今回は、ようやく今年の夏の暑さも収まり、待ちに待った手拓季節となったので、7月14日以来の鹿沼市千手町・観音堂へ行き、そこにある石塔類の手拓作業で一日が終えました。朝8時半から手拓作業を開始したのですが、何しろこの場所には拓本を今のうちに残しておかなければと言う石造物がたくさんあり、ついつい清々しい秋の一日だと言うのにここだけで過ごしてしまいました。本当は、あと一基の四角柱4面を手拓する予定でしたが、さすがに午後3時を過ぎるとその間休憩を取ったのは慌ただしく昼食を食べただけという状態だったので、足と腰に疲れがきてここで止めてしまいました。まあ、ここはいつでも手拓出来る場所なので、また気が向いたら来ることにしましょう。
さて今回、上に掲載した写真(手拓用紙をはずす前に撮影)は、四角柱の上部に頭が欠けてしまったお地蔵様がいて、その下部に金属製の後生車が付いている。更に下部には石文が刻まれています。その内の一行が私好みの石文なので記してみると、「イ種子 地蔵菩薩像下置車輪法界徃來衆生成佛攸」と、あります。後生車(輪廻車)に、こんな素敵な銘文があると、手拓していても楽しくて、ついついその作業の手を休めては魅入ってしまいます。ちなみに、紀年銘は「明暦(実際は「暦」のところが「歴」になっている)元乙未歳小春吉祥日(1655)となっていて、これも私にとっては嬉しい紀年銘です。
その他、栃木県内では初発となる男体山禅頂文字のある多宝塔等など、暫くぶりの手拓と言うこともあり、一打ちごとのタンポの音を楽しみながら丁寧に墨入れしました。
それにしても、22日は暫くぶりに晴れたので畑作業をして23日に石仏巡りに行こうかと思っていたのだが、すぐに気が変わって石仏巡りへと出かけて本当にラッキーでした。23日にしたなら、一日中の雨で手拓作業どころか石仏巡りさえ出かけられなかったと。そこで、次回も、15日に訪れた鹿沼市板荷地区へ入ろうと思っています。この板荷地区にも、手拓したい碑塔がたくさんあるので、まあ調査というよりは作業と言ったところでしょうが…。今回の天候の素晴らしい一日になることを期待しているところです。