goo blog サービス終了のお知らせ 

山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

投げ入れ活け花より一輪の花!?

2020-04-10 20:43:26 | 自然観察

 昨日収穫したたっぷりの大根の花を捨てるのがもったいなくて、ポリの一斗缶に投げ入れる。しかし、白い花だけではパッとしないので、同じく巨大化した小松菜の黄色い花を一緒に入れてみる。すると、そこそこ重量感のある活け花となった。人工的な感じというより周りとの違和感がない。見る人がいないので自己陶酔の世界に浸ることになった。

           

 一方、散歩に出かけたときの崖の壁に「クサイチゴ」の花が咲いていた。この実は意外に甘いが、多めに収穫して一気に食べるとさらにうまい。花をじっくり見ているとシンプルながらなかなか品格がある。

              

 拡大して花をみると、花粉が見えたり、オシベ・メシベもしっかり見える。これ自体もなかなか芸術的だ。クサイチゴのたくましさはここの「しべ」の多さにもあることに納得する。

     

 葉も茎も毛が多い。棘もいくつかある。これで外敵から身を守るわけだ。花びらの皺も風情がある。投げ入れ活け花の迫力もいいけれど、一輪の花もオイラの尖った心を癒してくれる。      

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後の2本を収穫して

2020-04-09 22:04:51 | 野菜・果樹

 この白い花はなんの野菜!? これはこれでなかなか絵に成る。本当は1月末頃が収穫だったが、相変わらずぐずぐずして4月に突入してしまった。珍しくいつもより比較的失敗が少ない大根群落だった。

              

 地上部だけでも寒冷紗を突き抜けて1m近くもあった。本体もずっしり重く、食べられないことを覚悟していた。包丁で切ろうとしてもなかなか切れないほどだった。しかし、皮を厚めに切って大根おろしにしたら辛みもなくおいしかったのでホッとする。

             

 もう1本のはとても食べられない代物となっていた。成長が悪かったことは確認済みだが、なぜこれだけ割れてしまったのかはわからない。

 

 これで大根は終了。おでんや大根おろしを中心に大活躍してくれた。量がもう少し多ければ「たくあん」にしたかったけど。それは次回の機会にしよう。今年度の野菜作りは失敗がいつもより少なくなってきた。土壌がやっと有機質や微生物が多くなってきたことを実感する。まだまだ土壌が硬い場所もあるが全体的には軟らかくなってきている。バイオトイレの屎尿・生ごみ・草木灰・枯葉などが分解し、着実に微生物と共に養分となってきているのをちょっぴり感じている。この土地が大昔河原だったこともあったようで、まだまだ粘土質と小石まじりの畑であるのは変わりないが、10年間お付き合いしただけの歩みが感じられる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テントウムシではなかった

2020-04-08 20:36:44 | 生き物

 加齢のせいか眼がずいぶん悪くなった。そのせいか、先日模様がきれいなテントウムシがいるなとカメラを向けたが名前がわからない。図鑑で見たが全く出ていない。新種を発見したかとワクワクしたものの。

   

 甲虫の項で図鑑を見ていたら、「イタドリハムシ」(ハムシ科)であることがわかった。ちなみにふつうに見られるということだった。ということはきっと、このハムシをうかつにも今まで「テントウムシがいるな」くらいにしか見ていなかったということに違いない。

             

 そう言えば確かに、体の翅に並んだ「点刻」があるのと、触覚の髭が鋸状であるのが確認できる。もちろん、黒字にオレンジ色の模様が丸ではなく雲状だ。名前の通りイタドリを食草としているということだが、行者ニンニクの葉で日光浴をしていた。ハムシは6mmくらいが標準だが、このイタドリハムシは9mmくらいで仲間の中では大きい。イタドリハムシは害虫ではないが、仲間のウリハムシの食害は大いに被害を被っている。      

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

布製マスクが娘から届く

2020-04-07 21:42:48 | 特産品・モノ

娘の職場もコロナの影響で中断となり、忙しい時空に解放されたようだ。その時空を利用して、得意のハンドメイドを駆使して手づくりの布製マスクを知り合いに配っているという。

  

 その娘からついにマスクがわが家に届く。さっそく着けてみるといい具合にフィットする。ミシンの扱いも手慣れているようだ。

       

 耳にかけるゴムも円筒状の布製ゴムを半割したものできつくない仕上がりとなっているのがいい。模様もマスクの自己主張を抑えた柄にしてある。

       

 マスクの端は袋状になっていてその中に不織布やガーゼなどを入れられるようになっている。こういう仕様ならもっと前から商品化されていても良かったように今にして思う。

   

 前々から、使い捨てマスクに疑問を持っていていつもは布製ガーゼのマスクを愛用していた。ところがいつの間にかガーゼマスクは商品棚から消えていた。あったとしても給食用の小学生マスクだった。仕方がないのでそれを使っていたが、学年と名前を書くようになっているでないか。学年はというと、あぁ高齢者マークを付けた学級になってしまう。もちろん署名は拒否しているけどね。

 娘もわが過疎地へ疎開してくれば、農作業の援農となるし、親の「この顔」を見せてやれるのだが。今は親孝行・その1に感心して感謝するばかりなのだ。 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山吹を山に植えていく

2020-04-06 20:56:46 | 野外活動

 歩道にはみ出たヤマブキのヒコバエを貰ってきて2年がたっただろうか。そのままだと、踏みつぶされ駆除される運命のヤマブキを救出するというのが建前だが、何を隠そう前々からヤマブキを裏山に植えたいなーというのが本音だった。渡りに舟で、掘り起こした小さなヤマブキをポリポットに植えていたというわけだ。それがずいぶん大きくなってきたので、またもや慌てて裏の道草山に植えることにする。

  

 山の急斜面をツルハシで掘ろうとするが、ツル植物が邪魔して溝がなかなかできない。こんなときは鎌が役に立つ。それでも次々土からツル植物の根っこが縦横無尽にぶつかる。やけをおこさないようのんびり駆除していく。 荒廃地はツルとの格闘であるのは経験済みだから粛々と作業を進める。ツル植物は山のすべてを縛っている気がする。それほどに手ごわい生き残り戦略巧みな猛者でもある。

  

 掘り起こした溝にヤマブキの苗を埋めていく。そこにいただいたバーク堆肥も施し、水をあげる。約20本近くのヤマブキを植える。これで初日が終わる。道草山から見える山並みが美しい。久しぶりに達成感があったので、残りのもう20本ほどの苗も翌日に植えることにする。

 

 上から撮ってみたが、急峻な斜面の臨場感がなかなか表現できない。転んだら結構な速さで下まで落ちてしまう。したがって、慎重な姿勢で3列に植えていくことにする。久しぶりに汗をかく。

                 

 すでに花が咲いてしまっている元気な山吹もあったが、他は咲いてくれるかどうかはわからない。水やりも車で運ぶしかない。この急峻な斜面を数年後には山吹の絨毯になってくれることを夢見るばかりだ。

 

 合計40本近くのヤマブキは、オイラの粗悪な扱いにもかかわらずこれだけ生き残ってくれたから、これからはのびのび根を張ってもらいたい。しかし、あけび・コボタンズル・クズ・野イチゴ等の植物に翻弄されると成長が止まってしまうか、壊滅してしまう。

 いつもより腰を使ったせいか疲れが出ているが、脚に難があるオイラとしては二足歩行の原則を確保していかなければならない。さらに、畑がすっかりお留守になり、またまた遅れてしまった。あすから、耕運機が修理からもどってくるので後れを挽回しなければ。春はなんと人間をいそがせるもんだ。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地紅茶が注目されている

2020-04-05 15:05:33 | 特産品・モノ

 先日、町内にある「うの茶園」を訪れ、自前の新工場でできた紅茶を購入。農薬不使用・有機質肥料による栽培を基本に、台湾に出かけて学んできた経験を活かした「和紅茶」を作っている。

            

 ダージリンと紅ほまれを交配した「べにふうき」を紅茶にしている。封を開けてさっそく急須に入れて飲んでみると山で作られた渋みの少ない甘味とフルーティーな香りが伝わってくる。わが家では自家製のショウガパウダーを入れて「うの紅茶」をいただいている。

 紅茶は、「 茶摘み → 陰干し(萎凋) → 揉捻(ジュウネン・揉みつぶす) → 発酵→ 乾燥 → 完成 」という流れで作られる。

          

 図書館で借りた、藤原一輝監修『ニッポンの地紅茶/完全ガイド』枻(エイ)出版社、(2019.10)には、全国の地紅茶生産者が紹介されている。最近は「和紅茶」というネーミングも広く使われはじめてもいるが、「地紅茶」は民間のお茶生産者主導でネットワーキングされているのが特徴だ。地紅茶生産地は560か所になっているという(2015年現在)。

 

 本書によれば、「地紅茶」という呼び名は、1998年鳥取県大山町で生まれ、2002年には第1回全国地紅茶サミットを主催している。したがって、昨年で18回のサミットを迎え数千人規模になっているという。その興隆の理由は、緑茶の低迷による茶畑の荒廃・日本のお茶文化の衰退を何とかしようという危機意識や地域おこしの表れでもあるようだ。「地ビール」のような地域の特産物になっていく可能性に満ちている気がするが、マスコミの反応は相変わらず鈍い。生産者の地道な努力を大いに応援してほしいものだ。

   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワラビ発見、イチゴの花も

2020-04-04 21:27:31 | 野菜・果樹

 裏の畑でワラビを今年初めて発見。ちょうど食べごろだけど、まだ量が足らない。ワラビの優れているところは収穫してもあとからどんどん芽が出てきてくれることだ。しかも、肥料もいらず、放任していてもしっかり育ってくれることだ。オイラのグータラ農業にピッタリの食材だ。ただし、アクをとるための灰を用意しておかなくてはならないので、焚き火は欠かせない。

        

        

 ワラビレシピとしては「お浸し」がいちばんうまい気がする。アクを抜いてから鰹節や醤油マヨネーズにだし汁をかければそれだけで食が進んでいく。これからの時節、裏山にかけてのワラビ採りが楽しみになる。コロナ戦と闘っている都会人は今こそ田舎に疎開するのが賢明ではないかと痛切に思う。「書を捨てよ、街にではなく田舎に出よう」と。書はとっくに捨てられているけど、書ではなく「スマホを捨てよ、田舎に出よう」こそ寺山修司君の趣意ではないか。そのためにも、街は都会人は田舎とつながっていることが大切なのだ。     

       

 鉢に植えていたイチゴが勝手に飛び出して花を咲かせてくれた。野生化していて肥料もないので大きな実は期待できないが。雑草と混じっているところがワイルドだ。意外に丈夫なのがイチゴだが、期待が大きすぎると失敗する。「いつのまにか、イチゴが成っているよ」と言って、つまみ食いするのがいい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボクの前に道があるが…

2020-04-03 21:09:51 | 風景

 ソメイヨシノは幾たびかの挫折や環境の激変を越え、今年も精一杯の満開を伝えてくれた。近くのこの狭い国道は、朝鮮人たちが日本人の差別的視線と言動に耐えながら汗を流し建設にかかわった道でもある。地元にとっては、都市と山里とがやっとつながってその便利さに狂気の大喜びをした道だった。しかしそれにもかかわらず、山里の暮しはじわじわとさびれていく歴史でもあった。そんななかでも、村人たちは丹念に希望の桜を植えてみたのだった。今ではそろそろ寿命の年齢に達しようとしている桜だ。花見をする人影もなく、車だけは忙しそうに通り過ぎていく。

  

 学生たちが東京から泊まり込みで設計・施工したという知人の庭はすっかり老熟したような自然体を見せてくれる。鉄路を乗せていた枕木も今では雑草や花たちと静かな絵画となっている。この道の先には東屋が待っている。そこで幾たびも話を咲かせ、まわりにみなぎる山野草を楽しみ、果樹を収穫する汗を喜び、野外料理をたしなみ、希望を共有してきた場だった。

 しかし今では、その歓談の交響曲もすっかり消え、貴重な山野草も盗掘が繰り返される庭となってしまった。それでも悔しさを叩きながら新たな山野草を植え付けるかくしゃくとした媼がいる。そうした運命を繰り返してきたその庭の道。訪れる人が絶えなかったその道の行末は何が待っているのだろうか。希望の聖火を灯し続けてきた媼の情熱は誰が引き継ぐのだろうか。ときおりそこの庭を訪れるたびにその道の風景の変化を魅入るのだったが。

 先人たちが作ってきた道はあるが、その道はときに消えたり、迷宮になったりもする。だから、杖で道を確認していくしかない。過疎地の道は日本の厳しい未来とつながっている。

 魯迅いわく「希望とは…地上の道のようなものである。地上にはもともと道はない。歩く人が多くなればそれが道になるのだ」と。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パンデミックなDVD2本

2020-04-02 21:23:11 | できごと・事件

 友人のキネマ航空CEOから2本のDVDが届いた。「爆発感染」(2007年)と「アウトブレイク」(1995年)のアメリカ映画だった。2本ともウィルス感染にかかわる映画なのでさっそく鑑賞する。

 「爆発感染」の原題は「パンデミック」で、航空機内から始まるウィルス感染が次々拡大していく過程はまさに「いま」とそっくりであるのに驚く。まるで今の状況を予告しているかのようなドキュメンタリーのような淡々とした映画だ。

         

 後半には患者のマフィアとの銃撃戦があったりアメリカらしい粗削りな展開になったが、CDC(米国疾病対策センター)の役割や権限の大きさが描かれている。その辺が日本とは違う。テレビドラマを映画化したようで170分の長丁場な作品となっている。知っていたキャストは知事役のフェイ・ダナウェイくらいだった。

           

 「アウトブレイク」とはパンデミックと同じような意味らしいが、ウィルスに対する軍内部の隠蔽・謀略を軍医研センター医師役のダスティン・ホフマンが次々それらを暴いていく。軍のヘリコプターや軍用機での戦闘シーンはさすがアメリカらしい迫力と展開がハラハラさせる。ホフマンの魅力がさすがに飛びぬけている。軍が防疫の最前線にいることも日本との違いだ。

 

 この作品についてマスコミは紹介していない。また、アメリカがCDCや軍が新型ウィルスに対する組織的な対処システムがすでにできていることがあらためて再認識させられた。防疫を防衛問題としてとらえているからでもある。

 それは中国で生物兵器研究で人体実験をやっていた731石井部隊が戦後、石井中将の命と引き換えでそのデータをGHQが接収していった成果が想起されてしまう。しかし、今回のコロナ戦でのアメリカの対応は、世界最強の軍事力やCDCがあるわりにはお粗末だ。同じく日本のマスクの全世帯配布を200億かけるという優先順位が疑問だ。それより、検査・隔離応急システムの具体的な確立が先じゃあないか。

 それにしても、こうしたDVDを持っているCEOのコレクションとその先見性あるタイムリーな見識にまたもや感心させられる。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

苗づくりと畑の異変

2020-04-01 21:07:00 | 農作業・野菜

 期待していた「ノラボウ菜」のこぼれ苗ができなかったのが想定外。いつもは種蒔きもせず、こぼれ種から自然に芽を出した苗を畑に移植するというグータラ農法で手抜きをしていたのだが、さすがに今回はガツンと失敗の巻。あわてて古い種を何とか探し出してポリポットに種まきをする。一週間後、なんとか芽が出たではないか。農的くらしとは、「ホッとする」体験を重ねるということでもある。

            

 さらに、シカに全てを食べられていた「のらぼう菜」の一株から立派な葉が出ていた。根っこが生き残っていたのだ。和宮様がのらぼう菜の全滅に落胆していたのでここでまたホッとする。

                        

 さらに、エンドウの芽もポットから出ていた。近隣ではそろそろ花が咲くというのにやっぱり出遅れている。そのほかポリポットに、キュウリ・アスパラガス・トウガラシ・レタス・インゲン・キャベツ、それにソシンロウバイ・マリーゴールドの種も撒いておく。

                         

 ところが畑で異変。ジャガイモの種を植え付けていた苗に何者かが侵入し、種を食べてしまった。当局によれば、近くにイノシシの大きなぬた場があったので、犯人はイノシシと特定する。いよいよイノシシとの格闘が始まるんだよなー……。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする