山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

さりげなく六十六部供養塔あり

2016-12-11 22:07:57 | 石仏・石造物
 先日、天竜二俣にある清瀧寺によったときにさりげなく置かれていた供養塔が気になった。
 石像の右側には延亨3年(1746年)10月10日に奉納したことを明示し、「大乗妙典経六十六部供養塔」と印刻されている。
 「大乗妙典経」とは法華経のこと、「供養」とは自分が得た功徳を他者に施す意味がある。
 左側は「南無大悲観世音菩薩」と印刻されなんとか判明する。
 石仏の印刻が見事で菩薩の顔が半分ながらよくできた作品になっている。

 「六十六部供養塔」は、西国三十三所とか四国八十八か所とかの霊場巡りと同じく、六十六か所の霊場を回わった記念塔だ。
 普通の巡礼はコースが決まっているが、この六十六部は一国一か所に法華経の写しを一部ずつ納経していくという。
 ただし、コースや順番は問わないのが特徴だ。

 この菩薩は六道に苦しむ大衆を救う観音様というわけだ。
 左手に悟りを表す開きかけの蓮の花、右手は「あなたの願いを聞きます」というサインの「与願印」を表現している。
 おそらく「豊田郡」の講中が寄付を集めて行者または有志に頼んだものでそれが66か所の踏破に成功したものに違いない。

 一つの野仏にはいろいろなドラマや歴史が凝縮されている。
 その多くは文字が解読できなかったり、石仏の風化が激しかったり、地域によって容姿が違ったりしていてなかなかその意味を掴むのに難航する。
 それもまた修行なのかもしれない。
 合掌。



 
 
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今年初めての忘年会

2016-12-10 16:12:13 | 旅行・散策
 森林コーディネーターが集う「森の案内人の会」と天竜「道の駅」の役員との合同忘年会を行う。
 来年度以降、天竜の「森林散策会」を共催していた浜松市が手を引くこととなり、これから市民が自前で企画・運営をすべてしていかなければならなくなった。

                            
 浜松市は「スクラップ&ビルド」というが、本音はスクラップしかない。
 というのも、市民と行政との協働の典型的な事業だったものだが、実態は市民がかなり主導的に担ってきたイベントだった。
 浜松市の森林を市民といかに守り育てていくかという行政のコンセプトがなかなか伝わってこなかった。

                              
 地元の役所の「地域センター」が「協働センター」へと名称が変更されたが、心配していた通り体質は以前のままだった。
 市長のコンセプトが現場まで浸透しないというか、それを理解する行政マンがいないという実態がある。
 散策会の実施をわれわれ市民がやっていくのは従来通りやぶさかではないけど。

       
 スクラップしたあとで何をビルドしていくのかというコンセプトが行政にないのがやはり致命的なのだ。
 むしろ行政の応援団だった市民グループを結果的に切ってしまう行為でもある、というのを当局はわかっていない。
 つまり、われわれ市民グループと行政との関係が今までとは違うレベルでの連携を強めていくステーションに着いたのではないか、と思う。

                                
 換言すれば、市民グループがそういう提案を行政に持ち寄る段階になったともいえる。
 同時に、連携する部課をわれわれも他局に広げていったり、市民どおしのNPOセンターとの連携も視野にいれなければならない。
 課題はいろいろあるが、今まで通り背伸びしないで前向きに継続していくことがすべてだ。

      
 おっと目の前のご馳走は、天竜二俣の創作料理屋「ぎふや」だった。
 期待通りの創作料理だったがすべては食べきれないほどの量質だった。
 最後に出されたうな重はどうも中国産のウナギみたいで固かったのが残念。

 今年最初の忘年会は次のステップを促す集いだった気がしてならなかった。
 ごちそうさま。幹事に感謝。
 
         
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漱石没後100年を迎えて

2016-12-09 20:41:01 | 意見・所感
 夏目漱石没後100年となるが、このところそれを記念したドラマ・映画・ドキュメンタリーが静かに「上梓」されている。
 ロンドンで見た先進国の繁栄とその裏側、さらには続く戦勝に歓喜する日本の危うさ、それを初めて覚醒した文学者でもある。

                                  
 漱石が抱えていた煩悶と隙間はいまだに問題提起のまま100年を迎えてしまった。
 つまり、同じ問題に解決策を実現できないままの現在がある。

                                  
 漱石のいくつかの小説を読んだもののうわべだけの読書だった。
 「近代の奈落」を内外で見てしまった漱石の憂いを行間から読み取れなかった。
 自虐的に見える諧謔からユーモアとか談論風の風刺しか感じなかった。

     
 経済成長神話は古事記や日本書紀のようにいまだ時代の主流だ。
 しかし経済成長は永遠に続くものではない。
 原発やカジノやTPPなどのカンフル剤を打っても体幹が弱っている。

                                    
 欲望拡大の経済成長ではなく持続可能な「幸せの経済」を具体的に模索するときだ。
 漱石の投げかけた提起に応えていく内発的な生き方を実現していくことだ。
 それがアジアから信頼されていく筋道でもある。

 「遅れてきた青年」日本は、中国・朝鮮という大国に古代からついこの間まで学びながら自己形成してきた。
 その謙虚さ・「学ぶ力」が日本の成長を支えてきた。
 観光立国の狙いは経済面で語られることが多いが、「人間力」「里山」の素晴らしさを充足すべきなのだ。
 といいながら、長い昼寝から起きられない。
 
 
  

                                     
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もし「しも」が来ても大丈夫

2016-12-08 20:45:01 | 農作業・野菜
 朝起て雨戸を開けると一面に霜が降りている光景がいよいよ出てきた。
 酷いときはネギ・ラッキョウ・ニンジンの葉でも萎れてしまうこともある。
 そこで、まずはニンニクの防寒対策を着手する。

                      
 ビニールフィルムで覆うのもいいが、陽射しが強いときは蒸れてしまうこともあった。
 竹のマルチがよさそうなので、竹を伐り出すことから始めなければならない。
 野生化しているキクイモの茎を刈ってきてマルチにしたり、おが粉をニンニクのまわりにまいたりもしてみた。

             
 「チヂミホウレンソウ」と「ルッコラ」も同時に竹マルチでがっちり防寒。
 そのため何度も竹の伐り出しと運搬にじっとり汗をかく。
 チヂミホウレンソウは寒さに強いらしいが、食べるほどまだ大きくはなっていない。

 次は、ニンジンの畝の竹マルチをやる予定。
 おでん大根は早急に収穫して保存の準備が必要だ。
 隣の師匠にずんぐり大根4本を持っていったらとても喜んでくれた。
 
 
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蒼い画布 飛行機雲が 画家になる

2016-12-07 21:21:54 | 風景
 紺碧な空に白いラインが次々描かれた一昨日の飛行機雲。
 案の定、翌日は雨だった。

                         
 上空が乾燥していれば雲が蒸発して消失するが、湿っているとしばらく雲は残る。
 いくつもの飛行機雲が消えないで残ったまま流れていた。
 ラインの幅がだんだんと広がっていき、飛行機雲であったことがわからなくなる。

  
 空の高さが6000m以上でないと雲にならないらしい。
 そんな高さで飛行していることに感心する。

                               
 宮崎駿の最終というアニメ「風立ちぬ」のテーマソングが荒井由実の「飛行機雲」。
 友だちの死をきっかけに作詞したという。
 映画の余韻がユーミンのメロディとともに胸に残っていった「飛行機雲」。

                            
 空の先に見えた飛行機雲を見ただけでも心を動かされる。
 ふつう雲は自然のなせる業だ。
 しかし飛行機雲は人間の便利さの最先端の結果にできたアールデコ風の雲だ。
 
 大地にへばりつきながらときに空を見る。
 飛行雲の行き先はどこなのだろうか。
 生きる羅針盤と同じ方向なのだろうか。
        
 
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紅葉と赤い実探し

2016-12-06 21:07:27 | 植物
 枯葉と常緑のカラーが目立つ季節となった。
 そんななかでナンテン(メギ科)の赤い実はひときわ目立つ存在だ。
 「難を転ずる」とうことで玄関先に植えてあることも多い。
 わが家ではあちこち植えてある。
 白い花は夏の季語、赤い実は秋の季語。

                               
 わが道草山の中腹にひときわ目立つ紅葉の木があった。
 じっくり同定はできなかったが、ハゼノキ・ヤマハゼ・ヤマウルシのどれかである。
 ウルシ科であるのは間違いないが、敏感な人はかぶれるので林業家からは嫌われている。

      
 鳥の仕業か、畑の外周のあちこちに小さいが「ニシキギ」(ニシキギ科)の実と紅葉が見事だ。
 種がオレンジなので錦という名がついたようだ。
 別名の「カミソリノキ」のほうが、この木の特徴をよくとらえている。

                                
 倉庫前の石垣に這っている「ナツヅタ」(ブドウ科)は紅葉してから落葉する。
 通称、「ツタ」と言えばこちらが本家。
 道草山の石垣には常緑の「キヅタ」がへばりついているが、こちらは「フユヅタ」と呼ばれている。

       
 この木の名前がわかる人はかなりのプロフェッショナルだ。
 葉のつけ根から鉤が見えるが、これで絡まって伸びていく。
 この「カギカズラ」(アカネ科)は友人にいただいたものだが、地域によっては絶滅危惧種に指定されている。
 天竜区の山では散策会でときどき発見できるが目立たない。

 植物も冬支度して未来に生き延びようとしている。
 人間だけは愚かな打算で欲望を拡大しようとしている。
 指導者の品性が問われる世紀なんだな。
 植物に学ぶ人間になんなきゃー。
 
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行燈囲いでアジサイ守る

2016-12-05 19:29:56 | 農作業・野菜
                                     
 二度にわたる霜の猛威に春に植えたばかりのアジサイなどが打撃を受けた。
 霜で葉のすべてが落葉してしまったものも少なくない。
 根っこまではやられていないのでとりあえず寒さ除けとシカの食害防止に手を打つことにする。

        
 ナス・オクラ・ピーマンなどに使った竹の支柱をすべて抜いていく。
 いつもならこれを焚き火で燃やすところだが、アジサイの行燈囲いをするために再利用する。
 竹支柱の根元は腐っているのもあるので、のこぎりで斜めに切っていく。

                           
 肥料袋も30枚近く必要だったので何回も倉庫に探しに行く。
 なんだかんだやっと肥料袋を確保できた。
 途中で支柱も足りなくなったので他の畑から支柱を引っこ抜いて補充していく。
支柱も合計で100本くらいは使った計算だ。

          
 この作業はきょうで二日目だったが、なんとか終わりそうだ。
 きょうは飛行機が大空のキャンバスに白銀のラインを引いていく。
 はじめは青い空を鋭く裂いていくがその雲はだんだんと幅広になっていく。
 その飛行雲がこんなに多いのに初めて気がつく。
 さすが月曜日なんだなと空に教わる。 
 
 
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山里の防災訓練にドローン参上

2016-12-04 20:46:56 | 出会い・近隣
 歩いているだけで汗が出る好天気、山里の防災訓練が午前中にあった。
 山林火災があったということで、川の水をくみ上げる。
川の水は澄んでいたし、渓谷の紅葉も見られる。

                         
 ホースは8本くらい使っただろうか。
 山里にある小さな山までホースをつないでいく。
 放水は山の上のほうでやっているので見えない。

                            
 川で汲んだ水は防火水槽に入れてそれをポンプでさらに山側に汲み上げる。
 手慣れた作業であっという間に準備も放水も片付けも終わってしまう。
 山里のスキルの高さに感心する。

      
 時間があるので、災害のとき力を発揮するドローンを見ることになった。
 こんな近くでドローンを見るのははじめてだ。
 近所が保有しているドローンは空中の農薬散布の技術が生かされているようだ。
 過当競争が熾烈でドローンだけでは食べていけないという。
 
       
 高さは100mも上がると小さくて見失うほどだ。
 災害をうけたときに困るのは情報がなくなることだ。
 そんなとき災害の範囲や現状の情報があると安心だ。

 その後、アルファア米などの炊き出しと豚汁をいただいて解散となる。
 昨日集落の忘年会があり男性の幾人かは午前3時近くまで飲んでいたというから、きょうはかなり眠かったに違いない。
 しかしいつものように粛々と作業に従事している山里のタフさに舌を巻く。        
 
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宇宙イモも霜にはかなわない

2016-12-03 18:42:26 | 農作業・野菜
                                   
 9月頃にはビー玉ほどだった「宇宙(ソラ)イモ」もげん骨くらいに大きくなっていく。
 ヤマノイモの巨大ムカゴというイメージだ。
 葉もジャンボな大きさ。
 その「ソライモ」も霜にはかなわない。

                             
 立ち枯れ寸前に急いでソライモの収穫を終える。
 大きさはまちまちだが、炊き込みご飯はどうだろうか。
 とりあえず、味噌汁の中に入れて食べてみたらムカゴに似ている味だった。
 粘りがヤマノイモのムカゴよりやや少ない感じだった。

           
 以前、和宮様が天ぷらにしてくれたのがおいしかったのを思い出す。
 素揚げしてもいいかもしれない。
 虫もつまみ食いしている。
 食欲のイメージが秋の宇宙をめぐる。
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鬼瓦を塗ってみる

2016-12-02 21:16:03 | アート・文化
 プルシアンブルーのような「ベロ藍」が天を覆う。
 やっと秋空が続いた。
 屋根を見ると雨露もなかったので、急遽屋根のてっぺんだけをペンキ塗りしてみる。
 水の文字マークが中央にあり、火災防止の願いがこもっているよく見る鬼瓦だ。
 鬼瓦のルーツは、シリアのパルミアからシルクロードを通って中国・日本へと伝わったらしい。

                             
 「髭張り雲」型の鬼瓦の「雲」は、天候を表し、自然災害の被害防止の願いがあるらしい。
 中央の家紋は「丸に剣・カタバミ」。剣は武士出身を表示しているという。
 鬼瓦は棟の端から入り込みやすい雨水防止の意味と飾り・魔よけの意味がある。
 家紋と同じく、お寺に多い豊富な鬼瓦の種類に日本人の技術力・美的センスに驚く。
 鬼瓦と棟を塗っただけなのに、ペンキの量はかなり使った。
 
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