3/15に初めて訪れた、山口県、徳山沖の大津島の回天記念館で、係りの方に、出口のない海の映画を見てやってきた、このモデルになった方がいたのかとお聞きすると、
「東大の和田稔氏、野球が好きな方で、映画と同じように、昭和20年7月回天の訓練中浮上できず、米軍の空襲が激しいため救助もできず、亡くなられた。
同年9月、枕崎台風の波により岸に回天が海岸に打ち上げられ、遺体は回収された。
記念館入り口の通路の両側の戦死者の墓碑銘に和田氏のものもある」とのこと。
案内された、地元の特産の御影石に掘られた墓碑銘を撮影。
江藤正翁とほぼ同じ経歴で、生きておられたら良い仕事をしたろうにと、思いました。
「東大の和田稔氏、野球が好きな方で、映画と同じように、昭和20年7月回天の訓練中浮上できず、米軍の空襲が激しいため救助もできず、亡くなられた。
同年9月、枕崎台風の波により岸に回天が海岸に打ち上げられ、遺体は回収された。
記念館入り口の通路の両側の戦死者の墓碑銘に和田氏のものもある」とのこと。
案内された、地元の特産の御影石に掘られた墓碑銘を撮影。
江藤正翁とほぼ同じ経歴で、生きておられたら良い仕事をしたろうにと、思いました。
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