原作・遠藤周作、スコセッシ監督の映画「沈黙」を観る。
江戸時代のキリシタン禁制のもと、棄教した宣教師に会いに日本に潜入した二人のイエズス会の神父。
結局は捕らわれてしまうが、そのため隠れキリシタンの村人が拷問にあったり殺されたりしてしまう。

信仰をとるのか、目の前の人間を救うのか、神父の張り裂ける苦悩が迫る。
そんなとき、棄教した先輩の宣教師に出会う。
棄教するのは教会からすれば裏切り者であり背教者でもある。

最初はおどおどしていた宣教師だったが、人の命を選択したところは確信に満ちていた。
その変化と苦悩を俳優ニーソン(「シンドラーのリスト」に主演)が好演。
また、主役の神父の棄教をソフトに迫る「通辞」の浅野忠信の「いやらしさ」がじつにうまい。

江戸時代の背景も民衆もリアルに構成されていて、日本人の手になる映画のようだった。
21世紀の当面している宗教のあり方、その施設・組織の硬直性、宗教の違いによる殺戮、現代に相通じる問いをスコセッシ監督の相克が画面にあふれる。
日本人の自然観、宗教観もよく研究されていた。
背教者の立場の煩悶に焦点を当てた遠藤周作の提起にスコセッシが全身で応えた映画だった。
江戸時代のキリシタン禁制のもと、棄教した宣教師に会いに日本に潜入した二人のイエズス会の神父。
結局は捕らわれてしまうが、そのため隠れキリシタンの村人が拷問にあったり殺されたりしてしまう。

信仰をとるのか、目の前の人間を救うのか、神父の張り裂ける苦悩が迫る。
そんなとき、棄教した先輩の宣教師に出会う。
棄教するのは教会からすれば裏切り者であり背教者でもある。

最初はおどおどしていた宣教師だったが、人の命を選択したところは確信に満ちていた。
その変化と苦悩を俳優ニーソン(「シンドラーのリスト」に主演)が好演。
また、主役の神父の棄教をソフトに迫る「通辞」の浅野忠信の「いやらしさ」がじつにうまい。

江戸時代の背景も民衆もリアルに構成されていて、日本人の手になる映画のようだった。
21世紀の当面している宗教のあり方、その施設・組織の硬直性、宗教の違いによる殺戮、現代に相通じる問いをスコセッシ監督の相克が画面にあふれる。
日本人の自然観、宗教観もよく研究されていた。
背教者の立場の煩悶に焦点を当てた遠藤周作の提起にスコセッシが全身で応えた映画だった。