本日、青梅市の石川博司氏よりメール便にて「日本の石仏」最新号と一緒に「石佛雑記ノート28」の二冊が届く。
「日本の石仏」機関誌は、これで2冊目が届いたことになるが、石川氏からは念願だった全国の昭和庚申年塔が何とか「日本の石仏」誌に纏められたという手紙が添えられていた。これで、全国的な昭和庚申年塔の一応の造立数が把握されたことになり、何よりも石川氏の長年の努力に感謝したい。私的には、栃木県内の当該碑塔の未実見調査塔がまだ十数基残してしまっているので、今度は私の方が急がなくてはならなくなってきた。「早く公表しろ!、そうでないと死んでしまうゾ!」と、石川氏の尻を叩いてきた私としては何とも忸怩たる思いである。何しろこの季節では、山の奥にある庚申塔を探すのは困難で、早くても今秋以降まで待たなければならないのだから…。
そして二冊目の「石仏雑記ノート28」は、中山正義氏の逝去に伴う、氏の追悼の意味で纏めた中山著作業績や石仏巡り等での思い出となっている。特に、中山著作業績項目は、これから当該石造物を調査したい人には便利な物となろう。私も私なりに、中山さんとの思い出を綴っておきたいとは思いつつ、実行に移せないでいる。それは、中山氏の人となりがそうさせるのであって、追悼集など出しても中山氏は喜ばず、それよりも何よりも中山氏との思い出の方を時々でも良いから思い出した方が余程喜ぶことを感じているからだ。」
さて、そんなこんなで、ついでに別HPに掲載している「石造物データ集」中の昭和庚申年塔を最新の物に差し替えて置いた。しかし何故か、前回より1基少なくなってしまったが、たぶんそれはダブり分が未実見塔の中に含まれていたからだと思う。いずれにせよ、これが最新情報であることに変わりはない。
「日本の石仏」機関誌は、これで2冊目が届いたことになるが、石川氏からは念願だった全国の昭和庚申年塔が何とか「日本の石仏」誌に纏められたという手紙が添えられていた。これで、全国的な昭和庚申年塔の一応の造立数が把握されたことになり、何よりも石川氏の長年の努力に感謝したい。私的には、栃木県内の当該碑塔の未実見調査塔がまだ十数基残してしまっているので、今度は私の方が急がなくてはならなくなってきた。「早く公表しろ!、そうでないと死んでしまうゾ!」と、石川氏の尻を叩いてきた私としては何とも忸怩たる思いである。何しろこの季節では、山の奥にある庚申塔を探すのは困難で、早くても今秋以降まで待たなければならないのだから…。
そして二冊目の「石仏雑記ノート28」は、中山正義氏の逝去に伴う、氏の追悼の意味で纏めた中山著作業績や石仏巡り等での思い出となっている。特に、中山著作業績項目は、これから当該石造物を調査したい人には便利な物となろう。私も私なりに、中山さんとの思い出を綴っておきたいとは思いつつ、実行に移せないでいる。それは、中山氏の人となりがそうさせるのであって、追悼集など出しても中山氏は喜ばず、それよりも何よりも中山氏との思い出の方を時々でも良いから思い出した方が余程喜ぶことを感じているからだ。」
さて、そんなこんなで、ついでに別HPに掲載している「石造物データ集」中の昭和庚申年塔を最新の物に差し替えて置いた。しかし何故か、前回より1基少なくなってしまったが、たぶんそれはダブり分が未実見塔の中に含まれていたからだと思う。いずれにせよ、これが最新情報であることに変わりはない。