裏山に大量の木や竹が横たわっている。それを生かすにはどうしたらよいかを考えてきたが、畑周辺のつつじやあじさいの行燈仕立ての支柱が必要になりそうになったので、支柱づくりを始めることにする。まずは、山へ行ってなるべく真っ直ぐな樹を拾ってくることだ。
チェンソーが不調なので、手ごろな太さの木や竹を拾ってくる。枝の運搬の往復がいい運動ともなる。そしてその先端や枝をナタで削ったり、丸鋸で適当な長さに切っていく。なんだかんだで100本近くとなった。1年でダメになるのもあるとは思うが、素材を生かしていくのが心地よい。
小枝は、ガーデンシュレッダーで粉砕していく。そしてこれも畑に撒いて肥料にしていく。まさに、自然素材のものには無駄というものがない。こうした行為が資本の論理による大量生産・大量消費に変えられ、経済第一主義に収斂されていくのが現在の世界だ。だからこそ、オイラはわざわざ手間のかかる循環型作業にこだわるというわけでもある。当然、金にはならないけど、最低限生きていければそれで「いいじゃないか」ムーブメントの手始めでもある。