石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

11月4日、日光の庚申塔調査に行きました

2006年11月05日 | Weblog
 昨日11月4日は、先週に引き続いて日光へ行きました。朝早く行ったので、東照宮裏の滝尾道には観光客の誰一人としていなく、気分快適に一週間違いで綺麗に色づいた中で、一人静に庚申塔調査をしてきました。勿論それらは過去に見ているのですが、今回はその精査の為にです。特に、滝尾道の手掛け石の近くにある寛文塔、今回は本気になって拓本も取りました。紅葉に中に身を置くと、ついつい景色にばかり見とれてしまって精査が終了したのは10時を過ぎてしまい、我ながら時間の無駄遣いに笑ってしまいました。それでも、拓本を取って初めて判った事もある、やはりこれからの庚申塔調査は今までの調査方法から一歩脱却しての精査が必要なことを実感した。
 その後は、先週も訪ねた白糸の滝にある栃木県最古銘の庚申塔を見に行きました。相変わらず、杉の大木の下に横たわっていました。紅葉の中で繊細な白糸の滝を眺めながら、「そいうえば、この庚申塔の下部に宣告された連座のみは、拓本に取っていなかった」と、一人つぶやきながら駐車場へ戻り、拓本道具一式を抱えてこれも手拓してしまいました。もっとも、こびりついた苔を落とすのに(金属ブラシを仕方泣く使用)多大な時間を要しましたが…。そんなこんなで、この滝尾周辺でほぼ午前中を過ごしてしまいました。そんな訳で、午前中は滝尾道の1其とここの調査のみという体たらくですが、その分を紅葉の静かな景色が楽しめました。
 昼食は、所野の磐裂神社で食べようと混雑し始めた日光山内を離れ、先月に春日部市の中山氏を案内したばかりの磐裂神社へ到着。ところが、前回と違って今回は猿の集団が周囲を徘徊している。猿たちにかかっては勝ち目がないので、境内での食事を広げての昼食を控え、まずはこれまでに何度も見ている庚申塔2基の拓本を取ることにする。もちろん、用心のために手頃な棒を山の中から拾ってきて手元に置き、道具類は一個所に纏めての作業である。今までは紀年銘や銘文を読むだけだったので、その他の個所は泥と苔が酷い。手拓するための碑塔面水洗いに、ここでも莫大な時間を要してしまう。※そんなわけでここの調査に行くのなら、今が最高の状態です。ピカピカに磨いてきましたので(^O^);
 ようやく水洗いも終了し、いよいよ手拓開始となったころに風が吹き出してくる。苦戦しながら両手に両足まで使用して画仙紙を当て、いよいよ墨入れ開始という時になって、突風によって画仙紙が吹っ飛んでいく。泣く泣く、もう一度最初からやり出すが、今度は張り終える前に風が持っていってしまう。幸いにも、猿の集団に襲われないだけましかと思いつつも、そんなことを繰り返してようやく墨入れが完了したのは午後も2時を過ぎていた。この場所のたった2基の精査のために要した時間は3時間強。一体私は何をしているのだと歯がゆくなるが、これが今までの調査よりは深く突っ込んだ精査と自分で慰める。もちろん、この時点で昼食をまだ取っていなかったのは当然である。
 真下に見える学校の校庭を、猿の一団が通り抜けて田に掛けてある稲を引き抜いては喰い荒らし回っているのを見ると、どうにも一人では食事を広げられないと空腹を我慢していたが、もう限界である。車へ戻って窓を閉め、先週に引き続いての遅い昼食にする。
 昼食後は、この磐裂神社から直ぐ近くの滝尾神社にある寛文塔の精査に向かう。その場所は、道が狭くて車が置けないので磐裂神社から歩いていく。その途中の、民家にある柿木という柿木には何匹もの猿たちが登って大騒ぎしている。その脇を通って、庚申塔調査に入るが、流石に猿が周囲にいては落ち着いて拓本を取る気力を無くして写真だけにする。それでもここで小1時間程を費やしてから磐裂神社へ戻る。
 今日は、紅葉見物を兼ねてとはいえ一日でたった4基の庚申塔調査で終わってしまった。単純計算すれば、1基当たり2時間も時間をかけたことになる。嗚呼、一体私は何をしているのだろう。腹を空かせて、腰はバラバラになるくらい痛い思いをしてまで、石仏相手に遊ぶことはないのだが…。せめてもの、もう1基位は調査したい気持ちもあるのだが、今日の所は疲れも感じてきたので日光街道が車渋滞になる前に帰宅することにしました。
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