先日、不良爺さんたち6人で壱岐にドライブしたさい、立ち寄った松永安左エ門記念館で見た、松永安左エ門の遺言状。
後、何年生きているのやらと、爺さんたちぼやいているので、この心境に近付きたいと思った次第。
「一つ、死後のはからいの事
何度も申し置く通り、死後の一切の葬儀、法要はうずくの出るほど嫌いにこれあり。
墓碑一切、法要一切が不要。
線香類も嫌い。
死んで勲章・位階(もとより誰もくれまいが友人の政治家が勘違いで尽力する不心得、固く禁物)これはへどが出るほど嫌いに候。
財産はセガレおよび遺族に一切くれてはいかぬ。
彼らがダラクするだけです。
(衣類などカタミは親類と懇意の人に分けるべし、ステッキ類もしかり)
小田原邸宅、家、美術品、及び必要什器は一切記念館に寄付する。
これは何度も言った。
つまらぬものは僕と懇意の者や小田原従業者らに分かち与うべし。
借金はないはずだ。
戒名も要らぬ。
以上、昭和36年12月8日
横山通夫様
松永安太郎様
田中精一様
井上五郎様
木川田一隆様
この大締めは、池田勇人氏にお願いする。
以上」
(亡くなる10年前に書かれた遺書)
壱岐の記念館のこの遺書の実物を拝見するだけでも来た甲斐があった。
松永安左エ門著作集の第一巻にある松永安左エ門の亡くなる1年前の写真と、歴史家A.J.トインビーと、記念館の庭にある松永安左エ門夫妻の胸像の作者の北村西望の手記、冒頭に。
(A.J.トインビーの手紙は原本が記念館に展示されていた)