お堅い表題の割にはベストセラーとなった斎藤幸平『人新世の<資本論>』(集英社新書、2020.9)を読む。購入した本は16刷を重ねている。確かに読みごたえがあるし、現代の課題に対しても切れ味がじつにシャープだ。いまさら資本論もないだろうとしばらく距離を置いていたが、書評の評判はきわめていいのでやっぱり読むことにしたのだった。
ページをめくると「はじめに」には、「SDGsは<大衆のアヘン>」である」ときた。要するに地球の危機的状況はSDGsをやっている場合ではないほどの事態なのだ、ときわめてラディカルな導入だった。ではどうするのかは、最終章前後に提起される。
若きマルクスは、資本主義の生産力至上主義の行き着くところは社会主義だとした。しかし、未完の資本論では、その考えを変えていったことを最近のマルクス研究は明らかにしつつある、という。つまりは、従来のヨーロッパ中心主義の考えではなく、東洋的な自然と人間とのエコロジーや伝統的な共同体を考察していった、という。
従来の生産力至上主義から「脱成長コミュニズム」への転換である。私見によれば、マルクス主義はソビエトとして歪んで採用されてしまったのが不幸の始まりだった。その歪みはロシア帝国や中華帝国を引きずったまま現在に至っているのは明らかだ。著者はそのへんのことは当面触れずに、気候変動の地球規模の危機を直球で投げかける。
経済成長や景気浮揚はますます格差社会を産むばかりで、後期のマルクスは前資本主義時代からあった「共同体」に注目。その「脱成長」として著者は例えば、「ワーカーズコープ」(労働者協同組合)の可能性をあげた。労働者が共同で出資、生産手段を共同所有、共同管理するというものだ。
オイラも80年代から90年代のころ、協同組合に注目して機関誌をとっていたが理論先行の停滞を感じ取り中断してしまった。ただし、「大地の会」の「らでぃっしゅぼーや」の有機農法野菜などの運動には現実的な革新性を注目している。
斎藤幸平氏は、「資本主義が引き起こしている問題を、資本主義という根本原因を温存したままで、解決することなどできない」とし、「資本主義によって解体されてしまった<コモン>を再建する脱成長コミュニズムの方が、より人間的で、潤沢な暮しを可能にしてくれるはずだ」と対置する。具体的には、社会運動が大切だと呼びかける。
この後半の展開は、もう一冊の本が必要かもしれないが、あまりに性善説すぎて説得力が足りない気がした。自治体の事例としてバルセロナをあげているが、日本の事例がもっと欲しい。そう言えば、革新自治体の教訓はどこへ行ってしまったのだろうか。その解明が急務であるとつねづね思う。
氏の渾身の著作である本書は、出版界・言論界への久しぶりの快挙とも言える問題提起の書であるのは間違いない。