石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

12月10日は小山市の石仏巡り

2006年12月11日 | Weblog
 12月9日の宇都宮は、一日中氷雨の降る寒い一日だった。その氷雨、いったいどこまで北上したら雪になるのだろうと馬鹿な考えで、旧今市市と宇都宮の北部境目当たりかと気になって仕方がない。車は、今月1日に冬用タイヤに履き替えてあるので、そんな今年初めての雪道ドライブを経験したくなった、そんな寒い一日だった。

 さて昨日12月10日の石仏巡りは、先週に引き続いて栃木県小山市へ行きました。やはりその目的は、網戸地区の曹洞宗長慶寺さんにある寛文九年銘庚申塔(ちなみに小山市での庚申塔初発)の精査です。過去に訪ね、一応は調べていたのですが、銘文の一部に読めないところがありそのままにしていたからです。今回は、そんな訳で面倒がらずに時間をかけ拓本を取って確認しました。今日の大きな目的はこれで済んだので、あとの残りは気ままに周辺の石仏巡りを行いました。
 今回の石仏巡りでも、四基の宝篋印塔に出会いましたが精査したのは二基のみで、あとの二基の内一基は写真のみ。残る一基は、個人墓地内ということもあり、写真さえ撮らずに持ち越しとなりました。このような石仏巡りをするから、少しも先へ進まないのだと思いながらも、まあ、残しておけばいつか再訪する楽しみがあるものだと負け惜しみです。 それと、間中地区の観音堂を石仏最後として最後に訪れました。過日、佐野在住の高橋氏よりこの墓地内に一石各二体三面に六地蔵像容があると教えられたので行きました。それほど広くない墓地ながら、見つけるまでにウロウロしてしまい、ここでも苦笑。それでも、その碑面には「惣筆子中」の文字を見つけてニンマリです。同観音堂には、側面に建立の謂われが記された庚申塔があったのですが、午後も三時近くと言うことと、疲れが見えてきて拓本を取ることをサボりました。帰宅してから、嗚呼やはりその石文が必要だったと後悔しました。
 今回も前回同様に途中で食料調達を忘れ、昼食時間に大慌て。しかし、無いものはどうあがいても仕方がないと諦めて石仏調査を続行。それでも、途中でコンビニが見つかり遅い時間ながらお腹を満たすことが出来ました。そんな訳で、今回も再調査を含めてとはいえ、総数45基の碑塔類を見ることが出来ました。

 前日、青梅市の石川博司氏より「栃木秋まつりを歩く」が送られてくる。そしてその中の手紙に、栃木市大町の川上稲荷神社境内に「千庚申塔」があることを教わる。一瞬、グクッ!。我が家から三十分もあれば着いてしまう栃木市の町中に「数庚塔」があったのを今まで気づかずにいたのである。それを、東京のはずれの青梅市から情報を頂くとはなんたる怠慢。と言いながら、今回も小山市からの帰路にその直ぐそばを通りながらも通過。その数庚塔は、年内にゆっくり訪問しようと考えているからである。
 いずれにせよ、残り少なくなった年内は小山市と栃木市の主に庚申塔等、再調査の必要な碑塔を中心に見て歩こうと考えている。