石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

11月19日の石仏巡り記

2005年11月20日 | Weblog
朝から、冬晴れの素晴らしい天気で日光の山々は雪を被って朝日に輝いている中を、今回も足利市へ293号線で向かう。
先週と違って、今日は一人での石仏巡り。何となく開放感に浸りつつ、足利市でも最南端に位置する梁田郡へどこへ行く宛もないまま入る。高松町内で適当に小径へ入り、まずは目に入った共同墓地の調査から今日は始める。
そしてこの墓地の無縁塔群のなかに、下部が埋没している文字塔を見つける。そこには、「奉唱 光明真言貳億五[埋没不読]/六字章句八億七[埋没不読]」という文字塔がある。読誦塔で「六字章句」とあるのは非常に珍しく興味津々。勿論、そこにある「光明真言」は例の「オン アボキャ ベイロー シャーノウ…」で始まる真言で馴染みはあるが、「六字章句」の真言となると、浅学の身には判らない。
一般に、六字章句というと「請観世音菩薩消伏毒害陀羅尼経」からの真言と見なして良いのだろうか。それなら日本には馴染みが薄いが、チベット教でもっともポピュラーな六字真言である「オン マニ バドメ フン」(チベット語で書くと六字になる)を唱えたことになるのだろうか。イヤ~、そんなはずはない!。と、自問自答しいているうちに時間ばかりが経過してしまう。まあ、今日はそんな暢気な石仏巡りが目的と言えば目的なのだが…。これでは一向に先へ進まないとこの辺で詮索は諦める。
その後も、途中途中で碑塔類を見つけては記録しながら、ようやく観音寺門前に到着。その門前には、先ほど悩んだ流れの一つである光明真言塔が建っている。駒形石に光明梵字真言を刻んだ下に「光明會供養」とある。「光明真言供養」ではなく「光明會供養」とあることに興味を持って右側面を見ると、そこに「當村惣會男女」とあるので、なるほど!と納得する。境内を覗くと、近世の宝篋印塔がある。見れば、宝篋印陀羅尼経から取った経文だけで281字がある。住職さんに挨拶してから、一文字づつ丁寧に手写し作業。三面は何とか解読出来たものの、残り一面は欠けた部分があり解読に難儀する。宝篋印塔に取りついたまま、一時間が過ぎても離れぬ我が身を思って住職さんが様子を見に来てくれる。この段階で、未読部分は諦める。まあ、その部分は最後の願文だけに良いか!と。そして住職さんが出てきたのを幸いと、本堂の中に祀られている足利市文化財に指定されている銅像地蔵菩薩立像を拝見願うと、あっさりと見せてくれる。享保四年銘の佐野天明金屋町、丸山平右衛門尉藤原政重 の作である。(帰宅して、早速高橋氏に電話したら、それは10年以上も前に調査済みとのこと、判っていたとはいえ全く高橋氏の調査行動に脱帽である)
時間は、とっくに12時を過ぎている。どこかで昼食を!と、今日の場所に相応しいところを探している内に、何時のまにやら小曽根町を通り越して羽刈町へ入ってしまっていた。そして広大な駐車場がある慶性寺で、のんびり昼食とする。その車中から見るだけでも、このお寺さんには沢山の碑塔があるようだ。
そして食後の一休みを終えて境内に入れば、延宝庚申塔に始まって沢山の碑塔が私を待っていた。住職さんに挨拶すると、墓地内に宝篋印塔があるとのこと。今日は、1基の宝篋印塔調査だけで満足なのだが、あると判れば調べなくてはならない。幸い?銘文は簡単なもので大助かり。ものの20分程で片付け、門前の庚申塔に張り付く事にする。しかし、写真を撮るには早くも西へ傾きだした太陽で逆光となっている。まあ、どうせ近い内にまた来るだろうからと、フラッシュをたいて無理矢理の写真を撮る。そして銘文解読から始まる記録取りに入る。その庚申塔の中の1基、紀年銘の所だけが欠けている。本気になって探すと、どうやら「庚」文字が読みとれる一字がある。像容的には元禄を下ることはないと思われるので、或いは延宝庚申塔かも知れぬと欠けて無くなった部分を撫でる。そして問題の延宝八年塔、頂上の種子が十一面観音からの変化と思われる「キャン」がある。この庚申塔種子は、この地方にだけ見られる種子で、これで4基目の出会いである。その他、当寺には様々な碑塔があるが、今日は門前だけの調査で終了する。
西日を受けた雑木林の山々は、黄金色に輝いている。そんな風景を楽しみながら、宇都宮までの約1時間をノンビリドライブで帰路に付く。
来週は、東京の橋口氏を当地に迎えて、暫くぶりに那須方面の馬頭観音様巡り。途中途中で、犬や猫の姿が見られる石塔を加えながら、来週もまた橋口氏との珍道中石仏巡りである。これもまた、楽しき哉。