山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

80年代から戦後は変った?

2019-01-13 08:40:44 | 読書

 しばらくつんどくしてあった、藤岡和賀夫『さよなら、戦後。表現社会の誕生』(PHP研究所、1987.3)をなんとか読み終える。著者は、電通で「DISCOVER JAPAN」や「いい日旅立ち」などをプロジュースして時代を牽引した寵児だ。

 企業戦士だったアリ世代から多様な価値を持つ新人類・キリギリス世代の登場で、日本の社会に大きな波が来たとする。それは自分の楽しさ・美しさにこだわる「感性化」「少衆化」のうねりが時代を「フュージョン化」=融合してきたとする。

           

 「産業社会」のシステムに組み込まれると企業・社会ファーストによる閉塞感が蔓延するが、それを新人類は自分ファーストで乗り切ろうとする。成熟してきた時代の中で、彼らは「物の豊富な消費が楽しいのではなく、その消費によって多彩な<表現>生産できるのが楽しいと思いはじめた」と著者は分析する。

    

 つまり、従来の通念的な贅沢ではない自分の好きなこと、自己中心の自由な「選択性」と、「どんなスタイルでも融合してしまうという厚い多元性」とを身につけて、「<愛=優しさ>と<仲間>と<サムマニィ>」さえあれば楽しいというわけだ。それは経済優先・効率優先の現実に対する「彼らの防衛本能・曲折した感性欲求の秘匿」でもあるとする。

 著者の提起した問題はいまだ新鮮さを失わないが、スラスラ読めるわりには横文字が次々出てきてアリ世代のおじさんはついていけない。また、「表現社会」という意味合いも消化不良のまま終わっている。著者の切り取る時代の動きはマーケテング分析という点では確かに説得力はあるが、それが経済効果とつながるところへと収斂してしまうのがやはり残念。

      

 

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