一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

『山のかたみ』『山と過ごした一日』(萩生田浩)……端正で透明感のある文章……

2025年01月12日 | 読書・音楽・美術・その他芸術


古典と呼ばれる「山の名著」ではなく、
一般的な登山愛好家にとっての「山の名著」を紹介するブックレビューの3回目は、
萩生田浩著『山のかたみ』『山と過ごした一日』。

『山のかたみ』という本のことも、


『山と過ごした一日』という本のことも、


著者(萩生田浩)のことも、
ほとんどの人はご存じないのではないだろうか?

『山のかたみ』(2005年11月、西田書店刊)が刊行されてすぐの頃、
私は書店で偶然本書を見かけ、手に取り、立ち読みした。
そして、その端正で透明感のある文章に感嘆した。
幾つかの文章を読んだだけで、
この本の作者がタダモノではないことを知らされた。


巻末の「著者について」を見てみると、こう記されてあった。

【萩生田浩】(はぎうだ こう)
1957年東京都町田市生まれ。
地図編集者。
中学時代に霧ヶ峰を訪れたのをきっかけに山歩きをはじめる。かつては箱根・奥多摩や信州の高原を好んで歩き、現在は中央線沿線の山々がホームグラウンド。人気のある山よりも人知れぬ山を、日本アルプスよりも地方の中級山岳を志向する。
山の文芸誌『ベルク』同人。


専業作家というのではなく、
地図編集者として働きながら、
山の文芸誌(同人誌)『ベルク』に発表したものを、


『山のかたみ』という一冊の本にまとめたものであったのだ。


私は、阿部昭、庄野潤三、野呂邦暢、柏原兵三、佐藤泰志、南木佳士といった、
ちょっとマイナーで、端正な文章を書く作家が好みなのだが、
これらの作家に通じるものが萩生田浩という人にはあるように思った。


私は『山のかたみ』という本を買って帰り、読み始めた。
そして、読了後、本を手で撫でた。
〈これほど愛おしい本がこれまであったろうか……〉
と思った。
文章はもちろんのこと、本のタイトル、活字、装幀、本の手触り、
すべてにこだわりがあり、美しく、気持ち好いのだ。
著者の神経が本の隅々まで行き渡っていることが解る。
たぶん、萩生田浩という人の、一生に一度の本なのだと思った。


本の帯には、「山のエッセイ」とあり、

石を拾う
峠みち
こぎつね
日蔭みち
水晶
峠の名前
稜線で会いましょう
道連れ
賽銭
山のかけら
猫背山
時計

杖供養
新涼
木精―こだま


というタイトルの16編の作品が収められている。
エッセイと言われればエッセイなのだが、
私は、ひとつひとつを短編小説のように読んだ。
ただ山に登り、下りてくるという営みの中に、小さな物語があった。
それは、きっと作者の感受性が生み出すものであったろう。
こんな文章が書ける人は、プロの作家でも稀だ。


あとがきに、

本書も、なにかのご縁で手に取っていただいた方の心の中にいつまでも残るような一冊になれたなら、この上ない喜びとなることでしょう。

とあったが、
私も「なにかのご縁で手に取った」一人となり、
(選ばれた読者として)こうして、刊行されて20年後にレビューを書いている。



この『山のかたみ』を読んで10年ほどが過ぎた頃、
また書店で、『山と過ごした一日』(2016年6月刊)という本を偶然目にした。


著者は『山のかたみ』と同じく萩生田浩。
私は、『山のかたみ』を、
「たぶん、萩生田浩という人の、一生に一度の本」なのだと勝手に思っていたので、
驚くと同時に、また出逢えた喜びに震えた。
『山のかたみ』を読んで感動した私を、
二冊目の『山と過ごした一日』の方から私に声をかけてくれたような気がした。
『山と過ごした一日』という本が私を選んでくれたのだ。
そう思わずにはいられなかった。
当然のことながら、私はすぐに買って帰り、読んだ。
『山と過ごした一日』には、

冬隣り
孤峰の春
春の背中
道案内
裏山の神様
滝から滝へ
霧の十二ヶ岳
鼻唄
山の声
葉桜
遠く離れて
枯葉のころ


という12編の作品が収められていて、
『山のかたみ』を読んだ時の感動が蘇ってきた。
ただ物語性がやや強くなったようにも感じた。
巻末に、この中の3編に限っては「山そのものに創作を加えている」とあり、
山名が伏せられていて、単なるエッセイではないものも含まれていることが窺えた。
それでも、端正で透明感のある文章はそのままであったし、
読む喜びを存分に味わうことができた。


著者のプロフィールを見ると、

【萩生田浩】(ハギウダコウ)
1957年、東京都生まれ。書店員、地図編集会社勤務を経てフリーとなり、地図の制作や登山ガイドブックの取材執筆を行なう。現在は「山椒堂」の工房名で絵葉書などの制作販売を手掛けている。山の文芸誌「ベルク」同人。九州「山の図書館」、NPO法人「小野路街づくりの会」会員


とあり、『山のかたみ』の本に記されていたプロフィールに、
新たに取り組まれている幾つかのことが書き加えられていた。

この『山と過ごした一日』も、『山のかたみ』と同じく、
文章はもちろんのこと、本のタイトル、活字、装幀、本の手触りと、
すべてにこだわりがあり、美しく、好もしかった。


「あとがき」では、本を読むことよりも、本そのものが好きなのだと告白もしていて、

紙の本が、いつまでもつづくよう祈りつつ、山靴の紐をほどくことにしよう。

という言葉で結ばれている。
電子書籍などでは味わえない魅力が、
この二冊(『山のかたみ』『山と過ごした一日』)にはある。


『山と過ごした一日』の方はまだAmazonや西田書店でも買えるようだが、
『山のかたみ』の方は入手困難となっている。
ちなみに図書館には置いてあるかどうかを確かめてみると、
近くの図書館には無かったし、佐賀県立図書館にも無かった。
『山のかたみ』には巡り会うことさえ難しくなっているようだ。
もし巡り合えたとしたら、それはきっとあなたにとっての宝物となるだろう……

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