山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

浜松から二俣への難所にある鳥羽山洞門

2020-05-21 21:46:02 | 歴史・文化財

 武田軍と徳川軍の攻防があった「二俣」地区をちょっぴり歩くことになった。二俣城がその軍事的拠点とすれば、その隣に城主の住居と庭園がある鳥羽山城がある。その高台の今は公園になっているが、浜松から二俣に行く時の難所がここで、むかしは船を利用したという。その難所に、洞門つまりトンネルを掘って開通したのが明治32年(1899年)。

        

 さらにその隣に、昭和17年に隧道を開通し、国道とする。鳥羽山隧道は車両専用道路、鳥羽山洞門は自転車・歩行者専用道路(昭和54年6月)となる。洞門には非常ベルと赤色非常灯がトンネル内の事故や事件を示すようになっている。

    洞門内は蛍光灯がともっており壁もクリーム色にしてあり明るかった。もともとはレンガ造りのようだ。想像以上に距離がある。高さは2.3mというがもっと高いように見える。出口の光をめざす。このトンネルのおかげで浜松との交通とがスムーズになる。太平洋戦争中は、通行止めとなり戦車壕に転用された。

 ときどき車で利用してきた狭い隧道には、人と自転車との通行禁止の交通標識が見える。太平洋側と山間部を結ぶ交通の要衝という機能はいまだ変わりはない。

   

 戦時中は、天竜川をさかのぼって進軍する米軍に対してゲリラ戦で対応する想定だった。そのため近くに、陸軍中野学校二俣分校もあった。最後の日本兵・小野田寛郎もここで幹部として養成された。今ではそうした歴史は風化され、景気浮揚と経済成長を窺う国民総商人化となってしまった。コロナはそんな風潮を吹き飛ばし、人間のあるべき姿の原点を揺り戻した。車谷長吉が問うてきた生きるよすがを取り戻せるのだろうか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハチク(淡竹)を初収穫

2020-05-20 22:45:34 | 食彩・山菜・きのこ

 裏山の近くに行ったら、「ハチク」のタケノコが出ていた。孟宗竹よりアクが少ないのでこちらのほうがファンが多い。竹林の藪のなかにはほとんどタケノコは見当たらない。むしろ、周辺のほうに出てくる。

            

 へたすると、裏の畑に侵出する可能性もある。というか、すでに以前数個を収穫している。孟宗竹の地下茎は深いので、「筍堀り」というが、ハチクは地下茎が浅いので、「ハチク採り」「ハチク刈り」という。そう言えば、孟宗竹の収穫はスコップやツルハシが必須用具だが、ハチクを収穫するにはカマが必須用具だ。昔は地上のハチク・タケノコを蹴飛ばして収穫していたという。

     

 それにしても、ハチクの姿は芸術的だ。縄文時代の創造的な火炎土器とか芸術は爆発だと叫んだ岡本太郎を想起させるほどの魅力をいつも感じる。そんな発見が家の裏ですぐ見られるのが田舎の見どころだ。拝金主義の立場だとタケノコより現金がいいという本音が脳裏を犯される。食べられなくともこの火炎のような姿を見せてくれること自体、自然がプレゼントしてくれたアートではないか。それを感じられない感性は日本の劣化を推進する。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生きる原点を落とし込む

2020-05-19 21:51:16 | 読書

  たまたま直木賞作家・車谷長吉(クルマタニチョウキチ)を知って、代表作『赤目四十八瀧心中未遂』(文春文庫、2001.2)を読む。作者の分身である主人公の私は、尼崎の救いようのないような底辺に生きる人々に寄り添いながら、生きる実感を確かめていく。「私は<私が私であること。>に堪えがたいものを感じた。しかもその私が無意味に流失していた。」とした情念がいつもどの場面でも漂う作品だ。

 

 「世ン中の人はみな目の色変えて、我れ先に走って行きよるが…、生きることは捨てることや。あんたは捨てた人や、うちがパン助になったんも、わが身を捨てるいうことやった」と、仕事の世話になったおばさんに「わたし」は共感する。

 大阪・淀川河口の風景を見ても、「近代人に取り憑いた生産主義的理性という<物の怪。>は、葭の葉の色を、コンクリートの色に変えることをよきこととしたのだった。歴史の一回性は不可避的にそう流れて来た」と描写し、自分の周り全てから「わたし」が取り残されていくのを確認する。 

           

 解説の川本三郎氏が「口当たりのいい作品が多い現代文学にあって」この作品は、「異物のように傲岸と屹立している。…虚無的というのとも少し違う。落ちるところまで落ちてやるというふてぶてしい堕落の思いである。投げやりで落ちてゆくのではない。自覚的に、明晰のままに下降してゆく、不適である。」と指摘する的確な解説に唸る。

            

 作者の表現力は、「どん底のなかから言葉をつかみ取ろうとする捨て身の意志」があり、そのギリギリが読者の心をつかんでいく。どんな異形な相手からもその心の襞を穿孔しながら共感したり、反発したり、寄り添おうとする感性が紙背にみなぎる。

  芥川賞作家・中上健次の底辺の人間とエロス、さらには自然の描写が車谷と似ている。しかし、読者に次の不安をいざなうスリラーな手法も中上健次を越えている気がする。それ以上に、人間の生きる存在の哀しさといとおしさを問う深さが車谷にはある。これは直木賞というより芥川賞に相当するように思う。

    

 コロナはグローバルに闊歩する人類への警鐘でもあるが、車谷氏の生きることの問いは人間への基底的な警鐘だ。心中未遂に終わったが、「在日」の美人・アヤちゃんのいのちのくるめきから、「掃き溜めに生きる女の強さであり、ぎりぎりの優しさ」である珠玉を「わたし」は受け取る。自分は何をもって生きるよすがとするか、を改めて考えていきたいものだ。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

偉そうな「シラケトラカミキリ」みーつけた!

2020-05-18 23:00:22 | 生き物

 竹から出てきた「シラケトラカミキリ」(カミキリムシ科)を発見。30mmほどの小さいカミキリ。この虎模様のカミキリムシには多数のバリエーションがあって同定が面倒くさい。地が黒いもの、褐色のもの、灰色のものなどがあり、紋の色が白・黄色・黒などがある。模様もじつに多彩だ。本種は白の毛深いカミキリ(白毛)のようだが、うまく撮影できていない。しかし、「八の字」が二つもあり小さい割には偉そうに威嚇信号を周りに出している。

 このところ、山からはフクロウのツツドリの低音管弦楽、隣のススキ原からはヨシキリのあわただしいロックが聞こえてくる。野鳥がにぎやかな春たけなわの日々が心地よい。が、一昨日は小さいブヨに顔面を3か所刺され、お岩さん状態になって眼が重かった。やっときょうは腫れが治まるがやや痒い。昆虫や野鳥は人間のコロナ禍をよそに今を生きている。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おしゃれな蛾も少なくない

2020-05-17 21:52:00 | 生き物

 畑のあちこちに「ツルウメモドキ」の小さなツル性の木が出ている。その葉を食べる常連の幼虫「トンボシャクガ」(シャクガ科)をよく目にする。その縞模様のストライプが斬新だ。食欲は旺盛だ。成虫は翅に比べて腹部が長く模様がトンボに似ているのでついた名前のようだ。

 いわゆる尺取虫の仲間で、尺取虫は別名「ドビンワリ」という。むかし農夫が枝だと思って土瓶をかけたら落ちて割れてしまったというところからついた名前だ。

  

 今年はやけに多い「シロシタホタルガ」の幼虫。数えてみると30匹以上はいたと思う。いつ見てもタータンチェックのような色・模様が斬新だ。この素敵な意匠は、外敵に毒があるよという警告色でもある。だから逃げることもなく堂々としている。

 「クロミノニシゴリ」(ハイノキ科)というあまり目にしない樹の葉を幼虫が食べる。毎年、この樹の葉だけを食べている。実は名前の通り黒い。ニシゴリとは「錦織木」と書いてサワフタギの仲間。サワフタギはむかし、信州の藪の中で瑠璃色の実を見て感動したことがあった。この樹の灰は布を紫色に染める媒洗剤となるので、錦織木の名前がついた。東海地方において局地的に分布する比較的珍しい木が畑の隅にある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古代と近代の日朝関係をつなげた歴史ロマン

2020-05-16 17:47:16 | 読書

 安彦良和氏の近代歴史三部作の一つともいうべきマンガ『天の血脈(ケツミャク)』(講談社、全8巻、2012.8~2016.10)を読み終える。日朝を中心とした東アジア史を描いたもので、それは古代以来深く関係していた世界ではあるものの、現代ではタブーに近い扱いのテーマだ。それをあえて取り上げた安彦氏の勇気に前々から注目していた。

            

 主人公はスーパーヒーローではないさえない一高生<安積亮>が設定されているところが新しい。彼は信州に移住した海人・安曇族の流れをくむところが、以前からオイラが関心を持っていたところと一致する。

            

 戦前の右翼はアジアやインドの革命家を支援するなど懐が大きい。日本が朝鮮を併合する過程では右翼の<内田良平>の魅力と暗躍がしばしばマンガに登場する。しかし、「世界中の王室が全部なくなっても我が皇室は護らなければならん」と、天皇の「御稜威(ミイツ、威光)」の絶対性を言わせている。つまり、天皇制の在り方をそれとなく批判しているが、さすが元全共闘の闘士だった安彦氏のタブーへの挑戦を見せてくれる。

       

 近代の日本のアジア外交はどこで間違ってしまったか、という点では、日清戦争からだと安彦氏は指摘する。また「日本の視野に入っているのは、朝鮮の独立ではなくて植民地化だった」と喝破する。だから、朝鮮独立運動への支援も及び腰となる。

          

 主人公の安積は高句麗の英雄「好太王碑」の調査に出向く。その調査にかかわる研究者の立場をやんわり擁護しているが、それは同時に、当時も現代も権力者に対して及び腰の学者の姿を浮き彫りにしている。

  

 安彦氏と対談した評論家の松本健一氏は、「1970年ごろというのは若者がまだ世の中を変えられると思っていた時代で、その空気の中でマンガやアニメも盛んになりはじめた」が、今はドラマでも女と男の恋愛関係ばかりで、「<時代閉塞の現状>の頃に近くなっているのかなという気がします」と、啄木が嘆いた時代の基底に流れる類似を指摘した。

 そこに、フィクションという手法でマンガをアイテムに提起しているのがこの『天の血脈』ということになる。さて、それがどれだけ影響したのかは言うまでもないことだが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山で拾い集めて

2020-05-15 20:43:46 | 屋外作業

 裏山に大量の木や竹が横たわっている。それを生かすにはどうしたらよいかを考えてきたが、畑周辺のつつじやあじさいの行燈仕立ての支柱が必要になりそうになったので、支柱づくりを始めることにする。まずは、山へ行ってなるべく真っ直ぐな樹を拾ってくることだ。

    

 チェンソーが不調なので、手ごろな太さの木や竹を拾ってくる。枝の運搬の往復がいい運動ともなる。そしてその先端や枝をナタで削ったり、丸鋸で適当な長さに切っていく。なんだかんだで100本近くとなった。1年でダメになるのもあるとは思うが、素材を生かしていくのが心地よい。

            

 小枝は、ガーデンシュレッダーで粉砕していく。そしてこれも畑に撒いて肥料にしていく。まさに、自然素材のものには無駄というものがない。こうした行為が資本の論理による大量生産・大量消費に変えられ、経済第一主義に収斂されていくのが現在の世界だ。だからこそ、オイラはわざわざ手間のかかる循環型作業にこだわるというわけでもある。当然、金にはならないけど、最低限生きていければそれで「いいじゃないか」ムーブメントの手始めでもある。    

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手づくりコンニャクを挑戦したが (2)

2020-05-14 22:29:52 | 食彩・山菜・きのこ

         

 糊状になったところに昨年ネットで買っておいた炭酸ナトリウムを入れてかき混ぜる。いかにもコンニャクらしくなってきた。しばらくしてから、バットや鍋の型に入れたコンニャクを切り分けてたっぷりのお湯で煮ていく。

          

   

 ここまでくれば安心と思っていたら、和宮様が「まだアクが抜けておらぬぞ」とのたまうので、試食してみると確かにアクが強い。これからが苦戦の始まりだった。もう一度、湯がいたり、水に浸けたり、そのたびに試食するが納得とはいかない。和宮様も陣頭指揮に入り深夜になる。そのうちに、水に入れて明日まで放置しようということになる。

 

 寝不足気味の朝食に、酢味噌和えでコンニャクを食べてみる。すっかりアクが抜けていた。完全主義者の和宮様からやっと合格印をいただく。アクがかくも強かったかの課題は残るが、分量を間違ったり、レシピによっての違いに翻弄されたり、冷蔵庫はコンニャクに独占される。

          さいわい、一番茶を刈り取りに来ていた茶園一族に大きなタッパーごとのコンニャクを引き取ってもらった。

 また、和宮様渾身で作りあげた油揚げと肉を炒めたキンピラ風コンニャクが味が染みてとても美味となった。食べきれないほどの量になったが、これからの毎日の食卓はコンニャクとのお付き合いが始まる。それはまた、植物繊維豊富で超低カロリーのコンニャクが海外でもブームとなっている現在、今後のコンニャク料理は創作していく価値ある分野のように思えた。

  

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手づくりコンニャクを挑戦したが (1)

2020-05-13 22:07:12 | 食彩・山菜・きのこ

 セニョール農園からいただいたコンニャク種を栽培して昨年初めて収穫する。その「三年生」のずっしり重いコンニャク玉から作ることにする。以前初めて作ったことを思い出そうとしたがすっかり忘れていた。

   

 まずはコンニャク玉の皮をむく。二つを合計すると2.6kgもあった。手があれるので使い捨てビニール手袋をして剥いていくがきれいに取りきれない。しかしそれも持ち味らしいのでこの辺で良しとする。

        

 いくつかの作り方のレシピを参考にする。まずはおろし金で玉を擦っていく。しかし最後の残りかすの処理がよくわからない。へたすると、指を擦ってしまう危険が度々あった。

       

 大鍋に2杯くらいもできてこれは食べきれないぞと心配になる。そのうちに、和宮様から教育的指導があり、フードプロセッサーで粒を細かくすることに変更する。

       

 

 ここからは和宮様の獅子奮迅の努力にゆだねることになる。フードプロッセッサーの威力でたしかにダマになっていたものがスムージーになっていった。さて、これからが本番なのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トマトハウス建設したが前途は…

2020-05-12 22:57:43 | 農作業・野菜

  わが集落の風のは山風・川風が巻き込んでくるたまり場にある。そのため、ビニールのトマトハウスの建設は幾たびも挫折を味わっていた。今回も畑の中央で丈夫な杭を用意して準備したがちょっとでも風が出ると凧あげになってしまう。何日か風の様子を見ていたがやはりあきらめて、昨年も設置した単管ネットのある場所を使うことにする。

  

 すると、まるで嘘のように建設がスムーズにはかどった。トマトハウスのパイプもずいぶんくたびれてきている。ものによっては強風で曲がってしまったものもある。また、この周辺の土壌ではどうしても連作障害が考えられるので、接ぎ木のトマトの苗を購入することにする。

 土に埋めた単管のおかげでまずはハウスの形ができた。頑丈な杭を作ったので安心だ。今までは竹の杭だったが今回は伐採したホオノキの枝に活躍してもらった。

        

 トマト栽培はなかなか手ごわい。虫や害獣に病気にとまともに栽培することじたいが大変だ。新米百姓はまだまだ確信を持てないでいる日々だ。だから、トマト農家が安定的に生産するのには農薬を使うとしても尊敬してしまう。家庭菜園の限界でもあるが生活がかかっていない分、栽培への真剣さが欠けているところが弱みだ。

                           

  しかも、まわりに専業農家がいなくなってきているのも現実で、教えてもらう相手を探すのが大変だ。だから、自己流を続けるしかない。つまり、時間に追われて強行採決しか選択肢がなくなるというのが現実だ。うーん、このところの国会に似ていってしまうというわけかー。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする