昭和35年発行とあるから、今から60年前に出た、「少年少女世界文学全集(講談社)」が今手元にある。私が小学4年生、10歳の時、四国今治で、ぼんやり暮らしていた時、父母が全巻50冊を買ってくれたもの。兄弟4人で、気に入ったのを読み、それから30年たち、私がこの全集を引き取り、今度は私の3人の子供達が、やはり気に入ったものを読み、今も我が家に。これを時々、暇爺さんの私が、取り出して、読み返しては、面白いと思ったものは、小学4年生になった孫達に、送るようにしている。3世代に渡って読んできたため、背表紙が剥がれて傷んだものも多数。
最近は、アメリカ文学で、赤毛のアンを読んでいる。(冒頭)
カナダのモンゴメリー(1874~1942)作の有名な小説。訳者は、村岡花子とあり、朝ドラで取り上げられた翻訳家。話も面白いが、今世間を騒がせている、新型コロナウイルス、パンデミックが頭にあり、小説の中に、熱病の話が随所に出てきて、思わず傍線を引いた。抜き書きすると、次のとおり。
孤児のアンが、11歳の時手違いで、中年の兄妹の暮らす家に引き取られたとき、身の上を語る場面。
「おかあさんは、それからながくは生きなかったんです。あたしが生まれてから三か月たったきに、熱病にかかって、なくなってしまったの。・・・おとうさんも、四日あとにやっぱり熱病で死んでしまったの。・・」
ひきとられた家で、やしない親の夫人から家事の注意。
「あんたは、私がいいつけたのに、ふきんをきれいな熱湯で消毒しなかったじゃないの。なにか聞きたがるより、まず第一にやるべきことをやりなさい」
登場人物の一人、近所の、リンド夫人がアンを見に来る場面。
「そのころ、やっとリンド夫人がアンを見にやってきました。ほんとうは、もっと早くやってきたかったのですが、思いがけない、ひどい悪性感冒にかかったために、ずっと家にひきこもっていなければならなかったのです。」
教会に独りで出かけ、帽子に花を飾っていたのを、やしない親の夫人に注意され、アンがしょげたときの言葉。
「おばさんに、ひどいやっかいをかけることになるんじゃないかしら。たぶん孤児院に送り返した方がいいかもしれないわ。それは恐ろしいことで、あたしにはたえられないと思うんですけどね。きっと肺炎になってしまうわ。こんなにやせているんですもの。・・・」
友達のダイアナの妹ミニーが、咽頭炎で両親は出かけて留守、医者もなかなか来れず、命が危なかった時、11歳のアンがてきぱきと処置して助けたはなし。
「まず、熱いお湯がほしいわ。あらまあ、ダイアナ、このやかんには、お茶碗いっぱいぐらいしかないじゃないの。そら、水をいっぱい入れたら、メアリー・ジョー、ストーブに薪をくべてちょうだい。さあ、ダイアナ、あたしがミニーのきものを脱がせてベットに入れるから、あんたは何か、やわらかいフランネルの布をさがしてくるのよ。それから、なにより先に、イビカック(薬草の一種)を一服のませなければ」
「あとでお医者は、バーリー夫妻(ミニーの両親)にむかっていいました。「クスパート家にいる、あのアンという女の子は、まったくすばしこく、、かしこいこどもですね。あかんぼうの命を助けたのは、あの子ですよ。・・・」
アンが水遊びをして、ひどい風邪を引きこんだ時、お客に来た、学校の先生夫妻にアンが腕によりをかけて作ったケーキに、間違って、キズ薬を入れて失敗したとき、
「アンはしくしくなきだして、「においがわからなかったんですもの、ひどく風邪をひいていたんですもの。」」
アンが高校を首席で卒業し、大学進学のための奨学生に選ばれ、久しぶりにやしない親のところに帰ったとき。
「マニラ、マシューおじさんどこかわるくないの」
「わるいんだよ、この春、ひどい心臓発作がおきてから、なおりきらないんだよ。・・」
おじさんが心臓発作でなくなり、大学進学をやめ、地元で教師になることにしたアンの心境をつづったさいごの場面。
「アンの地平線は、クイーンから帰ったよるで閉ざされました。でも道が狭められたといっても、その道に、静かな幸福の花がさきみだれていることを、アンは知ったのでした。まじめなしごとと、大きなのぞみと、あつい友情は、アンのものでした。・・」
最後の個所が、多分、小説「赤毛のアン」が今に至るまで、全世界でよみ継がれている理由だと思う。
それにしても、どうしてこのように、熱病が小説の随所に出てくるのか、作者のモンゴメリーも1874年に生まれ、幼児の時、母親と死別したことが体験としてある。それと1889年~1891年から、全世界にインフルエンザが蔓延し、死者が多数出たことも背景にあるらしい。この肺炎の流行から25年たって、有名なスペイン風邪が第一次大戦の末期、1917年に大流行、世界で5000万人から一億人の死者。スペイン風邪の時は、1889年の世界流行のインフルエンザに罹って免疫のある人は症状が軽く、結果的に、免疫の無い25歳以下の若い人の死亡が多かったらしい。
今は、新型コロナで世界が苦境にあるが、同じような、災難が数十年おきに発生し、手痛い目に人類は会い、精一杯しのいで、そこからまた立ち上がって、新しい道を切り開いてきたと、「赤毛のアン」を読んで、思ったことでした。近いうちに、この本も、孫の手元に送る予定。あまりに汚れて、傷んだ本なので、嫌がられるかも。
最近は、アメリカ文学で、赤毛のアンを読んでいる。(冒頭)
カナダのモンゴメリー(1874~1942)作の有名な小説。訳者は、村岡花子とあり、朝ドラで取り上げられた翻訳家。話も面白いが、今世間を騒がせている、新型コロナウイルス、パンデミックが頭にあり、小説の中に、熱病の話が随所に出てきて、思わず傍線を引いた。抜き書きすると、次のとおり。
孤児のアンが、11歳の時手違いで、中年の兄妹の暮らす家に引き取られたとき、身の上を語る場面。
「おかあさんは、それからながくは生きなかったんです。あたしが生まれてから三か月たったきに、熱病にかかって、なくなってしまったの。・・・おとうさんも、四日あとにやっぱり熱病で死んでしまったの。・・」
ひきとられた家で、やしない親の夫人から家事の注意。
「あんたは、私がいいつけたのに、ふきんをきれいな熱湯で消毒しなかったじゃないの。なにか聞きたがるより、まず第一にやるべきことをやりなさい」
登場人物の一人、近所の、リンド夫人がアンを見に来る場面。
「そのころ、やっとリンド夫人がアンを見にやってきました。ほんとうは、もっと早くやってきたかったのですが、思いがけない、ひどい悪性感冒にかかったために、ずっと家にひきこもっていなければならなかったのです。」
教会に独りで出かけ、帽子に花を飾っていたのを、やしない親の夫人に注意され、アンがしょげたときの言葉。
「おばさんに、ひどいやっかいをかけることになるんじゃないかしら。たぶん孤児院に送り返した方がいいかもしれないわ。それは恐ろしいことで、あたしにはたえられないと思うんですけどね。きっと肺炎になってしまうわ。こんなにやせているんですもの。・・・」
友達のダイアナの妹ミニーが、咽頭炎で両親は出かけて留守、医者もなかなか来れず、命が危なかった時、11歳のアンがてきぱきと処置して助けたはなし。
「まず、熱いお湯がほしいわ。あらまあ、ダイアナ、このやかんには、お茶碗いっぱいぐらいしかないじゃないの。そら、水をいっぱい入れたら、メアリー・ジョー、ストーブに薪をくべてちょうだい。さあ、ダイアナ、あたしがミニーのきものを脱がせてベットに入れるから、あんたは何か、やわらかいフランネルの布をさがしてくるのよ。それから、なにより先に、イビカック(薬草の一種)を一服のませなければ」
「あとでお医者は、バーリー夫妻(ミニーの両親)にむかっていいました。「クスパート家にいる、あのアンという女の子は、まったくすばしこく、、かしこいこどもですね。あかんぼうの命を助けたのは、あの子ですよ。・・・」
アンが水遊びをして、ひどい風邪を引きこんだ時、お客に来た、学校の先生夫妻にアンが腕によりをかけて作ったケーキに、間違って、キズ薬を入れて失敗したとき、
「アンはしくしくなきだして、「においがわからなかったんですもの、ひどく風邪をひいていたんですもの。」」
アンが高校を首席で卒業し、大学進学のための奨学生に選ばれ、久しぶりにやしない親のところに帰ったとき。
「マニラ、マシューおじさんどこかわるくないの」
「わるいんだよ、この春、ひどい心臓発作がおきてから、なおりきらないんだよ。・・」
おじさんが心臓発作でなくなり、大学進学をやめ、地元で教師になることにしたアンの心境をつづったさいごの場面。
「アンの地平線は、クイーンから帰ったよるで閉ざされました。でも道が狭められたといっても、その道に、静かな幸福の花がさきみだれていることを、アンは知ったのでした。まじめなしごとと、大きなのぞみと、あつい友情は、アンのものでした。・・」
最後の個所が、多分、小説「赤毛のアン」が今に至るまで、全世界でよみ継がれている理由だと思う。
それにしても、どうしてこのように、熱病が小説の随所に出てくるのか、作者のモンゴメリーも1874年に生まれ、幼児の時、母親と死別したことが体験としてある。それと1889年~1891年から、全世界にインフルエンザが蔓延し、死者が多数出たことも背景にあるらしい。この肺炎の流行から25年たって、有名なスペイン風邪が第一次大戦の末期、1917年に大流行、世界で5000万人から一億人の死者。スペイン風邪の時は、1889年の世界流行のインフルエンザに罹って免疫のある人は症状が軽く、結果的に、免疫の無い25歳以下の若い人の死亡が多かったらしい。
今は、新型コロナで世界が苦境にあるが、同じような、災難が数十年おきに発生し、手痛い目に人類は会い、精一杯しのいで、そこからまた立ち上がって、新しい道を切り開いてきたと、「赤毛のアン」を読んで、思ったことでした。近いうちに、この本も、孫の手元に送る予定。あまりに汚れて、傷んだ本なので、嫌がられるかも。