石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

昨日は又、今市市の昭和24年の大震災復旧碑を三基調査してきました。

2018年09月24日 | Weblog

先週は、もうそろそろ県南へ行っても大丈夫だろうと佐野市へ行ったが、意外と暑かったので今回はまた旧今市市へ行くことにした。そして今夏の目的でだった、今市地震復旧碑残りの三基を一気に片付けることが出来た。最初に訪れたのは、明神中原地区の震災碑、相変わらずすごい汚れようで、バケツ二杯分の水を別に持参したが、その殆どを使用してしまった程である。その画像が、下記に掲載したものだが、画像の最下部に掃除前の苔の状態が移っているが、これがぜんめん全面に付いていたのである。なお、碑陰に、工事内容関係銘文もあり、いつもならこれも手拓するのだが、碑陰を洗うとすると今回は持参した水が足りそうもないので、仕方なく写真撮影での銘文記録とする。
次は、室瀬地区磐裂神社にある震災復旧碑。これには銘文が無いのを以前に調査済みなので、全景写真と裏面にある関係銘文を手写すれば良いとしたが、実際にはその全景写真さえ、石苔で見えないありさま。相変わらず、水で表面を濡らして何とか読めるか!という段階で諦めたが、碑陰にある文字は、折からの逆光で手写もままならないような状態。仕方なしに傘を石碑に立てかけて撮影したが、出来上がりは何とか判読できる始末だった。嗚呼、今回は二基の裏面銘文清書に手こずることになりそうである。そして三基目は、吉沢地区の震災碑。こちらは、すぐ近くに用水路が流れているので水に心配はなし。豪快に水を碑面に投げては思うような水洗いが碑表と碑陰共に出来た。そのために気分よくし、ここの震災碑は裏面の沢山の交名も手拓し、今日の手拓枚数は半切で6枚。
それにしても、今年の夏を振り返ってみると、意外と成果が多くて私の机周囲には未整理の拓本が山積している。勿論、銘文清書もまだなのが沢山ある。これはこれで、困ったものであると自業自得を顧みて苦笑している。そんな訳で9月は4週連続で出かけたことになり、来週も9月中だが調査行は一休みとして、調査済みの1基でも多く清書しようかと思っている。

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