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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

スローライフを広めた辻信一さん

2017-01-21 20:12:23 | 読書
 ブータンや南米など辺境の地を訪ねてそこに現代が失った大切なものを発見していく旅のエッセイをまとめた、辻信一『ナマケモノ教授のぶらぶら人類学』(SOKEIパブリッシング、2012.8)を読む。
 本書に再三「下向きに、後向きに」という言葉が出てくるが、その理由は、「現代の宗教と化した<経済>なるものの絶対性を引きはがして、他にもいくらでもある選択肢のうちのただひとつにすぎないことを示したい」とした。

                                
 前へ前へという姿勢が近代社会を貫いている(鷲田清一)という言葉を引用して、「そもそも時間を直線的なものに見立てて、生きるということをひとつの方向へ向かうことであると考えるのも、思い込みである」とする。
 その結果として、「現代社会の特徴を一語で表せと言われたら、ぼくは<過剰>と答える。

           
 「過剰を引き起こしてきた<上向き・前向き>志向は、……<ファスター(より速く)、ビガー(より大きく)、モア(より多く)>という現代経済中心社会の真言(マントラ)に対して、ぼくが掲げるのは<スロー・スモール・シンプル>というSで始まる三つの美しい言葉だ。」
 そこには、「豊かなはずの日本人があまり幸せそうでないのはなぜ?」の答えを提起している。

                                         
過剰を支えているのは「すること」の過剰=忙しさ、それをほぐしていくのが本書『スローライフのために・しないこと』(ポプラ社、2009.12)だ。
日本は明治以降列強に追いつこうと「頑張り」、戦争までして敗戦を迎えるも「頑張り」で豊かさを手中にした気でいる。
しかし、「多くの人が喜びよりストレスを感じ、うつうつとしている。がんばり、がんばり過ぎて、息苦しい社会を作りだしてしまったのではないか」と問う。

          
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霜のなかゴボウを掘り上げる

2017-01-20 20:23:33 | 農作業・野菜
 地上の葉はとっくに枯れているが根っこがあるのを当局は知っている。
 ひょろひょろだったゴボウだったので手をつけなかったが、地下組織は拡大しているはず。
 スコップとツルハシで掘っていくが、けっこう深い。

                              
 深く掘るにはツルハシの出番だ。
 大きな石も出てきた。
 意外に真っすぐだったので掘り出して測ってみると、54cmもあった。

                              
 土の表面には霜がやってきていたが、陽射しは暖かい。
 夕飯に小さいゴボウを煮込んでうどんも入れて食べたら意外に柔らかく香りがゴボウ。
 外水道は凍っていて水洗いできないので泥を落とすのが面倒。

        
 残念ながら真直ぐな根は少なく、ほとんどがいじけていた。
 やはり石ころだらけの畑は嫌だったに違いない。
 50cmも掘るのはこちらも辛いので勘弁してくれ。
 少しづつ広げていくことは約束しよう。

 前歯を抜いてきて今は歯抜けジジイとなり、ブリッジをすることになった。
 入れ歯寸前の口内事情の現実が迫る。
 だから、うどんにしたのだ。
 
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床下換気口づくりまずは一段落

2017-01-19 21:11:20 | 屋外作業
 あと一ヶ所の換気口を作れば、全てが設置完了となる。
 ただし、昔ながらのものがあと三つあるので、正確にはそれを作り直せば完成に至る。
 そろそろ、木材の端材も少なくなってきたのでいろいろ探し回る。

                               
 手元にあった換気口が使い終わっていたので、ネットでステンレスの換気口を購入する。
 経費がかかったのはこの換気口とネジだけだった。
 問題はこれをどう設置するかだった。
 

                                   
 今までのプラスティック仕様の形状とは違うので発想を変えなければならない。
 たまたま端材の中に溝がある木材があったので、「これだ!!」と決めつける。
 換気口を上下に溝あり端材で挟んで換気口の周りを角材で囲むことを想いつく。

   
 長さが短かったのであとは今までの失敗を糧にスムーズにフィットする。
 場所が石だらけなので足場が悪い。
 定着して以来積年にわたって気がかりだった一仕事がやっと終わろうとする。

                     
 偶然にも三ヶ所とも換気口の種類が違っていた。
 いちばん苦労したのは柱石に合わせて木材を切ったことと木材の厚さ・幅・長さが一致する端材を見つけることだった。
 捨てられていた端材に合わせて作ったと言ってもいいかもしれない。

                                    
 なんといっても、捨てられていたエアコンのカバーらしきものを拾ってきて換気口にしたのが快感だった。
 捨てる消費文化から生かす文化にこだわりたい。
 これは「断捨離」の行き過ぎへの挑戦だ。

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往時の息吹が残っている犬居「熱田神社」

2017-01-18 21:04:55 | 歴史・文化財
 天竜の「犬居」と言えば、秋葉詣でのベースキャンプであり、旅館を中心とした街並みが残されている。
 そのはずれに、杉の大木に囲まれた「熱田神社」がある。
名古屋にある「熱田神宮」は伊勢神宮に次ぐ格式の神社だ。
 注連縄は横一直線となっていて、竹が心棒になっているらしい。
 本殿や境内を細かく見ていくと手の込んだ様式や奉納がなされているのがわかる。

                                    
 石の鳥居は大正九年(1920年)に「犬居青年団」が教育勅語渙発(カンパツ)三十年を記念して奉納したものだ。
 「渙発」とは水が散るように四方に詔勅が発布するという「ありがたい」お言葉なのだ…。
 教育勅語は「国民の忠孝心」が「国体の精華」であるとして戦前の戦時体制を精神的に支えてきた道徳訓。

       
 境内には鳥居をはじめ多数の「常夜灯」が林立していて往時の隆盛がうかがわれる。
 その多くが大正時代であるのも注目だ。
 その要が「青年団」だったわけで、一人前になっていく地域の学校でもあった。
 わが集落の団塊世代前後のおじさんたちは、祭りのときの演劇上演や青年団どおしの交流の想い出を熱っぽく語るのには、そうした理由がある。
 現代にはこうした一人前になるシステムが喪失しているので、幼稚なおとなを輩出しているのが現状だ。

                                       

 境内には「御供米田 2反9畝21歩」と刻印された伊藤一郎さんの寄進の石碑もあった。
 「犬居の祭り」というホームページには戦前から現在までの写真も見られる。
 それほどに地域では大切にされている空間でもあるわけだ。
 しかし、祭りの担い手がいない痛みを持ちながらのスレスレの生命線と対峙している現状にある。
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秋葉山と天狗

2017-01-17 19:51:06 | 歴史・文化財
 一昨日の「森林散策会」の犬居城への入り口近くには、小天狗と高下駄のオブジェがあった。
 秋葉信仰には天狗は欠かせない。
 もともとは神社ではなく「秋葉寺」(シュウヨウジ)の寺院のほうが奈良時代から江戸時代まで中心的に信仰されていた。
 それが明治の神仏分離令や神道が国家神道に採用され、また寺の内部抗争などもあり、明治6年に廃寺となる。
 そのとき神社関係者などにより建物や調度品などが破壊・廃棄されたらしい。

                                    
 その後、明治13年に秋葉寺の再建が許可されたがダメージはいまだに大きい。
 信州戸隠出身の「三尺坊」は実在の人物らしいが御所の火事を天狗姿で鎮火させた伝説が有名だが、詳しいことはわかっていない。
 その彼が白い狐に乗って秋葉山にやってきたという。
 飛来した時に気田川でステップして秋葉山に降臨したときに残された高下駄の跡と同じサイズのオブジェだそうだ。
 それ以来、秋葉山と天狗がつながり春野町が「天狗の里」になったわけだ。

       
 秋葉神社下社の入口の案内板の上にも小天狗が遊んでいた。
 高下駄の小天狗とかたちがそっくりだがよく見ると微妙に違うのがわかった。
 どこが違うかわかったかな?

 秋葉神社の華麗さと秋葉寺の静寂さとが歴史の波乱とリアリティを語っている。
 それは仏教と神道の歴史と現在を根底から問うているように思えてならない。
 
         
 
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ダルマストーブいよいよ始動

2017-01-16 18:55:37 | できごと・事件
 この冬いちばんの寒さだそうで、どうりで寒さがこたえる。
 そのため、きょうからダルマストーブを使うことにする。
 それには薪が必要だが、今まで薪を作る余裕がなかった。
 道草山に伐採して転がっているコナラで薪づくりに追われる。

                                 
 一発で火が点き快調に土間が温まってくる。
 隣の居間にはそのエネルギーがいま一つだが、灯油ストーブはつけないでいられる。
 火力が勿体ないのでダッチオーブンに入れたサツマイモをストーブのうえに置く。
 昼食にはさっそく焼き芋が主食になる。

         
 調子にのってこんどはカボチャを焼いてみる。
 これもすぐできて、夕飯の主食となる。
 お湯を沸かしたり、ふろふき大根を温めたり、自然エネルギーが大活躍。
 最後は茹で卵でしめる。

                                   
 ゼロ円エネルギーで食事とささやかな暖をとり、そのうえ、道草山が少しづつきれいになっていく。
 この薪ストーブは現金の出入りはないので価値がないように見えるが、この行為と結果は手応えがある。

 「なまけもの倶楽部」の辻信一さんの言葉。
 「20世紀のぼくたちは、豊かさを求めていろんな「もの」を手に入れ、
 多くの「こと」を引き起こしてきた。
 しかし、それらを得るために、ぼくたちが今
 失いそうになっているものもいっぱいある。」
 
 

                               
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山城に突入する

2017-01-15 20:55:28 | 旅行・散策
 徳川軍と武田軍とが激突した山城・犬居城を訪れる。
 城下からも山城がしっかり見えるが、あそこまで本当に歩けるのか不安になる。
 昨日雪が降ったのにこのあたりの積雪はほとんど見られない。
ただし、雪のせいで寒風が刺す中での山城突入の森林散策会である。

                                
 まずは麓にある秋葉神社の下社に行く。
 そこには奉納された日本一の「十能」「火箸」があった。
 火の神である秋葉山に技術向上と作業安全を祈願した鉄工所からの寄進だ。

     
 境内には赤石で固めた「手水舎(テミズシャ)」があるのが秋葉神社らしい。
 一般的な手洗い所は石をくり貫いたりコンクリートだったりするのがふつうだ。
 静岡北遠にある南アルプス赤石山脈の赤い岩石なのに違いない。

                                     
 
 山城ルートはアップダウンが激しかったが、杉木立が寒風をふせいでくれた。
 前日の雪にもかかわらず、40人近くの参加者があった。
 みんなけっこう健脚であっというまに頂上・展望台に着く。

                                    
 頂上には宝歴2年(1752年)奉納された役行者の石像があった。
 ということは、廃墟になった犬居城のあとを修験道の修行場所に利用されたことになる。
 奉納願主は、河村新左エ門ら河村家の名前が刻字されているが剥落がありよく読み取れない。

 わが家に着く帰り道ではまた小雪が降ってきた。
 作業しようと思っていたがとてもやる気が起きない寒さだったので、すごすごと「おこた」の世話になる。                                
                             
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初雪や 枯野の畑に 息吹あり

2017-01-14 22:12:38 | 風景
 朝起きて雨戸を開けたら一面の銀風景。
 初めての積雪だった。
 うらさびれた褐色の畑に胡粉の雪が舞う。

                              
 予報では午前中で終わるはずの雪だったが、さすがの中山間地とあって夕方まで降り続いた。
 これをチャンスとばかり炬燵に出入りしながら、パソコンの周辺機器をいじっていたらパソコンが動かなくなる。
 パソコンのガイドブックやマニュアルを見たがまったくわからない。
 これだけ発達しているIT産業なのに、シロウト利用者の立場を理解しない傲慢さに腹が立つ。

       
 7時間くらいかかってやっとブログの書き込みに成功する。
 なにせ業界用語がわからないからテキトーにクリックしてしまうと迷宮に入り込む。
 ケーブルを入れ直したりするだけで一歩解決できたりもした。
 初雪のおかげで仕事が増えたが整理できたこともあった。

 明日は森林散策会があるが、アイスバンが怖い。
悔しいから一句読む。
「初雪や 枯野の畑に 息吹あり」
 
 
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冬将軍にはヒートテックの下着で

2017-01-13 20:00:36 | 特産品・モノ
 北国の大雪はどこのニュースでもトップを飾るほど深刻だ。
 遠州はときどき小雪や小雨が競いあいをしているが、積もるほどではない。
 天竜の街に出かけるので娘から贈られたヒートテックの下着で防御する。

                                
 もちろん、2003年から発売して1億枚以上を売り上げている「ヒートテック」だ。
 東レとユニクロとの共同開発した商品(ベトナム製)だ。
 体から蒸発されるエネルギーを繊維に吸着して熱エネルギーに変換するという。

                                
 タイツは中国製なのはちと気になるが、着てみても確かに暖かい。
 それに動きやすいフィット感がある。
 おかげで外の寒さをあまり感じないまま過ごすことができた。

      
 「超極暖」のウルトラウォームの長袖(ベトナム製)は、極寒の環境にも耐えられるというのでこれはもっと寒くなったときに着る予定だ。
 そういえば、自分の親にこういうプレゼントをしていなかったことを想いだす。
 明治生まれのその親はしばらく「打倒」の対象だったからかもしれない。
 もちろんその親はとっくに三途の川を渡ってしまった。
 しまったー。

                                  
 出かけた帰りに友人からジャンバーをいただく。
 帰りにそれをずっと着ていたがこれも裏地が優れていてとても暖かい。
 おかげでいただきものを身にまとってときどき襲う冬将軍にびくともせずに帰還できたのだった。
 合掌。 
   
 
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暮らしの中に生きる基軸を/花森安治の伝言

2017-01-12 20:29:45 | 読書
 朝ドラで「とと姉ちゃん」が大反響されて終えた。
 その大橋鎭子とともに『暮しの手帳』の編集長・花森安治の生涯が魅力的だ。
 まずは彼の言葉を集めた『花森安治・灯をともす言葉』(河出書房新社、2013.7)だ。

  「色と限らず、美しいことについての 感覚のまるでないひとたちが、
   日本の政治や経済を 動かしているところに、
   いまの世の中の不幸がある。」

                              
  「戦争に負けてみると、 実はなんにもなかったのです。
   暮しを犠牲にしてまで守る、 戦うものはなんにもなかった。
   それなのに大事な暮しを 八月十五日までは とことん軽んじてきた、
   あるいは軽んじさせられてきたのです。」

 花森は、満州に従軍しその後「大政翼賛会」に勤務して、「ぜいたくは敵だ!」という標語を広めたらしい。
 死んだ戦友や戦時体制を担った負い目が戦後の生き方、つまり雑誌編集の原点になっている。

         
 『暮しの手帳』の表紙を描いた斬新なデザイン、当時としては度肝を抜く女装、徹底した「商品テスト」、庶民の暮しに寄り添った記事・写真等々、雑誌が人々の生活スタイルを変えた。
 津野海太郎『花森安治伝』(新潮社、2016/3)は、そうした花森の戦前戦後の伝説的生涯を克明に描いていく。
 ファッションにもこだわる花森は、サラリーマンのほとんどが背広を着ていることを疑わないのがおかしいという。
 同感だ。
 国会議事堂に入室する男性は背広とネクタイが絶対条件となっているのもおかしい。
 いっそ、和装にすれば日本的じゃあないか。
 ノーベル賞をもらうときも燕尾服というのも違和感がある。
 まだまだ、傲慢な西洋中心主義ははびこりそれに拝跪することに不思議と思わない現状がある。

                    (画像は氏のツイッターから)
 花森の真骨頂は、現在の奴隷根性から解放され、再び戦争に巻き込まれないようにするには、自立した暮しを豊かに生きるということにつきる。
 暮しの中の美、調度品の機能美、自然の美しさ、セルフビルド、家庭料理等々、それらを感じる感性と実行するスキルを提起する。
 
          
 津野さんは「あとがき」で次のように書いている。
 「まちがったあとも人は生きる。 生きるしかない。 そこでなにをやるか。
 日本人の暮しを内から外からこわしてしまう力、具体的にいえば戦争と公害には決して加担しない。
 できるかぎり抵抗する。それがいちどまちがった花森のあらためてえらんだ道すじだった。」

 「まちがったあとをどう生きるか。 まさにその人間の生地があらわれる。
 花森の時代も私の時代もそうだった。
 これからもきっとそうだろう。」と結んでいる。

 終戦直後の花森の決意は雑誌とその生き方に表現されているが、怨念のような彼の言葉を受け止める主体にならなければとあらためて思う。
 



 

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