A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

(36)楽しい船上生活

2007年04月11日 09時04分14秒 | 南半球膝栗毛
第18日  2月27日
午前9時 船長の艦内放送で船の現在位置 スピード 天候等など
何時ものように船の状況を知らせてくれる。

今朝は少し寒い。
プール、ジャグジーも「良い湯加減」でお待ちしていますとの
特別アナウンスも追加された。



11時すぎブリッジ(船橋・操舵室)見学。
ハイテク船のブリッジはすっきりしていて大変シンプル。

船内にはこのセレニティ号が訪れた各港から贈られた「盾」が
廊下の壁一面に貼られている。
シドニー港やウエリントン港 サンクトペテル港もあるが
清水港の富士山をデザインした盾を見つけて驚いた。




昼食はクリスタルコートで「グランド ガラ ビュッフェ」
各国のシェフが紹介されお国の料理が豪華に並べられ大いに楽しめた。

今日もセレニティ号は青い海を白波をたてて気持ちよく滑って行く。



午後3時より乗客による「ファッションショー」
店内売店の商品を貸し出し乗客が思い思いのいでたちで出演。
ミスターマスダもモスグリーンのシャツを借りて舞台を歩く。
25人の乗客がファッションショーに参加したが結構好評だった。

5時からは船内オリンピックの表彰式 この7日ぐらいチェス、ブリッジから
ゴルフのパター パドルテニス トライアスロン エトセトラ  
色々のゲームの優勝者の表彰式だ。
船長も出席し楽団も大きな音を奏で大騒ぎ。

夕食はクリスタルダイニング デザートのメレンゲが秀逸。
例によってギャラクシーシアターのピアノとコメディーショーを覗いて就寝。

クルーズも終わりに近づいてきた。
海をよく眺めておかなければ。
デッキに出ると日没が印象的だ。



今日は長い一日だった。
時差調整で一時間時計を進める。




(35)船上運動会

2007年04月10日 06時51分29秒 | 南半球膝栗毛
(乗組員の運動会)
2月26日
船は昨日セントヘレナを出港 ウォルビズベイに向け三日間のクルーズだ。

乗客達の御機嫌を取り結びかたがた
船員達の慰労も兼ねて「乗船員職場対抗船上運動会」が行われた。
勿論 乗客達も出場選手の中に顔見知りの船員を見つけ応援に励んでいた。

チェアーガールも出現 観衆も大騒ぎ。



一糸乱れず統制が取れて”綱引き”しているのは「エンジニア・チーム」。
これなら船のエンジンやメカは安心して任せられるだろう。



ミスターマスダが個人的に応援した「ソムリエ・チーム」。
「舌と鼻」は確かなのだろうが腕力はどうもね。



これはプールに丸太を渡たしその上での「格闘技」。
人と云うものは他人の災難、不幸を ああも喜ぶものか。
船長さんも飛び入り参加で
観衆の期待に違わず目出度く「ドボン」。





(34) ゴッドマザー

2007年04月09日 09時02分35秒 | 南半球膝栗毛
第17日目  2月26日
快晴 船は快調にウォルビズベイに向けて航行中。
我々は朝からプールサイドで寛ぐ。



ママはジャグジーがお気に入りだ。

今日は船員たちの船上運動会。
馴染みのウエイターを応援。
最後は船長さんも出場して大いに盛り上がった。
観衆の乗客も大喜び。

続いて パームコートでアメリカン・ハイティ、
バンド演奏とダンスの午後だ。



今夜はフォーマル・ディ。
クリスタル・ダイニングの入り口の所にある 
ジュリー・アンドリュースの肖像写真の前で記念撮影。



彼女はこの船の「ゴッドマザー」名付け親、サウザンプトンで4年前に
この船を「クリスタル・セレニティ」と命名したそうだ。


ディナーのあとはギャラクシー・シアター(ダンスショー)。

カジノではスロットマシーン、戦果はトントン。








(33)パッティング・コンペティション

2007年04月08日 19時41分39秒 | 南半球膝栗毛
(パッティング・コンペティション)
2月25日
船はセントヘレナを出港 大西洋をウォルビズ・ベイに向って航行中。
また平穏な船内生活が始まった。

この間から「船内オリンピック」が開催されている。
競技種目はデッキ・テニス、輪投げ、ミニ・サッカー、チェス、
フォト・コンテスト、ブリッジ、等など。

船内では「船内オリンピック」の一環としてゴルフ・パティングコンテスト
行われ多数の乗客はお揃いの特性Tシャツを着て参加。

ミスターマスダが3番ホールでホールインワンを出すと
すぐ後でプレイしていたママも同じ3番ホールでホールインワン。
夫婦が連続のホールインワンと大いにはやし立てられた。





最初は順位ボードにミスターマスダの名前があったが
いつの間にか圏外に消えてしまい残念。








(32)南海の孤島

2007年04月07日 11時58分25秒 | 南半球膝栗毛
2月25日 夜
セントヘレナでは久し振りの大型観光船の来訪で
島をあげての大歓迎。

教会では特別ミサが執り行われた。
島の発行している週間新聞では特集記事が組まれた。
フリーマーケットも開かれた。

帰船の為テンダーの船着場に着いた時は
千人位の島民の野次馬が見送って呉れた。
島民にとって我々の寄港は大きなイベントだったのだ。

船内では島のプリンス・アンドリュー学校の生徒達を船に招待し
島を題材にした歌のコーラスを披露してもらう。
この日の為に練習に練習を重ねてきたそうだ。




島で会った少女もコーラスに参加していた。



大変大きな拍手の中を下船して島に帰っていった。
あの子達の将来はどうなるのだろう。

午後4時船はウォルビズベイに向け抜錨出帆。

船内では船内オリンピックの一環としてゴルフパティングコンテストが始まった。
ミスター・アンド・ミセス・ッマスダも勇躍参加。

夕食はイタリアンの「プラゴ」 船窓よりの日没が印象的。

どうでもよい事ではあるが
本場イタリアには無いそうだが
日本にはトマトケチャップをまぶした「スパゲッテー・ナポリタン」がある。
香港や中国南部では「スパゲッテー・ナポレオン」(掌破倫意粉)と
名付けられているそうだ。
この話 本当かなあ!
セントヘレナでは何と言うのだろう。



ギャラクシーのビブラホーン演奏はイマイチ。



ナポネオンの流刑の地セントヘレナを今後再訪する事は無いと思うが
それなりに忘れ難い、印象に残った一日であった。




(31)セントヘレナ

2007年04月06日 11時55分47秒 | 南半球膝栗毛
2月25日  午後
セントヘレナは淡路島と同じぐらいの大きさの島。
島には見るものがあまりなく
英領コモンウエールスなので英本土より総督が派遣されており
ガバナーハウスがあるが,その前庭に飼われている
200歳になるという「亀のジョナサン」
これもこの島の名物のひとつに数えなければならない。




船着場の村と、丘の上にある村をショートカットで結ぶ斜度45度の階段
「ジェーコブの梯子」は699段の階段 とても恐ろしそうで大変そう。
村の若い人はその「ジェーコブの梯子」を昇り降りしているそうだが
年配者はには無理。
迂回路を遠う回りして丘の上の村に行くしかない。
この急斜面の階段を見学して観光は終わり。




ホテルもあるが誰が泊まるのか?



島のメインストリート 建物の裏庭には岩山がせまっている。



島のスーパーや土産物店を見て早々と船に帰る。


島民の生活は自給自足が出来ているようには思えない。
観光業もそれほど観光客が来る訳ではなし
これといった民芸品もなく土産物はみな英本土からの輸入品。

英国政府からの補助金で生活が成り立っているようだが
小ざっぱりした家に住んでおり建築中の建物も散見される。

人口は最盛期の7000人に比べ減って4000人弱 黒人と白人の混血が殆ど。

シャビーだがヨットクラブもあり「ガバナー杯ヨットレース」も行われている。

畑も家庭菜園的なもの漁船もあるが本格的なものではなく
産業と呼ばれるものではない。
船は沖泊めで漁港一つなく荷物ははしけで降ろす。
島の生活について情報不足もあり理解しがたいところもあるが
島の人達の生き甲斐は何だろう。

英国の主権を主張する目的で島民を住まわしているのか。



(30)ナポレオン・ボナパルト

2007年04月06日 09時00分09秒 | 南半球膝栗毛
第16日目  2月25日  午前中
英領セントヘレナは南海の孤島の名に相応しく火山性の緑の少ない
切り立った島で砂浜は見られない。



ナポレオンの流刑の地としてこの島は有名。
まずナポレオンの墓跡、住居などを見学。
この辺り一帯の土地は数十年前イギリスよりフランスが譲渡され
フランス領になっているそうだ。




ナポレオンの住居内部を見学したが
あのベルサイユ宮殿に比べれば掘っ立て小屋の様なもの。
800人の付き人を従えての生活とは言え元皇帝にとっては
随分質素な寂しい生活だったと想像される。



ナポレオンと同じく流刑の身となった
後鳥羽上皇や後醍醐天皇の流刑地 隠岐に行った事を思い出した。

”我こそは新じま守よ沖の海のあらき浪かぜ心してふけ”

後鳥羽院が,隠岐に流された折 詠まれた御歌。
隠岐への道中 海が荒れたと云うより流刑の身の厳しさを嘆き詠んだものだろう。
なぜかこのセントヘレナでナポレオンの身の上と重なり
後鳥羽上皇の御歌が頭から離れなかった。





(29)沖泊め

2007年04月05日 05時56分05秒 | 南半球膝栗毛
第16日目  2月25日  朝
朝8時 英国領セントヘレナ ジェームスタウン沖に投錨 
船の救命ボートをテンダーにして上陸。

セントヘレナには大型船の着く桟橋がない。
沖合いに停泊しテンダーで上陸することになる。

クリスタル・セレニティ号に出会い乗船して以来
船全体を見る機会がなかった。
埠頭からは近すぎて全貌が見れない、
離れた所からは建物とかクレーンが邪魔になり
これもまた全貌がよく見えない。

本日は晴れてクリスタル・セレニティ号 全長250メートルの威容
全貌を心ゆくまで眺める事が出来た。







セント・ヘレナはナポレオンの流刑の島である。
荒涼とした岩がごつごつした島だ。
ナポレオンも沖泊めの船からテンダーに乗り替え
この島へ上陸したのだろう。





(28)ギャレー

2007年04月04日 10時25分03秒 | 南半球膝栗毛
ギャレー(厨房)ツアー
2月24日
本日はクリスタル・ダイニングの厨房見学会に参加した。
昼食が終った後のコックさん達が一休みしている時間帯の見学である。

船上での楽しみは食事なので厨房は是非見てみたい所だ。
乗客・船員の食事を賄うので食材の消費量も半端ではない。
次の寄港地まで10ヶ日間のクルーズで60トンの食材を積み込むそうだ。

朝5時ギャレーの一日は始まる。
見習いを含め115人のコックが一斉に働き出す。
内30人ぐらいは清掃専門だそうだ。
一日の食材の消費量だが
牛肉295Kg
鶏肉385Kg
豚肉172Kg
羊肉68Kg
魚介類340Kg
タマゴ2300個
ジャガイモ227Kg
キャビア3Kg
コーヒー376リットル

菓子工房では7人の菓子職人が働いている。
ケーキ、クッキーその他の甘味類 アイスクリーム・ヨーグルトも自家製だ。
一日の製造量も物凄い。
アイスクリーム193リットル
フローズンヨーグルト51リットル

ベーカリーでは4人のパン職人が24時間交代制で各種パンを焼いている。
毎日 焼く数は
ロールパン2500個
デニッシュ800個
クロワッサン330個
マフィン260個などなど大変な数だ。
















(27)リピーター募集

2007年04月04日 08時58分26秒 | 南半球膝栗毛
第15日目  2月24日
クリスタル・セレニティー号に初めて乗船した乗客だけを
招待した船長主催のシャンペン・パーテーに出席。
リピーターになって欲しいということか。
現在 乗客定員1000名のところ600名強の乗客。
乗客にとっては余裕があってコンホタブルだが
クルーズ運行上はもう少し乗客が欲しいだろう。



船内には百回以上クルーズした人の名前を刻んだプレートが飾られている。



もっとも区間ごとにクルーズはカウントされ世界一周クルーズは
7クルーズぐらいにカウントされるらしい。
クルーズは癖になるらしく今回の同行の仲間も我々以外は皆リピーター
10回以上で割引の特典をもらって乗っている御夫婦もいらっしゃる。

デッキでは今朝も鉛の入ったベストを貸してもらってデッキ一周500メートルを
運動のため早足で何周もしている人達が居る。



今日はギャレー見学ツアーに参加。
115人の料理人が働いているそうだ。
衛生面には大変気を付けて朝昼晩3回天井から床まで清掃している。

船内はオープンエアーのデッキの一部を除いて殆ど禁煙。
唯一シガー(葉巻)を楽しめる専用の部屋がある。
インテリアも重厚、タバコの匂いがしなければリラックス出来る部屋だ。



プールサイドで日中過ごすがママは殊の外ジャグジーがお気に入りだ。
夜のギャラクシーはダンスショー。




(26)モーツアルトの午後

2007年04月03日 08時55分57秒 | 南半球膝栗毛
第14日目  2月23日
11時パームコートで今回の旅行で初めてブラディーマリーを飲む。



午後からは「モーツアルトの午後」、楽団もウエイターも当時のコスチューム。




プールサイドで「ウルトラダラー」を読み終わる。
書き出しの期待ほど終末は面白くなく少し残念。
海水のプールは泳ぎやすい。




ギャラクシーではソプラノ歌手のピアノ弾き語り、ナポリ民謡オーソレミオから
ミュージカルオペラ座の怪人、プッチーニの私のお父さんまで耳に馴染んだ曲。
大変楽しめた。




(25)シャンペン・パーティ

2007年04月02日 07時25分02秒 | 南半球膝栗毛
第13日  2月22日
時差調整で時計を一時間進める。
何か寝不足感あり。

11時半 船長招待によるシャンペンパーティ




ネプチューンデッキではスペイン系のビュフェ パエリヤ、ムール貝など
少し摘まんでみる。

天候も良くプールサイドは心地よいスポットだ。
読書(ウルトラダラー)もだいぶ進んだ。



夕食後ギャラクシーでジョン・コートニーの「ピアノとトークショー」
アレキサンダー・ラグタイム・バンドからプレスリー チャイコフスキーまで
多彩に楽しませてくれた。
話も大体判る?のだが肝心のオチがよく判らない。

観客のご婦人達は昼間の装いとは様変わりにファッショナブルなドレスで
ショーアップしている。






(24)何もする事がない事を楽しむ

2007年04月01日 06時37分16秒 | 南半球膝栗毛
第12日目  2月21日
朝8時 晴れ 海は穏やか 少し涼しい
次のフォーマルデイに備えてタキシード用のボータイをショップで購入。

終日デッキでジャグジー、スイミング、読書、昼寝を楽しむ。




夕食はイタリアンの「プレゴ」。
オソブッコが嬉しい。
サンタモニカとラスベガスに
よく流行っているイタリアンレストラン「バレンチノ」があるそうだ。
「ブレゴ」はそこの出店らしい。




ギャラクシーではダンスショーとフルートの演奏会。
パームコートのバーでジントニックを一杯。
デッキから見る満天の星空は見事としか言いようがない。




(23)プールサイド

2007年03月31日 23時13分39秒 | 南半球膝栗毛
第11日目  2月20
快晴の朝 船は東に転進 南大西洋の真ん中に浮かぶ小島 
英領セントヘレナ島に向かって20ノットで航行中。

これから6日間の航海で船上でのアクティビティーが活発化する。

上陸日やパーティの翌日は船内カメラショップの前に専属カメラマンの
撮ったスナップ写真が掲示され即売される。




上甲板デッキでジャグジ水温40度で気持ち良し。
プールは海水 平泳ぎでパチャ・パチャ。



プールサイドのチェアーで日光浴をしながら
手嶋龍一の小説「ウルトラ・ダラー」を読み始める。



フレデリック・フォーサイスばりの書き出しで興味をそそられる。
午後6時以降はフォーマルドレス。



皆 昼間とは見違えるようにシャキッとしている。
食後ギャラクシーで「ロジャース・ハマーステインのミュージカルショー」
シャル ウイ ダンス のステージが印象に残った。

バー「アベニューサルーン」でマルガリータ 就寝。


 



(22)コパカバーナ

2007年03月30日 04時43分26秒 | 南半球膝栗毛
第10日目 2月19日 午後



アプト式の登山電車で下山。ミスターマスダは乗り物が大好きだ。

帰途ビーチめぐりをしたがコパカバーナやイパネラなどミスターマスダの勝手に作った
イメージとは大分違っていた。

コパカバーナの砂浜海岸には大勢の海水浴客がいるが高級リゾート
といった感じではなく鎌倉と大差なし。
岬を一つ廻ったところレブロン海岸から先はずっと美しい海岸線が数キロに渡って続き、
高級レジデンツとなってる。
我々が,以前より持っいるイメージはこれである。

この海岸の少し先には、山にへばりつくようにしてリオ最大の貧民屈があり、
この格差は、日本のそれとは比ぶべきもない。




海岸線に沿ってホテル、マンション、レストラン、ブティック,土産物店がならんでいるが
目に付いたものはホテル・コパカバーナパレスぐらいのものだ。




午後5時 出港式。
出港の音楽はサッチモの「素晴らしき世界」。

プールサイドではバンド演奏が始まりミスターマスダは
メキシコのカクテルを片手に離れ行くリオの街を眺める。



人の良さそうらブラジル人家族が話し掛けて来てくれて楽しいひと時を過ごせた。
リオの住人だがカーニバルの喧騒を避けてクルーズを楽しんでいるらしい。



カーニバルは地元企業もスポンサーになり当日はお得意先を特別席に招待し
結構商売の「接待」に利用しているとの事。

カーニバルを一番楽しんでいるのは勿論参加している踊り手達。
飲み喰い付きで特等席で見物している招待客。
海外からの観光客。
それらに群がる土産物屋、掏り・ひったくり、から売春婦まで。


ディナーはイタリアン「プレゴ」でオソブッコ。
ギャラクシーでのバイオリン、チェロ、ピアノのコンサートは途中で退席。
船内ショップを見て回ってから就寝。