「春野のきのこ屋」さんから関連する道標の画像が届いた。昨日の三倉の道標の続きがこれなのだ。場所は森町と春野町の境界近くで春野町側の秋葉街道にある。以前、この道標をカメラに納めたもののその価値がよくわからないでいた。
背の高い道標正面には「従是大日道」(コレヨリダイニチドウ)とあり、左側には「霊是山金剛院」とあり、ここから大日山とその霊山にある金剛院への道案内だ。確認できなかったが、右に「安永(癸巳)」と彫られているようで、江戸中期の1773年(ミズノトミ)に建立されたことになる。
その裏側には、「当国豊田郡船明邑/石工・森川伊右衛門吉英」と刻印されている。近郷の船明村(フナギラムラ)の石工が奉納したのがわかる。伸びやかに打刻された道標の字は240年近くたっている現在でも明瞭だ。よく見かける道標の大きさはふつうこれの三分の一くらいだ。そこには職人である石工の心意気がみなぎっている。しかし、2年前に三つに割れてしまって地元では困惑の渦中にいた。そこへ、現代の石屋さんが無償で修復してくれたという。石工どうしの職人気質が昔も今もつながっているのが快い。
この道標近くの茶畑から見た春野の主要な山々が見える。近場の砂川(イサカワ)の高塚山、奥の京丸山と高塚山。東海道から秋葉街道に入り最初に秋葉山を展望できる最初の場所でもあったが、今では樹木にさえぎられている。道標周辺の地域は明治以降「静修」(セイシュウ)と呼ばれてきたが、それ以前にあった「小奈良安」という地名が死語になりつつある。街道沿い(現状は旧道状態)には〇〇屋という屋号がまだ生きており、往時の名残をとどめている。「春野のきのこ屋」さん、画像と情報ありがとう。