際では漁師が「磯蟹」を熊手で捕っている。




人々のいつもと変わらぬ営みのなか
ロスアンジェルス・レドンドビーチは静かに暮れてゆく。