風が思いの外に強い一日だったが、それにもめげずに今回も栃木県小山市の石仏落ち穂拾いに行きました。その強風の中で、拓本取りを行ったのだから自分でも呆れる。尤も、手拓しない限り、その内容が判らなかったのだから仕方がない。そして今回も新たに、個人墓地の中で宝篋印陀羅尼経の刻まれた1基を収録することが出来て、小山市の当該塔は総数で37基になりました。念願だった、下河原田地区保寿寺の物をしっかりと銘文を読んできました。その後も各地のお墓を巡ったが、目にする宝篋印塔は故人供養の物ばかりで、経文の刻まれた該当碑には出会えませんでした。ガッカリのし通しでしたが、まあそんなものでしょうと、自分を慰めました。その間には、地元の方から飲み物やデザートなどを頂戴したり、小川の土手では余りにも綺麗に咲いている菜の花群の中に入って、少しだけ夕食の置かずにと花摘みをしましたが。
さて、ついに小山市の実見碑塔の総数が1,438基になりました。小山市の総数を1,500基位と思っていたので、その95%は実見したことになります。何はともあれ、これで小山市の碑塔調査は大きな山を越えたわけで、ついでだからと調子に乗ってあと1回ほど小山市の西部地区最南端の落ち穂拾いに入ろうと思っています。あと、22基はなんとしてでも探しだし、総数で1460基になれば心おきなく小山市の碑塔調査を終えることが出来るからです。そうすれば、いよいよ季節も春本番となって、心浮き浮きと他の場所のつまみ食い的石仏巡りが出来るというものです。
その次回の石仏巡り、予定では小山市行きを休んで石仏案内で真岡市方面へ入るつもりです。暫くぶりに、真岡方面。新しい発見があれば良いのですが…。
そして今回も別HPの方への画像紹介は余りありません。困ったことですが、それが現実です。
さて、ついに小山市の実見碑塔の総数が1,438基になりました。小山市の総数を1,500基位と思っていたので、その95%は実見したことになります。何はともあれ、これで小山市の碑塔調査は大きな山を越えたわけで、ついでだからと調子に乗ってあと1回ほど小山市の西部地区最南端の落ち穂拾いに入ろうと思っています。あと、22基はなんとしてでも探しだし、総数で1460基になれば心おきなく小山市の碑塔調査を終えることが出来るからです。そうすれば、いよいよ季節も春本番となって、心浮き浮きと他の場所のつまみ食い的石仏巡りが出来るというものです。
その次回の石仏巡り、予定では小山市行きを休んで石仏案内で真岡市方面へ入るつもりです。暫くぶりに、真岡方面。新しい発見があれば良いのですが…。
そして今回も別HPの方への画像紹介は余りありません。困ったことですが、それが現実です。