宇都宮市二荒山神社宮司さんから私の碑文調査に賛同されまして、特別に彼の「蒲生君平」碑手拓の許可を頂いた。こうなれば、他の石仏巡りに出かけてのんびりするどころではなくなり、それこそ今回の宇都宮市碑文調査の最後を締めくくるに相応しい拓本取りとなる。しかし、何しろ相手は大きい。碑文の実高だけで203センチ。幅は180センチは優にある代物。しかも足場は悪いときているうえに、踏み台無しでの手拓作業となる。許可は戴けたが、その作業は私一人である。
その作業に入るには決心が必要と、取り敢えずは本殿の東側にある「円山魯庵先生紀恩碑」から始めることにした。これも、今までに何度となくその前に立って碑文を手写しつつ拓本が欲しかったもの。しかしこれも碑文のみの実高だけで180センチり、画仙紙半切で5枚半ほど必要な面積である。ここへ来てあせる必要もないと覚悟を決めて時間をかけのんびりと手拓する。その間、流石は二荒山神社である。拓本取りの現場が見られると、お年寄りから若い人まで興味津々と眺めていく人がいて、中には話しかけてくる方もいる。それでも、早朝からの蒲生神社境内の再手拓を終えてから取り掛かった拓本取りも、何とか午後の1時頃に終わる。体力的にかなりのハードさだったので、昼食をかねて境内の片隅で大休憩。本心は、もう今日の手拓作業を終えて帰宅したい気持ち。
一時間ほど休憩を取ったためか、やはり蒲生君平の碑を触らずに帰宅するにはもったいなく思う気持ちとなって、碑面の掃除を一通り終了し、午後2時半頃から碑文上部に手が届いて手拓出来るかを試みることにする。画仙紙を貼り付けるには精一杯背伸びすれば碑文上部の少し上まで可能と判り、今日は画仙紙半切1枚分幅の試し手拓として取り掛かる。そしてその手拓方針を今までとは異なって、とにかく碑文文字が読めれば良しとして画仙紙を張り終えるやすぐさま墨入れを行う。その結果、一列目を手拓終えるまでに1時間半程で全作業を終えることが判明した。もっとも、出来栄えは墨入れの濃淡がまちまちで、どう見ても見栄えは悪いがそれには目をつぶることにした。この時点で、午後4時。本日はここまでとし、社務所に来週もお邪魔しますと挨拶してから帰宅した。いや~あ、それにしても今日は疲れました。それでも、宇都宮市の石碑では最も欲しかった蒲生君平の碑文が手拓できるとあって興奮気味で帰宅。「何でそんなに嬉しそうな顔をしつつも疲れた表情なの」と、家内に笑われる。
いずれにしても、これからは毎週二荒山神社へ通うことになるでしょう。他地区の石仏たちに妬まれつつ…。これまでに誰も(多分)手拓したことのない、蒲生君平の碑文と接することの出来る喜びで。