石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

昭和55年庚申塔データを最新に書き換えました

2008年11月23日 | Weblog
 別HPの方へ掲載しています「栃木県の碑塔公開データ」の内、昭和55年庚申塔のデータを先ほど最新の物に書き換えました。
 これで総数169基となりました。もっとも、その中の2〜3基にはご教示頂いた資料が余りにもアバウトなために実見出来るか不安な面もありますが…。
 何れにしましても、これで栃木県は長野県に次いで全国で二番目の昭和庚申年塔の多発県となりました。これまでは数基の違いで新潟県と二番目を競っていましたが、今回の宇都宮市上小池町の庚申塚調査で一気にその差を広げることが出来ました。
 そこで是非、新潟県の皆様も昭和55年庚申塔の新たなる発見に挑戦して下さい。栃木県とはこれまで、良い意味でのライバルだっただけにこれからもバトルを続けましょう!
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2008年11月22日も宇都宮市北西部へ石仏巡りに行きました

2008年11月23日 | Weblog
2008年11月22日も栃木県宇都宮市北西部地区の石仏巡りです。
といいつつも、その最大の目標は前回に途中で調査を諦めた、上小池町原組にある山中の庚申塚再調査にある。しかし、それだけでは能がないのでその途中にある碑塔で1990年代に見た碑塔を含めて目的地へ進むことにした。
 そんな途中で、里山の山頂に「あたご様(愛宕)」があることを教えていただいたが、何となく今日ばかりはフウフウ言いながら山へ登りたくないので、大凡のその入口だけを教えて頂いただけにしてパスして先へ進む。そして上小池町を入る手前の石那田町で、六本木地区の山の中にある庚申塚を暫くぶりに訪ねたくなり、寄り道をする。私にとって、この場所の庚申塚は宇都宮で一番の素晴らしい場所なのである。その理由の第一は、全くもって静かな森の中にあること。第二に、そこに祀られている青面金剛様は言うに及ばず、前立ちとして奉納されている庚申灯篭の素晴らしさにある。今回も、この場所で小一時間ばかりを遊んでしまう。
 そしてようやく、10頃に今回の主目的である庚申塚へ到着する。空は真っ青で、北西には山頂に雪を頂いた日光表連山がくっきりと聳えている。もちろんその近くには真っ赤に熟れたリンゴ園があり、今日も多くの観光客がリンゴ狩りをしている姿が見える。それらを遠目にして森の中へ入り、今回は時間に余裕があるので1基づつ丁寧に水洗いしながら読み、写真を撮る。その調査に約2時間ばかりを要してしまったが、これで親塔を含んで合計12基の昭和55庚申年塔が調査できたことになる。前回も少し述べたが、昭和55年庚申塔群で、一箇所で12基もあるのは全国的に見ても非常に稀な例だろう。調査も終えた満足感で森を出て、お昼には少し早いが風もない穏やかに晴れ渡った野原の大地に腰を落として昼食時間とする。そして今回は暫くぶりに、ここで1時間近くを休憩してこの季節ならではの風景を楽しみながらのんびりする。
 これで、今回の石仏巡りは終了しても良いのだが、それには時間が余り過ぎているので、西隣の今市市猪倉地区へ越境して徘徊しながら帰路につくことにする。そんなのんびり石仏巡りなので、やはり昔に訪ねた碑塔を再確認しながら写真を撮ったり銘文を再確認したりと、全く気軽な石仏巡りとなる。そんな気分でいたからだろうか、上猪倉地区の高おかみ神社境内で思わぬ嬉しい発見をする。それは、この神社へは過去に来ていたのだが完全に見逃していた、重制石幢六地蔵塔である。しかも紀年銘が宝永元年銘。そもそも、神社境内に重制石幢六地蔵が存在することを想定していなかっただけに、何ともハヤハヤといった思いである。しかも、主銘文までしっかり読める嬉しさに、今日はここで終わりにして少しばかり早いご帰還だが、時にはそれもまた良かろう。
 次回は、宇都宮市を離れてどこかもう少し遠くへ行こうと思っている。
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