一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

新聞連載エッセイ「ふらふらぶらぶら 日本縦断の旅」④秋田から象潟、鳥海山へ

2025年01月21日 | 徒歩日本縦断(1995年)の思い出


旅と同時並行で地元紙(佐賀新聞)に連載していた紀行文、
「ふらふらぶらぶら 日本縦断の旅」を元にして、
カテゴリー「徒歩日本縦断(1995年)の思い出」を再開させた。
今回は、その第4回目。



「ふらふらぶらぶら 日本縦断の旅」④秋田から象潟、鳥海山へ
(※新聞掲載時よりも、漢数字を算用数字にしたり、改行を多くして読みやすくしています)

前回、秋田県の鷹巣町で原稿を送り、
能代市に向かって歩きはじめてすぐ、二ツ井町に入った。
ぼくはこの町があの「きみまち恋文コンテスト」を実施した町であることを知らなかった。


町のシンボルともなっている「きみまち阪」の伝説にちなんだイベントで、
このコンクールの受賞作品は『日本一心のこもった恋文』(NHK出版)として本にもなり、


話題になったので、ご存知の方も多いと思う。
「恋文の町」として全国的になったこの町から、前回原稿を送っていればと、
ちょっと悔やんだ。


東北地方を歩いていると、お年寄りの方々によく声をかけていただく。
秋田県の岩城町では三人のおばあさんに出会った。


彼女たちは立ち止まり、
「お疲れさまです」
と言って深々と頭を下げる。
恐縮するばかりである。
ぼくも慌てて頭を下げる。
なんだか托鉢僧にでもなったような気分であった。
記念写真を撮らせてもらう。
キャッキャッと娘さんのように笑う。
秋田美人健在である。


秋田県の南部に象潟(きさかた)という町がある。


かつてここは無数の島々が浮かび、八十八潟、九十九島と称され、
松島と並んで、松尾芭蕉をはじめとして多くの文人墨客が訪れる絶景の地であった。


しかし文化元年(1804年)の大地震で海底が2.4メートルも隆起したため、
潟の海水が失われて、
現在は水田地帯の中に黒松の生えた小島が点在するという珍しい風景に変化している。
9月2日の早朝、この九十九島をぼくは歩いて島巡りをした。


背後には鳥海山が見えた。(イメージ写真)


日本海から一挙に立ち上がる独立峰で、標高2263メートルの東北一の山である。
ぼくは急にこの山に登りたくなった。
「えーい、登っちゃえ!」。
重いフレームザックはどうしようかと迷ったが、
せっかくここまで一緒に旅してきたので、かついで登ることにした。
途中、強風とガスに悩まされたが、鳥海山は想像以上に素晴らしい山だった。
特に鳥海湖や、頂上付近からの日本海側の眺めには心を奪われた。


しかしー翌日から足はガクガク。
歩きと登山では使う筋肉が違ったようだ。
よろよろしながら9月5日、新潟県に入った。




【エピソード集】
秋田県大館市は、戦前のプロレタリア文学を代表する作家、小林多喜二の生誕地であった。


二ツ井町は「恋文の町」だからだろう、
映画『マディソン郡の橋』(1995年9月1日公開)の試写会のポスターが貼ってあった。
私の好きなメリル・ストリープ主演作(クリント・イーストウッドとのW主演)だったので、
私も旅の途中で鑑賞した記憶がある。


米代川沿いを歩いていたら、屋形船があった。


八郎潟駅。


秋田県由利本荘市の道川海岸沿いの道を歩いていたら、
「日本ロケット発祥記念之碑」という案内板があった。
調べてみると、
ここには1955(昭和30)年8月から1962(昭和37)年まで、
日本で最初のロケット発射場が置かれていたことから、
「日本ロケット発祥の地」と呼ばれているそうだ。


象潟は芭蕉の時代は松島と並び称される景勝の地であった。
しかし文化元年の大地震により海底が隆起し海水が枯れてしまう。
それ以降は名勝を離れ、
唯名句が詠まれた場所として、文人墨客のみが訪ねる土地となってしまった。
芭蕉は、能登屋に泊まる予定であったが、
その日は近くの熊野権現の祭りであり、
女客の宿泊があり、向かいの「向屋」へ泊ったとか。


海沿いの小さな町。
30年後の今は、もうすっかり変わっていることだろう。

この記事についてブログを書く
« 新聞連載エッセイ「ふらふら... | トップ | 初めてお越し下さった方へ »