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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

「破竹の勢い」とはこのこと

2020-05-22 13:13:46 | できごと・事件

 裏山でひょこッと見えたタケノコがまさに「破竹の勢い」で勢ぞろい。雑草が伸びていてハチク(淡竹)がよく見えなかったのか、はたまた、最近の雨でグウィーンと一気に伸びてきたのか、つい先日収穫したばかりなのに。数えてみると26本もあった。おそらく、ギネスには載らない新記録の収穫だ。

  

 「破竹の勢い」の出典は『晋書』。それに出てくる武将「杜預」(トヨ)が使った言葉とされる。最初のひと節を割ると一気に割れていくことから、とどめることができないほどの猛烈な勢いをいう。彼はその勢いで「呉」を平定し、天下を統一する。これで、三国(魏・呉・蜀)の時代は終焉を迎える。つまり三国志の終息だ。

    

 晋の武帝に仕えた「杜預」は、武人・経済政策をはじめ、魯の歴史書『春秋左氏伝』(日本でいう日本書紀みたいなものか。孔子の弟子・左丘明が作成と言われている。)の研究者としても能力を発揮する。唐の詩人・杜甫は彼の末裔である。ついでに、杜預は敵の城を攻略するとその住民を皆殺しにしたという。

   淡竹(ハチク)の別名は、呉から伝来した竹=「呉竹」ともいうので、呉を制圧した「杜預」と関係があるのだろうか。そのへんの事情は調べてみてもその痕跡が全くみつからない。だから、淡竹と破竹は関係がないようで「ある」ような、という不思議な関係のように思う。これも新発見だ。

   

  淡竹は、細く割れるため茶筅などの茶道具をはじめ、提灯・傘の骨・花器などにも利用されている。正倉院の御物の中にも淡竹製があるという。いま、近所にも収穫されない淡竹のタケノコが大量に出ているが、とても食べきれないので収穫していない。食材豊富な中山間地の可能性はかくも膨大なのだ。

 

 

コメント (2)
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