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石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

12月2日の石仏巡り

2006年12月03日 | Weblog
昨日12月2日は、高橋久敬氏に過日ご教示頂いた栃木市の庚申塔を実見するために出かける。まず初めに、樋ノ口町の地蔵堂を訪れて調査し、ついでに共同墓地にある庚申塔も調査。その後で、宮田町の星宮神社へ行く。ここには庚申塔を含めて沢山の碑塔が並んでいる。まず、少し離れた畑にある青面金剛塔から始めて、風もなく穏やかに日和の中でのんびり調査。境内にも軍馬碑があるので、ついでにそちらも調査。その中の1基、日支事変の徴発軍馬碑とあるものは、裏面に沢山の馬名と馬主の名前やどこの部隊に徴発されたかも記してあるので、これは面白いと拓本を取る。その手拓した用紙を、剥がす段になって注意散漫で破いてしまう。その破れた破片を眺めながら、何とも私らしい作業だと一人苦笑い。まあ、良いか。帰宅してから修復しよう。
その後は、宮田町のもう一個所を訪ねてから、道なりに下がって高谷町の碑塔を調査して小山市へ入る。小山市小薬地区の碑塔を少し調べてから、今日のもう一つの目的地であった大本地区へ入る。
ここで、昼食タイムとしては少し遅い1時頃に篠塚稲荷神社へ!。しかし、車の後座席から昼食とすべき食料を取り出そうとして、我ながら呆れる。そう、うっかりして途中のコンビニで調達する筈だった「メシ」がないことに、この時点で気が付いた。何のことはない。石仏調査にばかり夢中になって、弁当を「買い忘れていた」ことを「忘れた!」のである。この周辺にコンビニはなく、そうかと言ってこの地を離れるのは嫌なので、今日は持参した水をがぶ飲みし、昼食抜きで石仏調査を続行することにする。
早速、適当に内の小道を含めてウロウロすると、道路から離れた少し高台に碑塔が並んでいる。車を止めて行ってみると、そこには半鐘までぶら下がっている。「ヘエ~、こんな所に半鐘があるなんて、珍しい!」と呟きながら見てみると佐野天明鋳物製である。あの、高橋氏のことだから、当然知っているのだろうな。と思いつつも、万が一にも「知らなかった」と言われたのでは申し訳ないと写真を撮る。帰宅したら、メールで知らせよう。また同地で、「十九夜」塔に始めてお目にかかる「鴻賓月」という文字を見る。その意味するところ、帰宅したが判らなかった。
この時点で、時計は早2時半。今日の石仏調査も最終段階を迎えたので、せっかく近くに来ているのだからと、最後の仕上げとして寛文十年銘の庚申塔を訪ねに行く。それは、実に14~5年ぶりのことだが、石文が全て読み切れていなかった庚申塔。精読を試みたが、やはり1文字が不読となってしまった。同地にある2基の「道祖神」文字塔を改めて記録し、本日の調査碑塔は合計で53基となった。これは実に久しぶりのこと。年に1~2度しか経験できない調査数で、それもこれも、昼食を食べ損なった成果に違いないと苦笑する。
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