2007年12月22日の土曜日も、先週に続いて佐野市在住の高橋氏と一緒に足利市の石仏巡りを行いました。9時待ち合わせの廃寺跡へ、私のうっかりミス(ガス欠だったのを忘れていて給油に時間を取られてしまった)で些か遅れてしまった。
さて本日は、足利市久保田町の墓地を中心に高橋氏が案内してくれると言うことで、少なからず期待を抱いていたが、最初に訪れた本源寺で早速に「十王」に関する碑塔と対面することが出来た。後でHPの方へ掲載しますが、この手の十王に関する碑塔は栃木県内で初めての出会いだけに、今日の成果としてはこれだけでも十分な気持ちになってしまう。その後に訪れた、西久保田地区では、それこそ沢山の碑塔に出会い感激物です。特に如意輪観音像の修復記念碑や、この地区で共通してみられる宝篋印陀羅尼経の銘文等々。午前中のほとんどをここで過ごしてしまったと言っても過言ではないほどです。それでも、面倒になって石文を解読しないものが1基残ってしまいました。何しろ今日は、朝から肌寒い曇天なので、手拓する気持ちが失っていたのです。また、途中の浅間神社では全く意味不明な文字塔にも出会ってしまい、こちらは只今のところ宿題として預かり中です。
昼食を取るに相応しい場所がなく、碑塔の何もない神社の拝殿階段に腰掛けてラーメンにお湯をかけて流し込むだけの何とも侘びしい昼食時間となりました。その後は、羽刈町や県町を巡って福居町へと廻りました。その途中、県町で古い「石敢當」を民家塀の脇で発見。自然石に文字が陰刻されている平凡なものですが、それがかえってその「石敢當」らしい信仰雰囲気を持っていましたので、これも本日の私にとってはお宝物となりました。そして最後に辿り着いたのが、福居町の地蔵堂です。その墓地入口には沢山の碑塔がありましたが、写真を撮るには曇天のために暗すぎるので、三脚を出そうとしてビックリ。車には、朝方に使用した三脚が乗っていなかったのです。そう、簡単に言えば置き忘れたのです。急いで、どこに置き忘れたかを記録用紙をめくってみれば、久保田町の廃寺跡墓地内。そう言えば、この墓地内で写真を撮っていたとき、少し離れた場所にある橋供養塔を見に行ったことに起因していたのです。その石塔全文の内容が確認されぬいらだちのまま諦め、側に駐車した車に乗ってしまって、墓地内に置いてきた三脚のことなどすっかり忘れてしまっていました。そしてその後、三脚を使用せぬまま行動していたので気づかなかった次第!
嗚呼、何という失態。今日の最後の場所として到着した地蔵堂には、いち早く重制石幢六地蔵の龕部があるのを高橋氏が見つけながら、それら全ての碑塔調査には少なくも1時間以上はかかるからと、この場所の調査を断念して三脚を忘れたところまで戻ることにする。その三脚は共同墓地内ということもあって、到着してみれば「忘れもんだヨ〜」と言わんばかりに撮影した状態のまま置いてある。
そんな次第で、足利市で15基目となる石幢を目の当たりにしながら調査できず、ここから帰宅することになった。それでも、先週より4基多い36基もの石造物を調査できた嬉しさに変わりない。それにしても悔しい。帰宅した後も、あの石幢が目に浮かんでくる。そこで、今年最後となるだろう次回の石仏巡りは、何をさておいても朝一番でその地蔵堂へ行くことにした。そうでないと、今年の石仏巡りの締めとして何とも気分が悪い!そんなこんなで、高橋氏に今年一年の挨拶も出来ぬままとなってしまった。
さて本日は、足利市久保田町の墓地を中心に高橋氏が案内してくれると言うことで、少なからず期待を抱いていたが、最初に訪れた本源寺で早速に「十王」に関する碑塔と対面することが出来た。後でHPの方へ掲載しますが、この手の十王に関する碑塔は栃木県内で初めての出会いだけに、今日の成果としてはこれだけでも十分な気持ちになってしまう。その後に訪れた、西久保田地区では、それこそ沢山の碑塔に出会い感激物です。特に如意輪観音像の修復記念碑や、この地区で共通してみられる宝篋印陀羅尼経の銘文等々。午前中のほとんどをここで過ごしてしまったと言っても過言ではないほどです。それでも、面倒になって石文を解読しないものが1基残ってしまいました。何しろ今日は、朝から肌寒い曇天なので、手拓する気持ちが失っていたのです。また、途中の浅間神社では全く意味不明な文字塔にも出会ってしまい、こちらは只今のところ宿題として預かり中です。
昼食を取るに相応しい場所がなく、碑塔の何もない神社の拝殿階段に腰掛けてラーメンにお湯をかけて流し込むだけの何とも侘びしい昼食時間となりました。その後は、羽刈町や県町を巡って福居町へと廻りました。その途中、県町で古い「石敢當」を民家塀の脇で発見。自然石に文字が陰刻されている平凡なものですが、それがかえってその「石敢當」らしい信仰雰囲気を持っていましたので、これも本日の私にとってはお宝物となりました。そして最後に辿り着いたのが、福居町の地蔵堂です。その墓地入口には沢山の碑塔がありましたが、写真を撮るには曇天のために暗すぎるので、三脚を出そうとしてビックリ。車には、朝方に使用した三脚が乗っていなかったのです。そう、簡単に言えば置き忘れたのです。急いで、どこに置き忘れたかを記録用紙をめくってみれば、久保田町の廃寺跡墓地内。そう言えば、この墓地内で写真を撮っていたとき、少し離れた場所にある橋供養塔を見に行ったことに起因していたのです。その石塔全文の内容が確認されぬいらだちのまま諦め、側に駐車した車に乗ってしまって、墓地内に置いてきた三脚のことなどすっかり忘れてしまっていました。そしてその後、三脚を使用せぬまま行動していたので気づかなかった次第!
嗚呼、何という失態。今日の最後の場所として到着した地蔵堂には、いち早く重制石幢六地蔵の龕部があるのを高橋氏が見つけながら、それら全ての碑塔調査には少なくも1時間以上はかかるからと、この場所の調査を断念して三脚を忘れたところまで戻ることにする。その三脚は共同墓地内ということもあって、到着してみれば「忘れもんだヨ〜」と言わんばかりに撮影した状態のまま置いてある。
そんな次第で、足利市で15基目となる石幢を目の当たりにしながら調査できず、ここから帰宅することになった。それでも、先週より4基多い36基もの石造物を調査できた嬉しさに変わりない。それにしても悔しい。帰宅した後も、あの石幢が目に浮かんでくる。そこで、今年最後となるだろう次回の石仏巡りは、何をさておいても朝一番でその地蔵堂へ行くことにした。そうでないと、今年の石仏巡りの締めとして何とも気分が悪い!そんなこんなで、高橋氏に今年一年の挨拶も出来ぬままとなってしまった。