田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

農園でサツマイモの畝作り(2010/6/7)

2010-06-07 22:31:57 | Weblog
玉ねぎの収穫が終わり、その跡にサツマイモを植える予定。
今日は、サツマイモ(100本)用の畑作りに妻と竹田農園に。

(バーベキュー)
 20日前に釣って、冷凍していたアジ・キスを炭火焼。
畑のジャガイモ試掘りすると、美味しそうなジャガイモがゴロゴロ。
これに取り残していたソラマメとアスパラカスを畑からもいできて、焼く。
結構な御馳走になりました。(冒頭の写真)

(人の役に立つ)
バーベキューには、農園のお隣に住む、江藤正翁(88歳、元南海ホースクスのエース)もいっしょに。
ジャガイモ、ソラマメ、アスパラ、アジ、焼き肉に舌づつみを打ち、ビールを飲みながら、江藤翁の話、いろいろと。

○「長く生きすぎたようだ。
私の学生時代の友人は大半23歳で亡くなった。
飛行機乗りになったり、沖縄に行ったり、紙一重で死ななかった。
今は、人の役に立たない毎日。
生きていてもしょうがない。」

 江藤翁が私の飲み仲間のバス旅行とか、農園でのバーベキューで顔をみせてくれるので、それを楽しみにしている人が結構多い。
あの連中は、後10年は生きていそうだから、江藤さんにも10年は生きてもらわねば と申し上げると

 「そうか、バス旅行の皆さんと会うことを楽しみにしよう」と。
下はバーベキュー風景


(畑)
おなかも一杯になり、サツマイモ用の畝作り。
サツマイモはあまり肥料はやらなくていいので、枯れた草を鋤きこむだけ。
明日、苗が手に入るので、妻が植え付ける段取り。
ジャガイモも今晩の分を掘り上げる。
ジャガイモを持ってパチリ(下の写真)



 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関門でアジ、クロ、キス大漁(2010/6/6)

2010-06-06 20:33:44 | Weblog
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
毎日曜日の船釣り、悪天候で中止続き。
今日は、薄曇り、凪でコーラル丸で釣りでした。
工務店のS氏、冒険家のM先生、木工職人のSG氏など、釣りバカ6人。

(ビール)

船釣りでは、毎回、缶ビール(レギュラー)を3本持ち込む。
気温も27度近くまで上がり、竿の曲がりを見ながら、ツマミとビールは美味しい。
これまで、つい釣りに夢中になり、脇に置いた缶ビールを倒して、ビールは船の甲板にドクドクということがしょっちゅう。
今日も、3本目のビールがまだ7割残っていたのが、オジャン。
恨めしいやら、アルコール摂取がホドホドになり健康を維持するようにとの自然の摂理じゃとなぐさめたり。

(肉食魚を狙え)
今日のアジポイント、昨年、仕掛けに掛かった小アジに、大型ヒラメ、胴の長さ50センチのアオリイカが食いついて釣れたポイント。
どちらも川端船長がゲット。
小ぶりのアジを針に掛けて、置き竿。
小一時間して、ふと置き竿を見ると、上下に激しく竿が動いている。
あわてて駆けつけると、上下動止まる。
気落ちして竿を上げると、仕掛けに掛けた小アジは無くなっている。
皆さん「残念でした。ちょっと期待にワクワクさせてもろた」と。
ヒラメかあるいは、大型のエソが小アジを食い逃げ。
気を取り直して、アジ、クロの良い型を釣る。
冒険家のM先生とクロが釣れたところでパチリ。


(アジの一夜干し)
最近は水温が上がってきて、22~23センチの良い型のキスも一人10匹前後。
アジの型も良い。
クーラーボックス、ずっしりとなったところで、納竿。
船着き場に近づいたところでパチリ(冒頭の写真)
帰宅してから、魚を捌く。アジは、塩水に30分ほど漬けて、一夜干しに。
先日、壱岐に不良爺さんたちとドライブ旅行した時、メンバーの一人が、青空市で漁師の奥さんから、アジの一夜干しは、肉を下に皮を太陽が当たる上にすると、美味しく出来ると教えてもらい、私にも伝授。
早速、皮を上にして干す。
今まで逆にしていた。
明日の朝には、肉が透明なアジの一夜干しが出来る見込み。
下は、アジの一夜干し中。


 明日は竹田農園で、サツマイモの植え付け準備。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

N艇長、介護のための日本語、出版(2010/6/4)

2010-06-04 22:08:14 | Weblog
クルーザー、ラ・ニーニャ号でよく釣りに連れて行ってくれるN艇長、普段は亡くなられた息子さんの遺志を継いで、主として在日フィリピン人対象のヘルパー2級講座をすでに7回開設し卒業生は130人。
 漢字、日本の文化、介護で使う用語を併せてヘルパー講座の受講の皆さんに教えておられ、そこでの工夫や発見をまとめて「介護のための日本語」を出版された。
 自費出版で、100部。
 販売もしておられ、定価2500円。
 10冊お願いして、今日我が家に。
冒険家のM先生も、バギオで知り合ったフィリピン人の若い方たちの何人かが日本で介護に携わっているが、介護の日本語の意味を聞かれ、英和辞典を見てもよく分からず、この本が欲しいとのことで、一緒に頼んだもの。
パラパラと読んでみると、日本の文化、お年寄りが若い日々に口ずさんだ歌、親しんだ遊び等(これらを知っていると、介護の際、お年寄りと話が弾む)分かりやすく解説、素晴らしい出来栄え。(冒頭と下の写真)


 日本人が読んでも面白い。
これから、日本で介護の仕事に携わる、フィリピン人、インドネシア人の皆さんに、長く愛読されることと確信した次第。

 N艇長の日ごろの日本語講座の様子は
http://interasia.hp.infoseek.co.jp/nihongoclass.html
 に詳しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四国の旅(2010/6/1-3)

2010-06-03 22:58:46 | Weblog
一昨日から四国3日間の旅。
徳島に住む長女夫婦に昨年暮れ生まれた孫見物と、今治の父母の墓参り。

(食べ歩き)
昨日のお昼、徳島市の長女の案内で、お勧めのうどん屋「てんや」に。
郊外にある小さい店だが、店の前に数人の待ち客。
10分程待って、席に着ける。
すでに食べている人の料理を見て、ヨダレ。
うどんに、天ぷら盛り合わせが人気らしい。
うどんは280円、天ぷら盛り合わせは300円。
出てきたうどんはコシがあり、天ぷらはゴボウ、ちくわ、かぼちゃと、美味しい。(冒頭の写真)
この値段で、この天ぷら、野菜も自分の畑で作ってそのまま出しているのではと想像したり。
今日は、お昼に今治に着き、お付き合いさせていただいている、W夫妻と、シナソバ屋(私が生まれ育った今治ではラーメンとは言わず、シナソバと呼んでいた。上海料理味だったからか?)の「京屋」に、歩いて。
 このシナソバ、私が子供の頃、家の前のシナソバ屋の「上海軒」というのがあり、ここで食べていたシナソバの味そっくり。
 ツユに上品なうまみがあり、麺もコシがあり、一気に食べてしまう。
 今日W夫妻と行った「京屋」ここも外でしばらく空席待ち。
 5分程して、入ると、シナソバ400円。
 出されたシナソバ、私が昔の上海軒で食べて、美味しさにうっとりしたのと同じ味。
感激でした。
W氏とパチリ。(下の写真)


 うどんの店もシナソバの店も、安くておいしい。
お客は、近所、遠方交々来店、座る場所もないほど。
ご主人の人柄と精進がしのばれる。
飲み仲間のI氏がやってる小倉室町の錦龍と同じ。

(ビオトープ)
私より一回り年上の叔父、家業の軍手製造は新工場を今治郊外に建設、併せて、経営を息子さんに譲って、今治市の市街地にある、旧工場跡地でビオトープ作りにこの数年奮闘。
 まず、畑、その間に地下水を汲みだして池、沖縄風のお堂と作り、今は、囲炉裏付きの茅葺屋を一人で建設中。
 風通しの良い一角を選び、出来上がったら昼寝をするのだと。
 柱を手鋸で切りこみ、屋根の萱は、叔父の新工場近くを流れる、川から今年、1、2月(マムシが冬眠中を狙った)刈り採ったとのことで、作業小屋の前に山積みにしてビニールシートで覆う。
 叔父と同年輩(73歳前後)の友達が、皆さん時間がたっぷりあるので、次々手伝いやら、遊びに来てにぎやからしい。
 フナやメダカが一杯の池の前でパチリ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

壱岐ドライブ旅行(2010/5/30)

2010-06-01 10:54:46 | Weblog
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
一昨日、昨日と壱岐に釣り仲間と壱岐ドライブ旅行でした。
小倉室町の錦龍のI氏、M画伯、薩摩隼人のO氏、工務店のS氏、苅田町のMT氏に私の6人の不良爺さん達。

(唐津河村美術館の青木繁)
唐津から壱岐までのフェリーの出発に時間があったので、青木繁の絵が常設展示されているという河村美術館に。
 落ち着いた5月の日差しに緑がまぶしい唐津の町の一角に美術館。
 小品が多いが、絶筆となった夕焼けの大型和船の絵など、見あきない。
 29歳で結核で亡くなる直前、漂泊の旅の途中ここ唐津に滞在した縁で絵が保管されているとのこと。
M画伯、じっくり絵をみながら「いいものを見せてもらった」と。
定刻にフェリーは唐津出港、壱岐の印通寺に向かう。
風が強く白波。
やがて初めて見る壱岐の島。(冒頭の写真)

(松永安左エ門記念館)
壱岐は、松永安左エ門が生まれ育った島。
記念館があるそうで、ここに立ち寄ることに。
実業家、茶人、登山家、文筆家、歴史家、遊び人、どれにも抜きんでた人。
96歳、昭和48年に亡くなるまで、現役で活躍した。
25年前、たまたま新聞広告で買った「松永安左エ門著作集」は今も私の愛読書。
この3月、晩年を過ごした小田原の自宅を開放した記念館に行ってみたが、素晴らしかった。
壱岐の記念館、簡素だが、貴重な手紙(歴史学者A.J.トインビーの手紙もあった)、愛用の旅行鞄、写真家の杉山吉良撮影の多数の松永安左エ門晩年の写真と興味深い。
特に杉山吉良の沢山の写真は、記念館の敷地内にある実家の建屋が雨漏りがしてきたので、管理している方が屋根裏部屋に入ってみてみたら、新聞に無造作に包まれて置かれていたものとのこと。
貴重な写真を発見、大切に保管させたご本人の管理人の方から生の話を聞け、ラッキー。
北村西望が作ったご夫妻のブロンズ像の前で、6人の不良爺さんで記念写真。(下の写真)


(波止釣り)
壱岐の北の端にある、勝本の民宿(ふくや荘)に到着。
宿のすぐ裏手にある漁港からアジが釣れるというので、竿、餌を民宿のご主人に借りていざ。
最初は小型のスズメダイばかりで、当てが外れるも、開放的な波止場で童心に帰る。(下の写真)


幸い、納竿30分前から、20センチ程のよく脂の乗ったアジが釣れ始め、バケツはたちまち一杯に。
夕方のピンク色の空が素晴らしいと誰かが言って、それではと記念写真(下の写真)



(御馳走)
民宿、ふくや荘は工務店のS氏の定宿で、料理もよく、部屋も清潔、ご夫婦も素朴・品がありいい宿。
夕ご飯の海の幸、これを3等分して、3日食べても、御馳走。
うに、アワビを口いっぱいに頬張り、ご機嫌でした。(下の写真)


翌日は、食べすぎで、胃が重い。
予定していた船釣りは高波のため中止。
昨日の波止場で、またアジねらいをしましたが、カラ振りでした。
5月の日差しと潮風で、昨晩の二日酔いも納まり、ふくや荘を出発(下は記念写真)


(ピカドン)
薩摩隼人のO氏、75歳で、終戦時9歳。
長崎で大村にお住まいで、原爆投下の時、外に出ていて、原爆を体験したのとこと。
 ピカと強い光がして、そのあとから、腹の底から響くような、ドカーンというものすごい音。
 本当は遅すぎるのだが防空壕に飛び込み、また直ぐ、外に出てみた。
ピンク色のキノコ雲が山向こうの長崎の方向に高くたちのぼっている。
悲惨だったのは、そのあとで、重傷者は車で、歩けるものは徒歩で大村まで避難してきたが、皆さん皮膚が一面焼けただれて、「水を」といいながら亡くなっていった。
近所に病院の死体安置所があったが、おさめきらず、外に山積みになっていたとのこと。

世の中一寸先は闇、今日、楽しく遊ばねばと思った次第。


小田原の松永記念館様子は、
http://blog.goo.ne.jp/takeda12345_2006/d/20100324
 に詳しい。
 写真の小田原の記念館の池は、松永安左エ門が設計したもので壱岐をイメージしたものだそうで、玄関口方向が、松永安左エ門が育った印通寺のような気がする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする