石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

1月27日、小山市の石仏巡り

2007年01月27日 | Weblog
本日、1月27日も小山市へ石仏巡りに出かけました。今回も、紀年銘が不明な庚申塔を中心に確認して歩きましたが、成果は何もなくて全て不明は何度確認しても不明のままでした。1基位は、思わぬ紀年銘が出てくるかと期待していたのですが…。これで、小山市の紀年銘不明庚申塔は全て実見確認することが終わりました。
もちろん、その途中途中でまだ見ていない碑塔を見かければ立ち寄ったのは言うまでもありません。また、午後には前々から気になっていた「月記念仏」と、書籍にあったのを確認しに行きましたら、やはり私の予想していたとおり「日記念仏」塔でした。本日最大の嬉しい碑塔の確認です。
本日の最後は、南河内町に出ましたので本吉田地区の寛文阿弥陀像庚申塔を久しぶりに訪ねました。昔と同じ景色の中にあり、なぜか安心しました。
そしてついでだからと黄梅寺跡へ立ち寄り、亀田鵬斎が揮毫した碑文を拓本に取りたくて行ったが、風がけっこう強く吹いていて断念せざるを得ませんでした。そのまま帰宅するにはまだ時間があったので、隣の家のワンちゃんに吠え続けられながら同地にある素晴らしい宝篋印塔を写真に撮ったり、ついでだからと銘文を再確認のために筆記して時間をつぶしてから帰宅する。
帰宅すると、あきる野市の多田氏から「悠真」石仏月報が届いている。相変わらずの、写真が一杯の石仏巡り報告書に今夜は楽しめそうだ。
そして今悩んでいるのは、「小山市の江戸前期まで庚申塔」の改訂版をもうこれ以上は無いと断言して発行しようかどうかで、である。小山市の庚申塔は一応見終えた気分だが、小山市のどこかにまだ江戸前期迄に建立された庚申塔があるのではないかという疑念が、私の心の中で拭い去れないでいる。その疑念が残っている以上、改訂版の改訂版をまた作成するのはいやなので軽々に報告書を纏めるべきではないと考えている。が、今1月号の「石仏月報」は、既に印刷も終えて暮れから年始にかけて書籍を頂いた方々を中心に発送するばかり。その石仏月報に、小山市の庚申塔纏めを一緒に送ると書いてしまったので、同封しなければ失礼になるし…。ホント、どうしよう!
明日は日曜日、まあ、ゆっくり考えることにしましょう。
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