今回も、ママチャリでの宇都宮市街地の石仏巡りです。最初に向かったのは、宇都宮城歴代藩主の墓地となっている英厳寺跡です。満開を過ぎた桜の花びら散る中での「いしぶみ」調査となりましたが、今回も手写しのためになんだかんだと言いながらもたっぷりと2時間を費やしてしまいました。ここでも、今回の大地震による被害は及んでいて、墓前にある灯篭は見事なまでに倒壊していました。
その後は街中に入り、最初に訪れたのは蒲生君平が最初に学問を習った真言宗延命院。ここで最初に重制石幢六地蔵塔をゲットし、境内にある三基の宝篋印陀羅尼経塔も調査。個人墓地にはまだ二基ほどの宝篋印陀羅尼経を刻んだ塔もあるが、ついつい個人墓地ということ以上に調査疲れでパスしてしまいました。まあ、個人墓地の宝篋印陀羅尼経塔を調べ出したらきりがないという、自分勝手ないい訳ですが…。この延命院の調査を終えた段階で、時計は早くも午後1時。昼食にしたくてもコンビ二に立ち寄っていなかったので食べるに食べられず、弁当買いに自転車を走らせて、どうせ次いでだからとその先にある碑塔を調査しに行くと、そこにも「いしぶみ」が立っていたので、これまた時間をかけてて写し。それから元に戻って琴平神社境内でお昼となったので、何とも遅い。その神社境内にも、「いしぶみ」が建立されていた。さすがにそれは、遅すぎる昼食をとってからにしたが、流石にこの頃になると「いしぶみ」調査もゲップが出てくる。その琴平神社と隣接する桂林寺へ立ち寄り、蒲生君平の分骨墓地を訪ねてしばし休憩。今回も、前回同様に碑の前に立ち続けたので疲れたので、今日はこの辺までと帰途につく途中で宇都宮では数少ない黄檗宗の真福寺を訪ねれば、そこにも宝篋印塔があった。その軸部の銘文は宝篋印陀羅尼経からでのものでないのと文字が磨耗していて、解読するに四苦八苦。余震でもあれば、その塔身や軸部ともども転げ落ちてしまうような高い基壇の上に乗っての解読だけに冷や冷やものだった。「これで、もう帰ろう」と向かう途中でまたしても寄り道し、今度は時宗の宝勝寺さんへ立ち寄ると、墓地内に二基の戸田香園篆額并書の碑があった。写真を撮るにも逆光に中にあるので、調査は次回に繰越としようと決めたが、何となくしゃくに障るので、その内の一基の短い文章の方は手写しをしてから、庫裏に出向いてまた次回に来ますと挨拶をし、今度こそひたすらペダルを踏んで帰路につく。
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