山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

地元のまつりが始まった

2016-10-22 12:02:53 | 出会い・近隣
 早朝から地元のお宮の注連縄づくりが田んぼ中ほどで始まる。
 膝が痛い人、腰が痛い人、指が硬直している人など、実際に縄を作れる人は限られる。
 集落全員参加とはいいながら、じわじわと頭数が少なくなってきている。
 とはいえ、汗をかきながらも立派な注連縄を作り上げる。
 近くの公民館では女性たちが「直会(ナオライ)」の準備に追われてる。

                         
 同時に、3号玉・4号玉の打上げ花火のセッティングも行う。
 その後、お宮の内外を清掃し、幟を立ち揚げる。
 お昼を挟んで、午後に禰宜さんを呼んで祭事となる。

                         
 祭事の目的は本来、地元の健康・安全・繁栄とを祈願するものだ。
 限界集落に進行していく現実を神道はいかにとらえるのだろうか。
 アニミズムとしての自然崇拝は納得がいくが、神道が民衆の希望となったのだろうか。
 むしろ、権力の安定装置としての役割があった気がしてならない。

       
 仏教・キリスト教と比べて神道は理論的にも実践的にも後れを取っている。
 だから些末な形式にしがみつく。

 夕方から「直会」が公民館で始まる。
 8時ごろから和やかなビンゴ大会・花火・山車見物などが続く。
 
                            
 お宮の隣には手入れされていない茶畑が広がっていた。
 じわじわと浸透する「生きづらさ」にじわじわと対峙していかなければならない。
 当たり前の営みの中に潜む「生きづらさ」を希望に変えるムーブメントが必要だ、と感じ入る一日だった。
 
                            
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする