今日は雨が降らないことを信じて朝早く家を出たのに、鹿沼市へ入ると雨が強く降ってくる。さらに都賀町を経て栃木市へ入ると益々雨足は強くなり、とてもではないが石仏巡りは出来そうもない。岩舟町のお寺さんを訪ねて雑談をするには、少しばかり早すぎる時間で迷惑をかけそう。仕方なく、南の空が明るいのに従って栃木市を抜け、大平町へ入る。この頃から雨が弱くなり、気をよくしてそのまま道路に従って南下し、藤岡町へ入る。しめしめ、ここまで来たら雨が一滴も降っていない。
着いたところは、栃木県藤岡町部屋地区。この周辺の点在している碑塔類は精査していないので、雨が降っていないだけでももうけ物と、今日はこの地区の石仏巡りとする。細い道をくねくねと巡りながら、目に入る碑塔類を調査記録していく。そして部屋地区を終えると隣の帯刀地区、更に石川地区へと入って、宝篋印塔を含めてのんびり気長に見て歩く。そして昼食時間が近づけば、その場所に相応しい場所として渡良瀬遊水池の土手へ出て、熱気球の浮かぶ空の下でのんびり過ごす。そんな昼休みを長く取りすぎて、何となく午後からは石仏巡りのモードが切れてしまった。そこで今日は、この周辺から動かないことにして、藤岡町と野木町と小山市が複雑に入り交じった地域を一つとして、午後からは思川西岸地区を適当に見て歩く。
突然思い出したのが、小山市白鳥地区の八幡宮にある、梵字光明真言陀羅尼の石塔。この石塔は、一般に見る光明真言塔とは違って、梵字真言を読むのに適した教科書的書き方がなされているのを思い出したのである。それを拓本に取るべく向かって、ここで多くの時間を過ごす。大きな碑塔なので、碑面を綺麗に水洗いするのは面倒なので止め、文字部分だけの簡易拓本にしたが、それでも教科書的に使用するには充分な拓本が取れた。近くの子供が一人で遊びに来たので、その子を相手に更に時間をつぶし、その後は益々の惰性で周辺をうろついただけで、目にした碑塔調査もせずに午後4時になったのを潮時にそのまま帰宅する。それでも、今日一日での碑塔調査の記録用紙は52枚。しかも、宝篋印塔陀羅尼経銘文が3基も含まれているのだから、のんびりした石仏巡りにしては満足のいく一日だった。
着いたところは、栃木県藤岡町部屋地区。この周辺の点在している碑塔類は精査していないので、雨が降っていないだけでももうけ物と、今日はこの地区の石仏巡りとする。細い道をくねくねと巡りながら、目に入る碑塔類を調査記録していく。そして部屋地区を終えると隣の帯刀地区、更に石川地区へと入って、宝篋印塔を含めてのんびり気長に見て歩く。そして昼食時間が近づけば、その場所に相応しい場所として渡良瀬遊水池の土手へ出て、熱気球の浮かぶ空の下でのんびり過ごす。そんな昼休みを長く取りすぎて、何となく午後からは石仏巡りのモードが切れてしまった。そこで今日は、この周辺から動かないことにして、藤岡町と野木町と小山市が複雑に入り交じった地域を一つとして、午後からは思川西岸地区を適当に見て歩く。
突然思い出したのが、小山市白鳥地区の八幡宮にある、梵字光明真言陀羅尼の石塔。この石塔は、一般に見る光明真言塔とは違って、梵字真言を読むのに適した教科書的書き方がなされているのを思い出したのである。それを拓本に取るべく向かって、ここで多くの時間を過ごす。大きな碑塔なので、碑面を綺麗に水洗いするのは面倒なので止め、文字部分だけの簡易拓本にしたが、それでも教科書的に使用するには充分な拓本が取れた。近くの子供が一人で遊びに来たので、その子を相手に更に時間をつぶし、その後は益々の惰性で周辺をうろついただけで、目にした碑塔調査もせずに午後4時になったのを潮時にそのまま帰宅する。それでも、今日一日での碑塔調査の記録用紙は52枚。しかも、宝篋印塔陀羅尼経銘文が3基も含まれているのだから、のんびりした石仏巡りにしては満足のいく一日だった。