朝、家を出るときはもちろん雨が降っていなかったが、行くところが山地の今市地区とあらば必ず雨が降るだろうと覚悟したとおり、宇都宮市の古賀志山裾を通過する頃にはワイパーを使わなくてはならないほどの雨になる。それでも、まあ一日中は降ることなくそのうち晴れるだろうと軽く考えて、今回は鹿沼市と宇都宮市に隣接する今市市最南端地区の小倉へ入る。この地区は、通過したことはあるが石仏調査は始めての地だけに、あちこちの細い路地を含めて探索すれば、道路沿いだけでも結構な数の碑塔がある。試しに、その一箇所を覗いてみたが、そこには私が注目している「百八燈」碑があった。しかし何しろ雨が降っているので、草むらの中を見に行っただけで足元どころではなくズボンまでビッショリ。しかも記録用紙までびしょ濡れで、これでは調査にならぬと雨が止むまでは石仏調査を諦める。勿論、次回のために目にした碑塔類の所在地を地図に落としながら進んで、この地区の鎮守様である三所神社へ到着。出迎えてくれた鳥居は、どう見ても江戸中期迄の建立となる姿だが、何としても紀年銘が読めない。諦め、境内に奉納されている昭和十五年銘の狛犬一対だけで、この地を離れる。次に向かうは、小代地区の星宮神社。ここへは1995年に男體山灯篭を探しにきた時に、古そうな鳥居があったのを思い出したからで、案の定読んでみれば、それは寛文十二年銘という古さだった。この頃から、雨が止んでくる。急いで境内の狛犬一対を記録してから、本当の本日の目的地である長畑地区へ向かう。その長畑地区下組の薬師堂には昭和庚申年塔等があるが、既に過去に調査済みだったが、その時に今市では数の少ない宝篋印陀羅尼経塔がありながら、その偈文解読の難儀さに途中で放棄していた。今回は、その宝篋印塔の銘文を読みたくて向かう。薬師堂前の農家のおばさんに了解を得てから、早速水洗いしながら解読を進める。それはほんの短い文字数だが、途中に余計な作文がしてあるので頭の中にある経文がスラスラと出てこない。仕方なく、一文字づつ丁寧に拾っていって時間は掛かったが何とか調査できた。そんな時、農家のおばさんが来て、良かったら薬師堂内にも石仏が祀られているから戸を開けて自由に見ていってくださいと言う。その言葉に甘えて上がり込むと、そこにはかつて来たときには薬師堂の裏側にあった十九夜念佛供養塔の舟型如意輪観音様が祀られていたのには驚く。いつの間にか、戸外の石仏が堂内に祀られていたのである。その後は、念のために、過去に調査済みの碑塔を面倒ながら再調査する。その後、せっかくここまで来たのだからと、すぐ近くにある大宮神社を覗けば、そこには平成十八年に奉納されたばかりの、出来の悪い狛犬一対があったので、やはり面倒がらずに近くへ来たときは再訪問すべきだと実感する。
さて、その長畑地区から北のは室瀬地区。ここにも、ご多分に漏れず庚申塚があることは判っているが、これまで何度も来て地元民に聞き込み調査すれど、その場所が判らず仕舞いになっていた。それだけに、今回はこの集落の少ない家のどこで聞き込み調査をしてよいやらとまだ訪問していない農家を物色していると、畑の畦道に除草剤を散布している農家の方を発見。急いで車を降り、庚申塚の話を切りだしてみると、「私は、その庚申講員だから、その場所はしているよ」というありがたい話し。早速その場所を地図にして書いていくが、何しろ目標物が少なすぎるが、まあそんな事はすっかりなれてしまっている私のことである。大体の場所が判れば、後は自分の嗅覚を信じて探しだけである。と言うわけで、さっそくその近くへ来たが入口が判らず一度は通り過ぎてしまう。Uターンし、適当な路肩に車を置いて歩き出せば、生い茂った草の中に山仕事で使用する道を発見。しかしそこは雨上がりの道なので、入って直ぐに靴どころかズボンは膝まで瞬く間にびしょ濡れ。それでも自分の感を信じて分け入ってみれば、道路から200メートル程奥へ入った場所に立つ庚申塔を発見できた。そこで念願だった、5基の庚申塔を調査。調査後は、少しここでのんびりしたかったが、車を鍵もかけずに道路へ放置してきたのでそうもしておれず、急いで戻ることにしたがまたしても膝までのずぶ濡れの上塗りをする羽目になった。それでも、本日の最大の目標は無事達成。それにしても、朝8時から始めた石仏巡りだが、早くも12時である。4時間かけて調べられた碑塔の数は丁度20基。1時間当たり5基とは、何とも少ない数だがまあそれだけ中身の濃い証拠として、前回に辿り着けなかった次なる庚申塚調査のために平ヶ崎の琴平山へ向かうことにする。
それにしても今日は、我慢がならぬくらい蒸し暑い。雨上がりの曇り空だというのに、全身は流れ出る汗でびしょ濡れである。琴平山の頂上駐車場で食事を取りながら、ここは一つ午後からの作戦を練らなければならないと考えている。
そして午後は、その前をこれまでに何百回と通っていながら訪れたのは興味半分で境内を一眺めしただけの、今市中心地の滝尾神社。社務所に挨拶すると、どうぞどうぞ、自由に見てくださいという親切な言葉に嬉しくなって、その後は境内の興味ある碑塔の調査に入る。とにかく、この滝尾神社は歴史が古いだけに興味ある碑塔が沢山あり、興味津々となって調査しまくる。もちろん、境内にある3対の狛犬もついでに調査する。特に承應三年銘の五重塔と承應二年銘の石灯篭の素晴らしさに感激する。もっとも、そんな石造物に興味を示す人の方が珍しいものかも知れないが…。ついでに、近くにある、瀬川地区の高おかみ神社へも行き、既に調査済みながら男體山碑やら愛宕山碑に加えて、今回は日光型灯篭二基をも調査する。
そんなこんなで、今回の調査は総数で46基となった。しかし、その中の8基が狛犬とは何たることかと、今頃になってゴロゴロ出てきた狛犬君達に呆れてしまう。多分これで今市の狛犬は総数で48基を実見したことになるだろう。狛犬調査の山口さん、この夏が終わる頃には今市市の神社巡りも終了するので、そしたら資料をお送りしますのでお楽しみに!。
そんな訳で、次回も暑さの中に涼を少しでも求めに今市市へ向かうことになるでしょう。
さて、その長畑地区から北のは室瀬地区。ここにも、ご多分に漏れず庚申塚があることは判っているが、これまで何度も来て地元民に聞き込み調査すれど、その場所が判らず仕舞いになっていた。それだけに、今回はこの集落の少ない家のどこで聞き込み調査をしてよいやらとまだ訪問していない農家を物色していると、畑の畦道に除草剤を散布している農家の方を発見。急いで車を降り、庚申塚の話を切りだしてみると、「私は、その庚申講員だから、その場所はしているよ」というありがたい話し。早速その場所を地図にして書いていくが、何しろ目標物が少なすぎるが、まあそんな事はすっかりなれてしまっている私のことである。大体の場所が判れば、後は自分の嗅覚を信じて探しだけである。と言うわけで、さっそくその近くへ来たが入口が判らず一度は通り過ぎてしまう。Uターンし、適当な路肩に車を置いて歩き出せば、生い茂った草の中に山仕事で使用する道を発見。しかしそこは雨上がりの道なので、入って直ぐに靴どころかズボンは膝まで瞬く間にびしょ濡れ。それでも自分の感を信じて分け入ってみれば、道路から200メートル程奥へ入った場所に立つ庚申塔を発見できた。そこで念願だった、5基の庚申塔を調査。調査後は、少しここでのんびりしたかったが、車を鍵もかけずに道路へ放置してきたのでそうもしておれず、急いで戻ることにしたがまたしても膝までのずぶ濡れの上塗りをする羽目になった。それでも、本日の最大の目標は無事達成。それにしても、朝8時から始めた石仏巡りだが、早くも12時である。4時間かけて調べられた碑塔の数は丁度20基。1時間当たり5基とは、何とも少ない数だがまあそれだけ中身の濃い証拠として、前回に辿り着けなかった次なる庚申塚調査のために平ヶ崎の琴平山へ向かうことにする。
それにしても今日は、我慢がならぬくらい蒸し暑い。雨上がりの曇り空だというのに、全身は流れ出る汗でびしょ濡れである。琴平山の頂上駐車場で食事を取りながら、ここは一つ午後からの作戦を練らなければならないと考えている。
そして午後は、その前をこれまでに何百回と通っていながら訪れたのは興味半分で境内を一眺めしただけの、今市中心地の滝尾神社。社務所に挨拶すると、どうぞどうぞ、自由に見てくださいという親切な言葉に嬉しくなって、その後は境内の興味ある碑塔の調査に入る。とにかく、この滝尾神社は歴史が古いだけに興味ある碑塔が沢山あり、興味津々となって調査しまくる。もちろん、境内にある3対の狛犬もついでに調査する。特に承應三年銘の五重塔と承應二年銘の石灯篭の素晴らしさに感激する。もっとも、そんな石造物に興味を示す人の方が珍しいものかも知れないが…。ついでに、近くにある、瀬川地区の高おかみ神社へも行き、既に調査済みながら男體山碑やら愛宕山碑に加えて、今回は日光型灯篭二基をも調査する。
そんなこんなで、今回の調査は総数で46基となった。しかし、その中の8基が狛犬とは何たることかと、今頃になってゴロゴロ出てきた狛犬君達に呆れてしまう。多分これで今市の狛犬は総数で48基を実見したことになるだろう。狛犬調査の山口さん、この夏が終わる頃には今市市の神社巡りも終了するので、そしたら資料をお送りしますのでお楽しみに!。
そんな訳で、次回も暑さの中に涼を少しでも求めに今市市へ向かうことになるでしょう。