昨日12日の石仏巡りは、栃木県藤岡町と岩舟町の一部へ行って来ました。その最大の目的は、曇天でないと旨く撮影できない写真撮影にありました。それと、溜めてしまった藤岡町の宝篋印塔を纏めて調査しようと、何と一日で6基もの寶篋印陀羅尼經銘文を書き写すことが出来ました。それにしても、藤岡町は宝篋印塔が有りすぎる。あまりにもの多さに嬉しい悲鳴をあげてしまうほどである。それを目的に行きながらも、流石に6基目の銘文を写し終えた頃にはうんざりしてしまった。やはり、一日での寶篋印陀羅尼經塔の調査は3基止まりが良いところでしょう。
さて、昨日は朝からどんよりと曇っているのを幸いと、藤岡町太田地区の公民館を訪ねました。ここにある、二童子付きの元文庚申塔が今迄は何としても良い写真が撮れなかったのです。その理由は、一度でもここへ行った人なら私の話が納得するような、それはそれは写真撮影泣かせの場所なのです。同様に、ここにある宝篋印塔も同様で、銘文は何と言うことも無いのに、その写真となると日中では何としても様にならないのです。それらを今回ばかりはじっくりと腰を据えて撮影できました。
その後は、これまでに存在を確認しながらついつい面倒で調査しなかった周辺の寶篋印陀羅尼經が刻まれた宝篋印塔の銘文読みに集中しました。つまり、太田公民館に浄光院に都賀地区の中居公民館に大谷田公民館の都合6基です。流石に、近くの共同墓地にあるのは次回へ繰り越しにしました。それでも、今日はわずかこの数カ所だけで一日を終えてしまいました。
天気予報では、午後3時過ぎからマチガイナク、雷雨があるとのことで、その3時になったのを潮時と少し早いが今日の石仏巡りを終えて藤岡町を後にする。確かに、相変わらず曇っていていつ雷雨があってもおかしくないが、私の通る上空からは一向にその気配がない。そこで岩舟町へ入ってから、それならもう一仕事と、過日岩舟町の観光協会理事さんからメールでご教示いただいていた「明治天皇御野立所」の記念碑があるというので、それをついでに調べることにする。場所は、「日本一小さな博物館」と銘打っている「岩舟石の博物館」東側の山の上である。行ってみると、なるほど大きな記念碑で高さが336センチもある堂々としたもの。内容は、明治天皇崇拝ものだが、一応は石造物なので記録を取り、裏面にあるくだらぬ銘文を書き写してから写真に納めて帰宅する。
そして今日は旧盆入り。午前中にお墓へ行ってご先祖様を迎え入れる。その後は、取り溜めてしまったツバメ君の写真プリント。これだけで午前中は終わり。午後は、何となくのんびりしてからパソコンに電源を入れ、只今これを打ち込んでいる。明日は、あちこちの家へお線香あげに行く予定。そして突然話は変わるが、今年の長梅雨で我が家のスイカは今頃になってようやく成長過程に入った所。最初に実ったスイカは既に食べてしまったので、いつもならこの時期、毎日一人1個づつあてがわれるスイカも今年の旧盆には食べられないという一抹の寂しさがある。
そんなこんなで、毎年そうなのだが、この旧盆中は以外と休みがありながら石仏巡りには出かけられない。昨夜、石仏DBを見ていたら栃木県野木町の江戸前期までの庚申塔中に写真がないのを見つける。これはマズイ!、と思いながらも野木町は宇都宮からだと少しばかり遠い。本来なら、この連休中に写真撮影に行きたいところだが…。
さて、昨日は朝からどんよりと曇っているのを幸いと、藤岡町太田地区の公民館を訪ねました。ここにある、二童子付きの元文庚申塔が今迄は何としても良い写真が撮れなかったのです。その理由は、一度でもここへ行った人なら私の話が納得するような、それはそれは写真撮影泣かせの場所なのです。同様に、ここにある宝篋印塔も同様で、銘文は何と言うことも無いのに、その写真となると日中では何としても様にならないのです。それらを今回ばかりはじっくりと腰を据えて撮影できました。
その後は、これまでに存在を確認しながらついつい面倒で調査しなかった周辺の寶篋印陀羅尼經が刻まれた宝篋印塔の銘文読みに集中しました。つまり、太田公民館に浄光院に都賀地区の中居公民館に大谷田公民館の都合6基です。流石に、近くの共同墓地にあるのは次回へ繰り越しにしました。それでも、今日はわずかこの数カ所だけで一日を終えてしまいました。
天気予報では、午後3時過ぎからマチガイナク、雷雨があるとのことで、その3時になったのを潮時と少し早いが今日の石仏巡りを終えて藤岡町を後にする。確かに、相変わらず曇っていていつ雷雨があってもおかしくないが、私の通る上空からは一向にその気配がない。そこで岩舟町へ入ってから、それならもう一仕事と、過日岩舟町の観光協会理事さんからメールでご教示いただいていた「明治天皇御野立所」の記念碑があるというので、それをついでに調べることにする。場所は、「日本一小さな博物館」と銘打っている「岩舟石の博物館」東側の山の上である。行ってみると、なるほど大きな記念碑で高さが336センチもある堂々としたもの。内容は、明治天皇崇拝ものだが、一応は石造物なので記録を取り、裏面にあるくだらぬ銘文を書き写してから写真に納めて帰宅する。
そして今日は旧盆入り。午前中にお墓へ行ってご先祖様を迎え入れる。その後は、取り溜めてしまったツバメ君の写真プリント。これだけで午前中は終わり。午後は、何となくのんびりしてからパソコンに電源を入れ、只今これを打ち込んでいる。明日は、あちこちの家へお線香あげに行く予定。そして突然話は変わるが、今年の長梅雨で我が家のスイカは今頃になってようやく成長過程に入った所。最初に実ったスイカは既に食べてしまったので、いつもならこの時期、毎日一人1個づつあてがわれるスイカも今年の旧盆には食べられないという一抹の寂しさがある。
そんなこんなで、毎年そうなのだが、この旧盆中は以外と休みがありながら石仏巡りには出かけられない。昨夜、石仏DBを見ていたら栃木県野木町の江戸前期までの庚申塔中に写真がないのを見つける。これはマズイ!、と思いながらも野木町は宇都宮からだと少しばかり遠い。本来なら、この連休中に写真撮影に行きたいところだが…。