ついに、宇都宮市の碑(いしぶみ)調査も二荒山神社まで来ました。特にここへ掲載した「贈正四位蒲生秀實(君平)碑」は、どの書籍を見ても完全なものがなかっただけに慎重を期し、朝から午前中一杯をかけて一文字ずつ舐めるようにして調査しました。そしてそれを今度は清書するのに、昨日一日を要してどうにか纏めました。しかし、もう一度の再確認が必要で、次回もまたこの碑の前に立ちたいと思っている。何しろ、蒲生君平の碑で重野安繹先生の撰文とあらば、何としても筆記間違いのないものにしたいからです。なお、これが宮亀年の刻字です。また書が、巖谷修(一六)先生なので、この点でも一文字ずつの細心の注意が必要でした。それにしても疲れました。その他、境内にある他の四基も同時に調査出来ました。そんな訳で、今回はこの二荒山神社だけで一日を費やし、クタクタになって帰宅しました。次回の目標は、今回の再校正と宇都宮城址公園にある戸田忠恕の調査です。宇都宮市の碑としては、これが一番文字数が多い碑となっているので、またまた疲れそうです。それでも宇都宮市の碑(いしぶみ)調査ももう少し。頑張りどころと気合を入れなおして行く予定です。
ついに、宇都宮市の碑(いしぶみ)調査も二荒山神社まで来ました。特にここへ掲載した「贈正四位蒲生秀實(君平)碑」は、どの書籍を見ても完全なものがなかっただけに慎重を期し、朝から午前中一杯をかけて一文字ずつ舐めるようにして調査しました。そしてそれを今度は清書するのに、昨日一日を要してどうにか纏めました。しかし、もう一度の再確認が必要で、次回もまたこの碑の前に立ちたいと思っている。何しろ、蒲生君平の碑で重野安繹先生の撰文とあらば、何としても筆記間違いのないものにしたいからです。なお、これが宮亀年の刻字です。また書が、巖谷修(一六)先生なので、この点でも一文字ずつの細心の注意が必要でした。それにしても疲れました。その他、境内にある他の四基も同時に調査出来ました。そんな訳で、今回はこの二荒山神社だけで一日を費やし、クタクタになって帰宅しました。次回の目標は、今回の再校正と宇都宮城址公園にある戸田忠恕の調査です。宇都宮市の碑としては、これが一番文字数が多い碑となっているので、またまた疲れそうです。それでも宇都宮市の碑(いしぶみ)調査ももう少し。頑張りどころと気合を入れなおして行く予定です。