一昨日、『山なんて嫌いだった』(市毛良枝)のブックレビューを書いたとき、
次のような文章で始めた。
世には「山の名著」と呼ばれているものがあって、
山ヤさんの間ではけっこう読まれていたりもするのだが、
一般的な登山愛好家で、読む人は案外少ないのではないかと考える。
例えば、
『山岳名著読書ノート 山の世界を広げる名著60冊』 (ヤマケイ新書)という本があるが、
この中に挙げられている60冊の「山の名著」の内、
〈読みたい!〉
と思える本が一体何冊あるだろうか?
深田久弥『日本百名山』や、
植村直己『青春を山に賭けて』や、
田部井淳子『エベレスト・ママさん̶山登り半生記』
くらいは読んだことがあっても、
その他の本は、読むことを躊躇するのではないだろうか?
専門的な登山用語が頻発するレポやドキュメントであったり、
聞いたこともないような山のゴリゴリの登攀記であったりと、(そんな本ばかりではないが)
一般的な登山愛好家にとっては難しかったり、興味そのものがなかったりする。
このような古典と呼ばれる「山の名著」の一群の存在は認めつつも、
一般的な登山愛好家にとっての「山の名著」も別に存在するのではないかと考えた。
それをこれから折に触れて紹介していければと思っている。
その第1回目が市毛良枝さんの『山なんて嫌いだった』のだが、
第2回目は、作家・森絵都さんの『屋久島ジュウソウ』(2006年、集英社刊)。
【森絵都】
1968年東京都生まれ。早稲田大学卒。1991年『リズム』で講談社児童文学新人賞を受賞しデビュー。同作品で椋鳩十児童文学賞を受賞。『宇宙のみなしご』 で野間児童文芸新人賞、産経児童出版文化賞ニッポン放送賞を、『アーモンド入りチョコレートのワルツ』で路傍の石文学賞を、『カラフル』で産経児童出版文 化賞を、『つきのふね』で野間児童文芸賞を、『DIVE!!』で小学館児童出版文化賞を受賞。2006年『風に舞いあがるビニールシート』で第135回直 木賞を受賞した。
私は、
『カラフル』(1998年、理論社刊)
を読んで森絵都さんの小説が好きになり、
『いつかパラソルの下で』(2005年、角川書店刊)
『風に舞いあがるビニールシート』(2006年、文藝春秋刊)
『ラン』(2008年、理論社刊)
などを読んできた。
『みかづき』(2016年、集英社刊)という小説については、
このブログにレビューも書いている。
そんな森絵都さんのエッセイ『屋久島ジュウソウ』も、
刊行時に図書館から借りて読んだ。
そして、あまりにも面白かったので、
『山なんて嫌いだった』(市毛良枝)と同じく、
何度も何度も借りて、何度も繰り返し読んだ。(笑)
あまりにこの本を好きになったので、手元に置いておきたくて、
とうとう(サイン入りの)単行本まで手に入れた。(コラコラ)
ちょっと待ち時間のあるような外出のときの為に、文庫本も買った。
それほど面白い本だったのである。
では、何が面白かったのか、四つの項目で具体的に論じてみたい。
➀登山なんか興味がない人たちの縦走記。
登山が好きで好きでたまらない人が書いた登山の本は、巷にあふれている。
そもそも、そんな本しかないと言ってもいいだろう。
だが、『屋久島ジュウソウ』は、本の成立課程がちょっと違う。
「小説すばる」という文芸誌で二年間、「slight sight-seeing」という旅のエッセイを連載していました。それを単行本化するにあたって、新しくエッセイを書き足そうという話になったんです。で、「slight sight-seeing」はほとんど一人旅の話で、私ひとりで奮闘している感が強いから、今回はちょっと趣向を変えて、グループ旅行の話にしてはどうだろう、と。それもわりとゆるゆるした感じの、みんなで和気藹々、みたいな、のんびり楽しいグループ旅行の話を書ければと思ってるんですよね。読者にとって、こう、息抜きになるみたいな。(17頁)
それが、どこでどう間違ったか、(笑)
「みんなで和気藹々、みたいな、のんびり楽しいグループ旅行」の筈が、
屋久島の宮之浦岳に登頂後に新高塚小屋に一泊して、
縄文杉も見て下山するという「屋久島縦走」になるのである。(爆)
参加メンバーは、
私(森絵都)
池田さん(カメラマン兼イラストレーター)
E口さん(30代、男性、集英社の編集者)
K原さん(20代、女性、集英社の編集者)
T田さん(30代、女性、集英社の編集者)
の5人。
ほとんどが登山未経験者で、全員が、ジュウソウを「縦走」ではなく重装備の「重装」と思っていたとか。
宮之浦岳が九州最高峰だということも知らない。
その5人に、登山ガイドの細田さん(40代、男性)が加わり、
6人のパーティとなって出発する。
ほとんどが登山未経験者なので、
装備、歩き方、山での食事、山でのトイレ、山小屋でのルールなど、
登山では常識と思われていることのひとつひとつに驚き、うろたえ、怒る。
その驚き方、うろたえ方、怒り方が面白く、
普通の山の本では絶対に味わえないものなのである。
➁食べたものが詳しく記録してある。
「今回の旅で、みんなの食べたものや飲んだものをぜんぶ記録することにします」
私は人様の日記に登場する、誰が何を食べた、という具体的な描写に弱いのだ。とくに武田百合子の『富士日記』ではそれが抜群に面白く、その時代やその人物たちの息づかいまで伝わってくるから、真似をすることにした。息づかいとまではいかないまでも、腹具合くらいは伝わることでしょう。(11頁)
著者の森絵都さんがこう記すように、
その時々、誰が何を食べたかが、全部書いてある。
こんな“山の本”はないし、作家・森絵都さんならではのこだわりであるのだが、
本人が語るように、これが抜群に面白い。
単に、食べ物の羅列であるのだが、
誰が、いつ、どこで、何を食べたかで、
その人の性格や、そのときの感情まで、手に取るように判るのだ。
19世紀フランスの政治家で、美食家でもあったブリア=サヴァランの有名な言葉に、
「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人か言いあててみせよう」
というのがあるが、本書はまさにそうで、食べ物で各人の個性が浮き彫りになるのである。
③山岳ガイドとの、理性と感情の行き違い。
縦走登山と思っているガイドと、ピクニック気分の5人とには、
(当然のことながら)理性と感情の行き違いが生じ、
歯車がかみ合わなくなってくる。
どちらも「どうもおかしい」と思いながら、いやいやながらも登山を続ける。
ガイドの細田さんがとても好い人で、私など好感を抱いたのだが、
森絵都さんたちは何かと反発し、不信感を抱いたりする。
想い出深い登山にしようとする細田さんに対し、
ハード過ぎる登山に5人は意気消沈したり、気分がハイになったりと、
その感情の変化、起伏が(こう言っては失礼だが)とにかく面白い。
二日間の登山が終わり、
翌日の屋久島を発つ飛行機の時間は午後6時なので、それまでの時間をどう過ごすか、
5人は相談する。
『もののけ姫』の舞台にもなった白谷雲水峡に行きたいという意見が出て、
ガイドの細田さんが、「僕が案内しましょうか?」と申し出てくれるも、
森絵都さんはそれを断る。
「細田さんにお願いしたほうが楽だし、いろいろ教えてもらえる。でも、そうやって何もかもお膳立てしてもらった旅っていうのは、文章にするとあまり面白くならないんです」(88頁)
「今回、山では何もかも細田さんのお世話になったから、最後の一日はせめて自分たちで行動したほうが、原稿としてもめりはりが出るっていうか……」(88頁)
こうして5人は最終日を自分たちだけで行動するのだが、これが森絵都の意図に反して、
内容的にまったく面白くないのだ。
本書『屋久島ジュウソウ』は、この5人と細田ガイドとのいろんな意味での闘いというか、
それぞれの葛藤が面白いのであって、細田ガイドの枷が外れた5人は、自由ではあるが、ただブラブラしているだけなので、読み物としての面白さはまったく無かった。
5人もそれに気づいたのか、最後に細田さんの家に行く。
細田さんは、自分の力で建てた「樟の木陶房」という陶房の陶芸家で、
その陶芸の傍ら登山ガイドをやっていたのだ。
5人は、この陶房で買い物をしたりして、細田さんと再び交流する。
これが、実にしみじみとして良いのである。
このラストに至って、本書『屋久島ジュウソウ』は、
森絵都を含めた5人と、ガイドの細田さんの物語であったことを再認識させられるのだ。
細田さんなくしてこの本自体が成立しなかったのである。
※ネット検索してみると、ガイドの細田さんは、細田博幸さんという方のようです。
優しい感じの方ですね。今のガイドの仕事は、日帰りトレッキングのみ(白谷雲水峡・ヤクスギランド・太忠岳・本富岳)をされているようです。
④文庫版の「あとがき」が素晴らしい。
単行本にも「あとがき」はあるのだが、
文庫版の「あとがき」(正確には「あとがきに代えて」)の方が断然面白い。
単行本から2年ほど経ってから文庫化されたので、
登山からは3年ほど経っており、
その3年の間に、著者である森絵都の気持ちの変化もあり、
それが素直に綴られており、読ませるのだ。
屋久島から帰って以降、森絵都は肉体派に転じ、走り始めるのである。
そして、フルマラソンへも挑むようになる。
久米島マラソンで、フルマラソンを終え、思う。
「宮之浦岳よりは楽だったな」と。(笑)
その後、
皇居二周レース、
石垣島マラソン・ハーフマラソンの部、
東日本国際駅伝など、
日本各地の厳しいレースを何度も経験するが、
こう述懐する。
しかし、それでも私はまだ一度として、宮之浦岳を超える肉体的苦痛には出会っていない。
(文庫版212頁)
と。
そして、最後に、ガイドの細田さんへのメールの文章を公開する。
この文章が泣かせる。
「みんなで和気藹々、みたいな、のんびり楽しいグループ旅行」の筈が、
「屋久島縦走」になり、苦痛しかなかったようなあの縦走が、
3年ほど経って、森絵都の人生に大きな変化をもたらしていることに気づかされるのである。
「私はまだ一度として、宮之浦岳を超える肉体的苦痛には出会っていない」
とは、なんと重く、貴い言葉だろう。
それは、単なる肉体的苦痛を通り越して、
神聖なる領域に達した者だけが吐ける言葉ではなかったろうか……
そういう意味で、森絵都の『屋久島ジュウソウ』は、
どんな著名な登山家にも書けない凄い本なのである。