石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

11月5日の石仏巡り

2005年11月06日 | Weblog
 11月5日(土)は、足利市の奥戸町へ最初に行く。その目的は、当地の大勝金剛の最終的な地元での聞き込み調査にある。まずは、春日神社の両となりの家を訪れるが、若い人達であまり参考になる話しが聞き出せない。そこで、当地の自治会長さんの家を教えていただいて、尾崎金治氏宅を訪問。上手い具合に、早朝だったために在宅しておられ、この土地について色々な事を教えて戴けた。
 そして肝心な「大勝金剛」塔に話題は移り、尾名川にある2基の元々の所在地が明らかとなる。とくにその内の1基は、渡良瀬川拡幅工事に伴ってごと現在地に移動してきた物であることが判明。これには、私の想像していた元々の場所とは違っていたので大きな成果を得られた。そこで、特に今回の主目的である春日神社に納まっている愛染明王塔に話しが及ぶ。確かに、愛染明王が村の鎮守様である神社に取って付けたようにあるのはおかしいので、どこからか運ばれてきた物であろう、という事では話しが一致したが、「それではどこから?」ということになると全く判らない。昭和40年代の渡良瀬川拡幅工事以前に、既に神社に有ったらしいことまではそれから尾崎氏のあちこちへの情報収集にて判ってきたが、古老に聞いても皆一様に「どこから運ばれたか?」についたは皆が判らないという。そんな昔の話しに皆が興味を示して、あそこの地蔵はどこどこから運ばれてきた物だとか、あそこにあった素晴らしい姿の石像はいつの間にか盗まれてしまったので、栗田美術館が怪しいと、皆で見に行ったが判らなかったとか、兎に角面白い話しばかりが飛び出してくる。その度に私は、その元々の所在場所と現在の所在地を尾崎氏に戴いた地元の地図に書き込むのに忙しくなる。お陰で、奥戸町の昔の姿と今の姿が誰よりも理解できてしまった。そんなこんなで、最後まで愛染明王の元々の所在場所は判らず仕舞いに終わったが、尾崎氏宅で2時間以上の楽しくもためになった半日を過ごさせた戴いた。それにしても、宇都宮から突然にお邪魔した私に対し、地元の方々の親切な対応に嬉しさで胸がいっぱいになった。
 所で今日は、今秋の週末天候としては稀にみる快晴。奥戸町を離れてからは、今日の最大の目的が達せられた嬉しさもあって、次への石仏巡り地が頭に浮かんでこない。取り敢えずはと、コンビニに立ち寄って昼食を購入する。そしてその昼食を、気分の良い石仏碑塔のある所で食べたいものと思って、まだ未訪問地の瑞穂野町中日向の観音堂にする。そこには、かつて訪れた同町内の満宝寺(旧寺名は万長寺)さんにて、東京石工作の宝篋印塔があることを聞いていたし、しかも延宝年間の庚申塔があることも知っていたからである。訪ねてみると、観音堂兼共同墓地にもなっているものの、秋のお昼を過ごす場所にはベンチもあり水もあり快適な場所である。
 食事にする前に一仕事と、まずは宝篋印塔銘文を読み出していると、そこへお墓詣りに来た女性がいて、「家のおじいちゃんが、こういう石造物に興味があるので、呼んできます」といって帰っていく。そしてそこに現れた初老の方と(お名前を聞くのを忘れてしまった!)、何とその後2時半まで一緒になって過ごすことになってしまう。勿論、独りでお昼ご飯にする事も出来ずに空腹のままで、である。この村の昔の歴史の話しから始まり観音堂再建の経緯やら、自分の家の家柄まで誠に詳しく話してくれる。が、肝心な、石造物や当地観音堂の歴史知識は持ち合わせていないらしく、私の知りたいことには答えられずに、それでもお互いにだれも関心を持たない地元の小さな歴史に興味を持っていると言うだけで、それなりに楽しい時間が共有できた秋の午後だった。もちろん、その話しの合間に当地観音堂の石造物は全て調査したことは言うまでもない。
 その後別れたものの、既にこの頃には更なる石仏巡りの意欲は消え失せていた。何となく帰路への道を走って、渡良瀬川の土手上で誠に遅い昼食を頬張った後は、いつのまにか佐野市の赤見町まで来てしまう。
 そうだ!ここまで来たなら、来週の一泊二日「多摩石仏の会」の皆様との、庚申塔巡りの旅の宿泊地である「福寿荘」へ挨拶してこよう。と、出流原弁天様を脇に見て福寿荘へ行く。そして、来週土曜日の宿泊者は7名であることと、夕食は宿泊しない1名を加えた8名であることなどを最終予約する。「宿へ到着するのは何時頃になります?」との問いに、思わず午後4時頃ですと答えたものの、秋晴れとなった今日は、いつもと違って4時を過ぎてもまだ陽があることをその後で実感し、来週もこのような天気ならば、夕方5時頃まで石仏巡りが出来るかも知れないと、欲張った事を考えながら行楽地の車渋滞には関係ない293号線をのんびり帰る。
 そんな次第で、今回も具体的な石仏調査の成果は無に等しい。それでも、安永年間の石祠型「道祖神」を見つけたので、少なくもそれだけはいつもの「石仏巡り記」にはご紹介しようと思っている。