久しぶりに地元の「文化展」を見に行く。
5・6年前に見に行ったときは、こういう山里にも文化がしっかり根付いていることに感銘を受けた。
都会ではない山里にもかかわらず、日本の文化力はさすがであることを再認識したのだった。
今回の文化展で注目したのは、将棋の駒づくり。
われわれ素人には同じように見える書体だが、駒の書体には16種類くらいあるのだという。
それを再現したのがこの作品だ。
全体的には、福祉施設や高齢者のサロンの作品が多くなっている。
つまり、山里のアーティストの作品がじわじわと少なくなってきている現実がある。
こんなところにも、アートも人も都市に集中・独占しているのがわかる。
中学生や小学生の作品があるからなんとか人が集まることも確かだ。
地域の過疎を文化で克服していく事例は各地にないこともないが、文化を武器にしていくコーディネーターの存在が必要だ。
「東京中心主義」の流れに背を向け「地元主義」を地道にこだわる軍団の存在が求められることを痛感する。
5・6年前に見に行ったときは、こういう山里にも文化がしっかり根付いていることに感銘を受けた。
都会ではない山里にもかかわらず、日本の文化力はさすがであることを再認識したのだった。
今回の文化展で注目したのは、将棋の駒づくり。
われわれ素人には同じように見える書体だが、駒の書体には16種類くらいあるのだという。
それを再現したのがこの作品だ。
全体的には、福祉施設や高齢者のサロンの作品が多くなっている。
つまり、山里のアーティストの作品がじわじわと少なくなってきている現実がある。
こんなところにも、アートも人も都市に集中・独占しているのがわかる。
中学生や小学生の作品があるからなんとか人が集まることも確かだ。
地域の過疎を文化で克服していく事例は各地にないこともないが、文化を武器にしていくコーディネーターの存在が必要だ。
「東京中心主義」の流れに背を向け「地元主義」を地道にこだわる軍団の存在が求められることを痛感する。