昨日17日は、今月に入って初めての本格的な石佛調査に出かけました。行き先は、相変わらず栃木県藤岡町です。宝篋印陀羅尼経の刻まれた宝篋印塔を4基、一気に調べてきました。その内の1基に刻まれていた最大文字数は、650余字。それらを全て手書きで書き写しましたので、それからそれぞれの写真撮影を加えるとこの4基の宝篋印塔だけで一日の半分以上は終わってしまいました。
「なんて馬鹿なことを」と、自分でも感じましたが、これも誰かがやらなければならないことと腹を据えて行いました。その為に、廃寺となった延命院がどれほどの規模であったかが理解されてとても勉強になりました。
残りは、相変わらず歓喜院跡の碑塔調査に費やしました。それでも、表面に刻まれた梵字までは調査できませんでした。同地にて、それらの碑塔を建立した「宥専」という人物のお墓も見つかり、後はどのように纏めるかの最終段階となりました。帰路に、幾つかの未調査「青面金剛像容塔」を調べ、これで藤岡町の像容庚申塔で未見は6基ほどになりましたので、あと少しで藤岡町から離れることが出来ると思っています。
昨日は、九州方面に来ている台風のために天候が荒れるのではないかと心配しましたが、一日中雨も降らず、また拓本取りの大敵である風も吹かずに高曇りの天候となって、8枚ほど手拓することも出来ておもわぬ収穫に大満足の一日でした。
ただ、皆様にご紹介する石像物画像となると話しは別で、これには困っています。そこで考えました。私のHPは、皆様に面白い画像を見せるためのHPではないことを!。私の好き勝手な石佛巡りの報告の場であることを、再確認しました。これからは、皆様にとってはつまらない、また写真が良く撮れていなくても、私の掲載したい画像を載せようと思います。しかし、昨日の石佛巡り画像は少し先になります。何しろ調べてきた碑塔の文字や梵字、真言梵字等々その数が膨大なだけに、その清書だけでも数日かかり、その内容確認には更に日数がかかりますので、今回撮影した画像処理はそれからの話しになります。
それにしても、もうそろそろ秋らしい天候になっても良い頃なのに。本当に、毎週一度の外出を楽しみにしている私としては、本当に困っています。
来週、天候が良ければN氏と連絡を取り合って、一緒に栃木県の庚申塔巡りと行きたく思っています。
「なんて馬鹿なことを」と、自分でも感じましたが、これも誰かがやらなければならないことと腹を据えて行いました。その為に、廃寺となった延命院がどれほどの規模であったかが理解されてとても勉強になりました。
残りは、相変わらず歓喜院跡の碑塔調査に費やしました。それでも、表面に刻まれた梵字までは調査できませんでした。同地にて、それらの碑塔を建立した「宥専」という人物のお墓も見つかり、後はどのように纏めるかの最終段階となりました。帰路に、幾つかの未調査「青面金剛像容塔」を調べ、これで藤岡町の像容庚申塔で未見は6基ほどになりましたので、あと少しで藤岡町から離れることが出来ると思っています。
昨日は、九州方面に来ている台風のために天候が荒れるのではないかと心配しましたが、一日中雨も降らず、また拓本取りの大敵である風も吹かずに高曇りの天候となって、8枚ほど手拓することも出来ておもわぬ収穫に大満足の一日でした。
ただ、皆様にご紹介する石像物画像となると話しは別で、これには困っています。そこで考えました。私のHPは、皆様に面白い画像を見せるためのHPではないことを!。私の好き勝手な石佛巡りの報告の場であることを、再確認しました。これからは、皆様にとってはつまらない、また写真が良く撮れていなくても、私の掲載したい画像を載せようと思います。しかし、昨日の石佛巡り画像は少し先になります。何しろ調べてきた碑塔の文字や梵字、真言梵字等々その数が膨大なだけに、その清書だけでも数日かかり、その内容確認には更に日数がかかりますので、今回撮影した画像処理はそれからの話しになります。
それにしても、もうそろそろ秋らしい天候になっても良い頃なのに。本当に、毎週一度の外出を楽しみにしている私としては、本当に困っています。
来週、天候が良ければN氏と連絡を取り合って、一緒に栃木県の庚申塔巡りと行きたく思っています。