石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2012年5月6日も宇都宮市街地の拓本取りでした!

2012年05月08日 | Weblog


 今年の大型連休中は、連休途中で悪天候もあったので遠出出来ずに宇都宮市街地だけの石碑拓本取りに終始してしまいました。
 さて今回は、朝食もそこそこにしてママチャリに飛び乗り、最初に到着したのは宇都宮市清住町の琴平神社。ここには船田兵吾(作新学院の創始者)が撰文した「重田先生之碑」があるので、その手拓取りである。早朝と言うこと以上に、今日は高気圧が南から北の高気圧へと入れ替わったので、その気持ちよいこと。タンポの響きもよろしく、暫くぶりに気分の良い拓本取りが出来ました。そこで、とり終えた手拓を大地に広げて眺めようとすると、その目線の先に入ったのは、上記の重制石幢六地蔵。昨年にここへは二度来たが、その時は全くその存在に気づかなかった。我ながら、その注意散漫な調査能力に呆れてしまう。しかも、宇都宮市内の石幢六地蔵調査は完了したものとして、既に一冊の本として纏めてしまっていた。完全に、この石幢はそこから抜け落ちてしまったことになる。今更しかたがない。として、調査項目を台帳に書き込んで写真を撮る。なにかの折に、追加としてどこかへ掲載しておこう。
 それにしても6日の急変した悪天候には驚きました。帰ってからのニュースで、茨城県から栃木県東部にかけて突風による大災害があったことを知り、「嗚呼、やっぱり」と、とにかく、その真っ黒な雷雲は、お昼前後にかけての強い雨風に加えて雷鳴のすさまじさ、しかも宇都宮中心地から見るに、それは急速に筑波山方面から進んできた様子を眺めていただけに納得しました。災害に遭われました皆様に心からお悔やみ申し上げます。
 私はその時、蒲生神社にいましてまさに手拓開始という状態のときに、宮司さんから間違いなく雷雨になるから早めに避難したほうが良いと言われ、慌てて道具一式をザックに仕舞い込んでママチャリに飛び乗り、県庁前の建物に逃げ込みました。雨風が押し寄せる寸前に逃げることが出来、嗚呼良かったと胸をなでおろしました。特に強風が収まったのを幸いとその後は、県立図書館へ移動し、雨宿り代わりに職員の方を捕まえ雑談で時間を過ごしました。その後、雨も止んで晴れてきたので再び蒲生神社へ戻り、縣六石の碑文手拓を開始しました。そして再び碑塔磨きを終えて画仙紙を張り終え、いざこれから墨入れという段階で再び雷鳴が轟き始めました。そこで気づいたのは、コウモリ傘を県立図書館へ置き忘れてきたこと。急いで、画仙紙を貼り付けたまま宮司さんに断って傘を取りに図書館へ飛んでいく。幸いにもその往復した間に雨は降らず、しかも画仙紙は「早く墨入れしなさい」とばかりに乾きだしている。いずれにしても雨が落ちてこないうちにと、出来栄えよりも何よりも墨入れに専念する。そしてもう少しで石碑の半分が終わる頃、ついに雨が落ちてくる。それを見ていた宮司さんが後ろから傘をさしてくれて、何とか画仙紙を張り終えた所までは完成させることが出来た。流石にこの頃になると、残りの半分はあきらめざるを得ず、来週の宿題として残し、宮司さんに厚く御礼を述べて帰路につく。私の住まいは、宇都宮中心地から見れば西側、自転車を走らせるに従い、雨も小ぶりとなりやがて傘も必要がなくなる。後ろを振り返ると、宇都宮市街地は真っ黒な雲の中にあって、今回の雷雨はいかに地域の狭い地区に集中的に降ったことが理解された。さて、帰宅してから手拓したのを広げてみると墨入れがムラムラ、これもあの状態では仕方がないと諦めもついたが、文字だけはバッチリ読めるのでよしとしよう。そして次回は、今回と同じように早朝から蒲生神社へ行って続きの手拓開始から始めようと思っている。

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