石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2012年9月9日も鹿沼市の石仏巡り。妙見天童について

2012年09月10日 | Weblog



 栃木県鹿沼市といっても、今回も自宅からは至近距離に位置する茂呂地区の石仏巡りでした。最初は、1990年代に訪れた小さな神社とその近くの共同墓地から開始です。特に共同墓地内の碑塔調査には、折からの残暑厳しき中で最初はクズ等の繁茂した夏草を踏み潰すことから開始。もうそれだけで、全身汗ビッショリになりました。その中から出てきた碑塔調査開始でしたが、もう何おか言わんというやつで、蛇は出てくるはとてつもなく大きなムカデは出てくるは、暑さだけで勘弁してもらいたい中での調査となり、頭もボォ~となり多分いくつかの碑塔再調査漏れが出てきているのでしょう。
 Tシャツは、既に汗でグショグショになって汗の臭いは自分でも嫌になるくらい。その身体で今度は、近くの天台宗智音寺を訪ねました。ここも過去に調査済みですが、今回は歴代住職墓域内にある法華経法師品からの出典である「寂寞無人聲 讀誦此経典 …」の手拓に主眼がありました。ご挨拶に伺うとご住職様自ら案内下さり、その他の石仏類も境内整地の折に薬師堂の隣へ東向きで一列に並べたと言う。確かに、今回から写真撮影には良く、また銘文も読みやすくなっている。ただ一基だけ、台座が上下逆さまに設置されていて「講中」文字を読むのに手間取ってしまって苦笑い。いずれにせよ墓域内の石造物調査が終えたらついでに智音寺さんの信仰に基づく石造物を再調査して、その内容を提出してあげることにした。もちろん、境内に建立されている宝篋印塔に刻まれている「頂禮於塔 當願衆生 一切天人 無能見頂 …」以下の華厳経・浄行品からの出典偈文もしっかりと再確認したのは言うまでもない。
 智音寺さんの調査を終えたところで12時。境内で昼食を取らせて頂き、住職奥様から差し入れの冷たい飲み物で喉を潤し、食後はしばしの休憩。本当に、突然訪ねたにも関わらずのご接待に感謝しました。
 午後からは、やはり2002年に調査済みの鹿沼市花木センター東側から高おかみ神社方面へ向かう。そして最初は、神社への途中山際にある碑塔の再調査。ところが、そこは物凄いやぶ蚊の住まう所で、一基の石塔を写真に撮る間に腕と言わず顔までやぶ蚊がたかって終わった後は血だらけ。それを何回か繰り返して撮影したのが、上に見る画像である。これは、下部が深く埋もれているので主銘文さえ全部は読みきれないが、間違いなく「妙見天童」とあるもので、紀年銘は嘉永七甲寅八月穀旦とある。交名もあるが、やぶ蚊に恐れをなして読むのを止めてしまう。
 さて、この「妙見天童」とある石造物は栃木県においては非常に少なく、そのものズバリの「妙見天童」とあるのは他に栃木県壬生町中泉直の磐裂根裂神社にある嘉永六癸丑四月吉日紀年銘のものだけである。もちろん、その他の「妙見菩薩」文字塔にしても日光市上鉢石の磐裂神社にある寛永十八年銘の灯篭に、「妙見大菩薩」は栃木県大田原市佐久山の実相院入り口にある「馬頭観世音・妙見大菩薩」とある文字並列塔だけである。もちろん、その他の妙見に関する碑塔は他に確認できるが、こと「妙見」という文字の出現となると本当に少ない現状である。そしてその信仰内容、これも面白いのだがここでは紙面が足りないので省略とし、関心のある方は「日本の石仏」No.80号を参照ください。小生のつたない論考も掲載されています。
  そんなこんなで、この場所の再調査だけで本日の石仏巡りは終了してしまった。まだ、時間的にはたくさん残っているのだが、次に向かう高おかみ神社も、ここ以上にやぶ蚊の大群が待っているかと思うと、愛嬌のある狛犬兄弟に再会したい思いもあったが断念して次回のチャンスに譲ろう。
 次回辺りから、少しは手拓できるような陽気になることを期待し、少し鹿沼市内でも山地の方へ足を伸ばそうと思っている。

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