2008年9月13日は、栃木県大平町の石仏巡りへ先週に続いて行きました。朝一番で、先週に訪ねた下高島の高島神社にある元禄名の庚申塔を再度訪ね、手拓などをしながら調べました。しかし、浅学な私では読めない文字があり、ウ〜ムとその場に座り込んで悩んでしまいました。
さて、それからは大平町の真弓地区と榎本地区の石造物を調査しました。しかしその多くは岩舟石を使用して建立されたものが多く、皆ボロボロとなっていて紀年銘どころか主銘文そのものが既に読めなくなっているものが多く、余り面白くない石仏巡りとなりました。それでも、榎本の総徳寺さんでは住職さんと話があい、何となく一緒に山門入口にある石塔を調査するはめになりました。そしてその中の一基、見寶塔品の偈頌塔を手拓したところ妙に感心され、どうも欲しい様子。この偈頌は、栃木県では珍しいものなので私自身が欲しくて手拓したわけだが、何となく自分のものにするには行かなくなり、住職さんに手渡してしまいました。
また、榎本地区の上町集会所にあった碑塔類が一基もなくなり、どこかへ運んだのだろうと隣家に尋ねたが分からないと言う。しかし、この近くにあるはずだと聖天院への道を入ると、その入口近くの下町児童公園の敷地内に綺麗に並んでいました。ここで、初めて目にする富士講の石塔を記録。それは、これからゆっくり調べるつもりです。それから聖天院の入口にある碑塔と、塔身だけで軸部がない大きな宝篋印陀羅尼経塔を見る。しかしその中台には350文字を越す石文が刻まれているので、既に午後3時半を過ぎてしまったのでそれを手写しするに躊躇してしまった。だが、今日は初めて出会った寶篋印塔だけに次回への繰り越しではもったいないと、気合いを入れて手写し作業開始。異体字使用箇所が多いので、ささと読み込み、書き写すわけにも行かず、時間を忘れて一文字づつ丁寧に書き写したので、終わったら午後4時をとっくに過ぎていた。それでも基壇にある石文は紀年銘を覗いてパスしてしまった。そんな、落ち込んだり、悩んだり、住職さんと楽しく過ごしたりと変化の多い石仏巡りでしたが、また次回も大平町へ入るつもりです。
さて、それからは大平町の真弓地区と榎本地区の石造物を調査しました。しかしその多くは岩舟石を使用して建立されたものが多く、皆ボロボロとなっていて紀年銘どころか主銘文そのものが既に読めなくなっているものが多く、余り面白くない石仏巡りとなりました。それでも、榎本の総徳寺さんでは住職さんと話があい、何となく一緒に山門入口にある石塔を調査するはめになりました。そしてその中の一基、見寶塔品の偈頌塔を手拓したところ妙に感心され、どうも欲しい様子。この偈頌は、栃木県では珍しいものなので私自身が欲しくて手拓したわけだが、何となく自分のものにするには行かなくなり、住職さんに手渡してしまいました。
また、榎本地区の上町集会所にあった碑塔類が一基もなくなり、どこかへ運んだのだろうと隣家に尋ねたが分からないと言う。しかし、この近くにあるはずだと聖天院への道を入ると、その入口近くの下町児童公園の敷地内に綺麗に並んでいました。ここで、初めて目にする富士講の石塔を記録。それは、これからゆっくり調べるつもりです。それから聖天院の入口にある碑塔と、塔身だけで軸部がない大きな宝篋印陀羅尼経塔を見る。しかしその中台には350文字を越す石文が刻まれているので、既に午後3時半を過ぎてしまったのでそれを手写しするに躊躇してしまった。だが、今日は初めて出会った寶篋印塔だけに次回への繰り越しではもったいないと、気合いを入れて手写し作業開始。異体字使用箇所が多いので、ささと読み込み、書き写すわけにも行かず、時間を忘れて一文字づつ丁寧に書き写したので、終わったら午後4時をとっくに過ぎていた。それでも基壇にある石文は紀年銘を覗いてパスしてしまった。そんな、落ち込んだり、悩んだり、住職さんと楽しく過ごしたりと変化の多い石仏巡りでしたが、また次回も大平町へ入るつもりです。