石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2012年3月11日は、結局宇都宮市内の石仏巡りに出かけました

2012年03月11日 | Weblog


 朝起きると雨が降っている。家内が言うには、間違いなく晴れるというのと、今日は昨年の大惨事から一年ということなので石仏に逢ってきたらというのでその気になって出かけたが、現地に着いて9時半になるも雨はまだ止まない。その場所は、今から数十年前に来ていたが、今回来てみると農道は広い一直線の立派な道路となっているし、目印の墓地と薬師堂はどこにもなく広~い住宅地となっている。雨が降っているのを幸いと、周辺を探し巡ってみたら、住宅地となっている一角に墓地共々移転していた。そして目的としていた寶篋印塔は、その敷地内に薬師堂とともに移転されている。ホッと一安心。早速、宇都宮市の近世寶篋印塔調査の60基目となるのを、雨が止むのと同時に調査した。そんな薬師堂には、古そうな鰐口が釣り下がっているが、裏を覗くと裏面剥奪で文字部分がない。おそらく、佐野市在住の高橋氏は見ていないだろうと思いつつも、これでは写真にとっても仕方ないと諦める。
 その後は、今日の最大も目的は達成したという安堵感から、いつもの石仏巡りとして隣の板戸町へ移動する。上記の写真は、そんな板戸町内鬼怒川縁にある馬頭観音群の一角風景である。三面六臂の馬頭観音像容塔もあるが、そちらは昨年の1月の時に紹介した覚えがあるので、この写真にした。
 内のあちこちで聞き込み調査開始。その一人の方が、そう言う石造物に詳しい人が反目(ソリノメ)地区に居ると言うのでその方の家を教えてもらって訪問。そして話を伺えば、自宅近くの山(藪)の中に寶篋印塔があったが昨年の地震で今はどうなっているか判らないと言う。予想以上の嬉しい話で、早速教えられた森の中へ入っていけば、昨年の今日の東日本大地震によって基壇の上から全てが地面に散乱している姿を発見。そのあまりにも酷い惨状に音を上げながら、それでも出来る限り拾い集めて組み立ててみたが、所詮一人では無理な話で、特に軸部と笠に宝輪などはどうしようもない。その軸部には、4面全てに寶篋印陀羅尼経からの梵字真言が刻まれているという優れもの。それからは昼食時間も忘れて手拓開始。一面を取り終えると重い軸部を転がして掃除して次の面へということを繰り返しながら結局は全てを取り終えるまでに2時間強もかかってしまった。紀年銘は宝暦年間、しかも梵字真言にほとんど傷はなく完璧なもの。この嬉しさ、皆様には判らないでしょう。今日で、宇都宮市内の近世寶篋印塔調査は一区切りとすることにしていたのに、思わぬお宝との出会いに笑いが止まらない。それが、下の正面部分の手拓画像です。どうです! 良いでしょう!

 時計はすでに3時。今日の石仏巡りは大豊作につきここで終了。そして宇都宮市街地へ戻り、そう言えばもう一箇所、市街地の未訪問寺院があることを思い出し、ついでに寄ってみると、そこにも墓地内に昭和40年台の造立ながらの寶篋印陀羅尼経梵字真言と出会う。昭和になってからの陀羅尼真言ということで、これも記録を取る。結局は、今日一日で3基の寶篋印塔を調査できたことになった。これで、今夜からまたしばらくはその梵字陀羅尼の照合に時間を取られると、うれしい悲鳴を上げながら帰宅した。
 さて次回は、早くも宇都宮市街地の碑(いしぶみ)再校正にママチャリで出かけることにしようと思っている。