残暑がいつまでも厳しいとはいえ、当地の郊外へ出かければ秋の農作業に農家の人たちは忙しく働き、野にはこの季節の野草が咲いています。そして何よりも、秋の涼風が汗をかいた身体に優しく触れてくれることです。そんな、毎年のことながらこの季節の石仏巡りとなった今日は、何時になく農家の人達と雑談してばかりいて石仏調査は少しも進みませんでしたが、それがまた楽しいこの季節のことです。特に農家の人達と交わす石仏談義は、その地区の石仏調査には欠かせないものであり、そしてまた私のまだ見知らぬ石仏の新たな発見にも繋がるものだけに、石仏巡りの基本としていつも大切にしている時間です。
さて今回も、主に近世宝篋印塔探しを目的として来ましたが、そんな農家の人達との触れ合いがあって、思わぬ場所にある宝篋印塔の場所を教えて頂きました。管理している家人が留守だったので今回精査はしませんでしたが、八方天種子がある優れもので、この手の宝篋印塔は隣り地区の宝蔵寺さんのと銘文まで全く同一でした。また午後は、板荷地区草分け渡辺家のご主人と偶然に農作業していた所で声をかけて出会い、お互いに興味ある石造物の話となり大変に楽しい時間を持てました。その渡辺総家墓地にある、大日如来三種悉地真言の六角柱は非常に珍しいもので、午後のほとんどはその調査となりました。尤も、嬉しさの余りに計測を忘れると言う失態をしてしまい、これはもう一度訪ねなさいと言う仏様からの思し召しとして、再度行くことにしましょう。
上記に掲載しました如意輪観音像は、余りにも私の描いているシチュエーションに立っていましたので撮影しました。もちろん、信仰は「十九夜念佛供養」とあり、紀年銘は元文元丙辰天九月十九日。驚くのは、鹿沼地区でも小さな富岡という地区ながら、講中人数が「百十六人」とあることでした。この地区で百十六軒とは、相当な広範囲まで広げないとならないだけに、この地区の十九夜信仰の熱心さがうかがい知れます。
次回は早くもお彼岸。現時点では、石仏巡りに出かけられるか不明です。行けない時は、ここのところの石仏調査で得られた纏めをしようと考えています。